インフルエンザ発病四日目、熱は時間帯により上下降、鼻水だいぶ引きしものの、咳時折腹筋に痛し。
というようなワケで、珍しく臥せっている。
鬱と怠け以外で伏せることは大分久しいので、正直ちょっと休み疲れをしているが、さすがに熱が39.0℃もあると考え事すらする気にもならないということにこの歳になって気がついた。人生是日々前進である。
先だって受けたHIV検査の結果を聞きに言った帰りのバス停の近くのゴミ置場にオンボロのiMacが打ち捨てられて居たので、なんとなしに引き取ってきた。本当に他意はないのだが、このiMacに比べて拙宅のMacBookはなんとも軽少短薄であるものかと今更ながらに感心している。
あれ、ホントーにコレ、何で持って帰ってきちゃったんだったのかなぁ。こうして私の部屋の荷物がまたひとつ増えた。
一昨々日、祖母が89歳の誕生日を迎えた。
———誕生日おめでとう。気分はどうだい?
———オラ、タマゲタなぁ。
———あんでさ。そらお互いに歳を取るでしょうに。
———に、しても、タマゲタ。
祖母は毎年誕生日には「魂消た(タマゲタ)」という言葉を使う。こうして毎年少しずつ消える“タマ(魂)”の残弾数が亡くなった時に死に至るのだと予測しているのだが確証は得ていない。
そうしてその翌日、姪(祖母の曽孫)が四歳の誕生日を迎えて、雨後の筍と余所の子供は育つのが早いと云うが、実際私は彼女がもう四歳になったことに、正直、タマゲタ。こうしてこちらの“タマ”が一機減ったことに関しては彼女には何一つ責任がないのだから参ってしまう。
はぁ、ばーさんが89歳ねぇ。私が日頃思い出している祖母との甘い日々はもう四半世紀も昔のことであると考えると、熱で朦朧とした頭に更に時間の霧がかかるような思いでもある。
話は変わって、私がほぼ毎日のように連絡を取る個人秘書・フライデーと話していてちょっと気付いたことがある。
———ところで、UFOというのは、あれはなんで階段式ではないのだと思うね?
———言われてみればスロープが多いわよねぇ。
———あれはね、おそらく“バリアフリー”なんだぞ。テキは未来人だから、そこらへんも開明的なんだろうと思う。
———ナルホドねぇ。
私の個人秘書はたいていのことは笑って聞き流して聞き流してくれるので、こちらは一方的に発信するのみの中で勝手な発見をすれば宜しい。そうして実際は実が無い会話ほど楽しいこともないのだけれど。
———ところで、あなたのおばあちゃまは何でそんなに勘がいいのかしら?
と問う個人秘書の言葉に、私もふと立ち止まって考えた。
確かに祖母はやたらと勘がいい。
私が地元の最寄駅に下車するとちょうどいいタイミングで「もしもし?今何処にいる?」なんてのは茶飯事だし、噂をすればちょうど電話がかかってくるし、なんでもかんでも間が良すぎるような疑念は抱いていた。
だが、先日(インフルエンザ罹患前)に「来週末帰るよ」と電話をした私に「あんも無理しなくて帰ってこなくていいよ、オメェが達者でやってれば
いいよ!…(気をつけて帰ってこいよ!)という最後のセリフが引っかかりはしたのだが、それはそれで個人秘書との間で「これだけ長く深く付き合っているから、もしかしたら実際の音声には無い心の声くらいは聞こえているのかもしれないよね」という“軽いテレパシー説”で落ち着いていたのだが、UFOがバリアフリーだとするとちょっと話が変わってくるだろう。
UFOがバリアフリーならば、もちろんばーさん載ってくるよね。
んで、睡眠薬でグースカしている私の脳内に“マイクロチップ”ならぬ“ポテトチップ”を埋める、という冗談ならまだしも、おそらくばーさんの手元にあるお菓子は“海苔煎餅”か“サラダ味おかき”であって、おそらく『個体との通信を可能にする(ためのチップ)』という本来の目的を忘れた・乃至は認識していないばーさんは私の脳内に“海苔煎餅”だか“サラダ味おかき”だかを入れてから、タラップを車椅子を押されて上がっていく。んで、脳味噌なんて水分の多そうなところにそんな乾き物を入れておいたらすぐに湿気ちゃうから、それを掃除すると云う名目でUFOを再度呼び出したばーさんはまた眠っている私の頭部を開き、年老いてもまだ感覚の行き渡る指先で私の脳内をくまなく掃除し、そうして振り返って宇宙人たちに得意のセリフで「じゃあ、一服すっぺ!」と言っては海苔煎餅なりサラダ味おかきなりを食べたりお茶を飲んだりして(その間私の頭は開頭されたままだと思われる)、ゴミや残りの煎餅などを再度私の頭の中に埋め込んでまたタラップを車椅子を押されて上がっていく。
実に他愛もない空想ではあるのだが、そうであっても十分納得ができるぐらいばーさんとの(通信)関係に関してはちょっと尋常ならざるものを日々感じている。
技術は日進月歩で、私はPC(現在はMacBook)でしか物を書けないが、私より少し世代が上の方々はiMacに心躍らせたと聞く。逆に四歳の姪っ子はiPhone(他、スマホ)で事が足りるような世の中になっていくのであろう。
よし、このiMacを“祖母”に重ね合せるように磨いては、いつか姪っ子が大きくなったときに語りきかせてあげよう。
———なんと、おいちゃんが小さい頃にはパソコンはまだこんなに大きかったんだよ。それでもできることは沢山じゃなかった。〜云々(年配者の訓示的なもの)
———へぇ。それで?モンストできるの?
ややスコーンと滑りそうな予感もしないでもないが、その時私の脳内におかきの残骸の未だ残りしや否や。
瞳を閉じれば祖母が、まぶたの裏に海苔煎餅。
【3月9日】

