フタを開けて歩こう | 犬獣戯画

犬獣戯画

下町のロビンソン・クルーソー。
『最後の秘境は他人』がモットー。

 先日、個人秘書のフライデーに力説した話でもあるのだが、

 例えば今、地球が宇宙人との戦争に突入したとして、地球人(支配層としての“人間”)が全て滅び絶えたとしても、おそらく“猫”は新しい支配層としての“宇宙人”ともうまくやっていくに違いないと思うのだね、これは感覚的なもので説明が難しく、故にやはり私の仮説でしかないのだが。

 そんな話をした後で、ふと私が口ずさんだ鼻歌が『上を向いて歩こう』で、そのままキッチンに向かったものだから、ついフライデーに向かって「ねェ、“フタを開けて歩こう”、って、ナンカ良くない?」と問いかけた。彼女は笑って「そうねぇ」と言ったきり。これで…いや、これがイイのだ。

 

 だが、そんな私の日常のささやかなストレスが、最近少々溜まってきやがりましてね、少し自分のフタを開けてガス抜きをしてみようかとなんぞ思いましてな。久々にブログを書いてみようという気になった次第である。※しかし、下記は“毒ガス”でしかない、と予め断ってはおく。

 

 最近野良犬を見ないなぁ、と思ってしばらく生活をしていたが、やっぱり野良犬を見ないままで日常が過ぎていく、不安。

 最近ホームレスをあんまり見ないなぁ、とも思っていたら、やっぱりホームレスの方々のあまりの減少加減に感じる、不安。

 どちらに於いても原因におおよその見当は付いているし、また日雇い業界の地下情報ネットワークってのも結構バカにならないもんで、コンクリートの上を当然の顔つきで歩いているような“一般市民”には届かないような悲惨な現状があるものだという認識を(あくまで“個人的に”という注釈付きで)持っているもんだから、平常私は他人の認識する現実世界の問題(またの名を『現代の社会問題』)について迂闊に踏み込まないように口をつぐんで生きている。

 ———お前は何故にそんなに能天気で馬鹿らしい生き様を晒しているのだ。

 とより大きな存在(神様とか、祖父だとか)に問われたならば、私は迷わずこう答えるだろう。

 ———“現実の生活”がシャレにならんくらい壊れとるんだからパープリンのフリして誤魔化しとるんやないかい!(by 私の心の中の金やん※四百勝投手)

 

 まぁ、高い税金を払ってまで合法的に購入した『煙草』を、法律違反ですら無い『喫煙』しただけで睨みつけられるような、“寛容さ”とは程遠くケツの穴の小さい現代社会なのであるから、そういう中に適応している種にとっては私の個人的な“認識世界”など何処吹く風であろうし、またその方が彼ら善男善女にとっては好都合であるという点で私は彼らと折り合いをつけているつもりでいる。

 だが1:9でワシが折れとる分、ワシはワシで“空気を読まない”というやり方でささやかに足掻きながら生き延びては居るんだが。政府関係者よ、“LGBT”に理解を示す“フリ”をしているくらいなら、高い税金を払ってまで喫煙に肩身を狭くさせられている“マイノリティとしての喫煙者”の精神的ストレスと副流煙の害とを比較数値化してデータで出せ!と心の中で思ったりもしないでもない。

 

 先日、私より50年近く年配のじーさまから『明治百五十年・横山大観展(横山大観は明治元年の生まれらしい)』のお誘いを受けたのでデートに向かったのだが、大大観(だい・たいかん)の筆ぢからに圧倒されつつ、隣でスノッブるじーさまが少々小うるさく感じた。

 んで、大観展を出た後で「少し話せますか?」とお茶に誘われたので着いて行ったのだが、延々と「戦争反対。僕は経験者だから戦争の悲惨さがわかる」との旨の話を聞かされて、私は久々に身のうちにふつふつと沸きだす怒りを堪えるのに徹していたが、それが滔滔と三時間も続くうちにとうとう私の地獄の釜のフタが開いてしまい、私はじーさまにちょっとキツめにこんなことを言った。

 

 ※大意※

 ———あのですね、ボク、その“戦争反対”っての、興味持てないんです。もっと言えば、そのプラカードを持って練り歩く余裕のある人々に対しても、興味が持てない。

 じーさまの驚いた顔に更に冷や水を浴びせるように私は続けた。

 ———今日の大観、明治百五十年でしたよね。明治維新〜西南戦争の時の死者数の合計は、大方の数字によっては約三万人くらいだそうです。んで、日本の自殺者数が「二万五千人を割りました!」というのが一昨年、かな? でもその中に“変死者”ってのは含まれてないんですよね。自殺者と変死者との判断の基準、ってのも曖昧なんですけど、ひとつには「遺書の有無」というものもあるらしい。実際は二万五千人より多いですよね、フツーに考えて。何処の国の内戦でも毎年そんだけの人が死にますか?ましてや自殺ですよ?北朝鮮のミサイル云々が脅威だとかって言うけれど、ボク個人的にはミサイルの一発も飛んできてくれたほうが日本人に活力とか一体感が出るかもしれない、と思ってすらいます。もちろん極論ですけど。

 すでに遠くを見るまなざしのじーさまにトドメの一発。

 ———つい先日、ボクがよく出入りする業者の人が自殺したんです。でも、ニュースにすらならない。一労働者が自殺することよりもセクハラ・パワハラ・反戦・嫌煙云々ばかり垂れ流されて、こっちゃアうんざりしてんですよ、実際。だから、ボクは人の思想にとやかくクチバシを突っ込むつもりもないし、こちらにも迂闊に踏み込んでほしく無い。一人の人間が仕事の道具を使って、凄惨な、抗議とも取れるような死に方をして、それが何事もなかったように揉み消される、いや、反応さえされないのがボクの居る“日常”なんです。もちろん立って居る場所によって見える問題は違うのでしょうけれど、それならばやはり迂闊に踏み込むことは危険だし、お互い不快なだけだとも思います。

 そうして私はそのじーさんに一言詫びてから席を立った。

 

 そのくせ、帰路で私は『ちょっと言い過ぎたなぁ…でも、一通り言わなきゃ伝わらないしなぁ…』と悶々としながらいつものように自省嘆息しながら、しかし上を向いてトボトボと歩いた。

 私は自分にも他人にも手加減をしないところがあり、それが欠点だと思いつつ、やはり『寛容とは侮辱である』と言ったブルース・リーの言葉をその都度思い出しているのである。

 

 ま、我慢ばかりではなく時々はフタを開けて歩こう、ってな話で。自分でもよくわかンないですけど。

 ちなみに「いつやるの?今でしょ!」という林先生の言葉より、「ピッチャー交代、ワシ!」という金やん(四百勝投手)の言葉の方が私は好きです。

 

 

 追伸;なお、本文を読まれて気分を悪くされた“クリスタルな感性”の人々がいらっしゃっいましたら、どうぞ私なぞの存在に触れずに頑張って死なない程度に生きていってください。

 

 

【上を向いて歩こう 近藤房之助】

 
「人間、死んだら終わりや!」