店仕舞いの最中、テーブルを拭くバイトの大学生のCくん(童貞)がため息をつきながら言う。
———ジブン、なんでカノジョができないンすかねェ…
日頃からこの種の嘆息を聴き慣れているのか、テンチョーが柔らかく諭すように応える。
———それはねぇ、キミは『押し』が足らないんだよ、きっと。
———って言われても…
———オイ、『押し』以前に、まずキサマは『恋』をしとるのかや!?
———いやぁ、特に好きな人とかは居ないです…
———テンチョー、コヤツは“好きな人が居ない”のに“カノジョ”が欲しいとよ!ケッ、このクソ童貞!
———でもね犬スケ、Cくんに好意を寄せている娘が居るらしいという情報が別のバイトくんから入ってはいるんだよ。
———でもジブン、ソイツに興味無いっス。
———興味無いィ!?選り好みができる立場か、このクソ童貞!そーやってチキンなキサマは一生童貞のままだ!子々孫々に到るまでの物笑いの種となれ!
———でも大丈夫、童貞のままじゃあ子孫もできないからね、Cくん。
この場合、語気が荒い私よりも、一見Cくんをフォローしたように見えるテンチョーの一言の方がキツイように思う。
———しかし、確かに惚れても居らん相手で筆下ろしをするのもなァ。まずは恋をしろ、恋を!
———恋って、どうすればいいんすか?
———まずはときめけよ!我々くらいの年になると「ドキッ!」としたら病気の可能性もあるけれど、貴様は未だ若いんだから!
———まぁまぁ、とにかく、イケそうならサクッとイッときなよ、礼儀として。
この場合も、語気が荒い私よりも、一見柔らかい口調ながらエグイことをしれっと口にしたテンチョーの方が邪悪であるとも思う。
———ところで犬スケさんは?カノジョ居ないんすか?
———前世レベルの昔には、居たなァ。今は空想上の存在だと思っている。
———…ダメだこりゃ。
童貞の大学生に呆れられながら、私は遠い目をしていたように思う。そしてその低レベルなやりとりを見ながら微笑んでいるテンチョーは唯一の既婚者であり、まことに世界は不公平に出来ているものなのである。
或る時を境に“家庭を持つ”という事をリスクだと考えるようになった。そうして病膏肓に入った今では“パートナー(異性同性の別無く)を持つ”という事すら負担の方が大きいように感じてしまっている。
故に“恋”はしても“新たな関係を作り・保つ”ということに執着が薄い。興味関心は有るけれど、それはあくまでも余所の国の文化風習を眺めるような眼差しでしかなく、そのため近しい異性の友人たちからは猫を飼うことを厳しく禁じられてさえいる。
もっとも、私自身、己の身幅で生きる事で精一杯で、またこの身幅に付属している興味の幅も含めると、“人生”から“労働時間”をまるまる差っ引いても三百年は退屈しないように思う。だからナンだかの映画のように“カネ”の代わりに“時間”を引き換えるような世の中だったとしたら一念発起するかもしれないが、今の所そのような社会になる兆しはないので、やっぱり独り身であることに何の不自由も感じない。
先日、ふと思いついて、永ちゃんのモノマネで竹内まりあの『シングル・アゲイン』のサビを歌ってみて、案の定自分でツボに入った。
「お前は幸せか?」と問われれば答えに詰まりはするが、少なくとも“ハッピーなヤツ”であることには間違いないと確信している。
〈シングル・アゲイン 竹内まりあ〉
通りすがりに見つけた小さな九龍城。