昨夜の月は綺麗な三日月で、まるでチェシャ猫の口元のようだった。嗤っているように見えたのは、こちらが車中で揺れていたから。
待ち合わせの場所に少し早く着きすぎてしまったので、ウンコ座りで持ち合わせのタバコに火を着ける。そうして人々の足取りの軽重ばかりを眺めていたら、ふと『二十年経っても、やってることは同じ、か』と思って少しく苦笑した。
天気予報は確かに雪だったけど、仕事始めにチラホラと落ちてきた雪には少し驚いた。
室内作業の休憩で表に出るたびに激しさを増す雪は、帰る頃にはすっかり地面を覆っていた。こんなに短時間で世界の色が変わるのに、変わらない人間なんてあるもんかよ、俺もだいぶん変わったし、お前らもずいぶん変わったろう? でも安心しろよ、もし変わっていない存在があるのだとしたら、そいつはきっともう死んでいるんだ。
ズグズグという足音と共に、雪道をバス停まで歩く。この道はまだ真っ白なままだし、歩きたいように歩いていいのだからサイコーだよ。
バス停に着くと丁度バスが来た。『凍えずに済んで、ラッキーだな』と小さな幸せを感じつつ、知らないバス停から見知らぬ駅の電車に乗り換える。毎日違う人と出逢う、この一期一会の日々の中で大切なのは、結局IQよりも愛嬌なんだな。
自宅の最寄駅の改札を出ると、街が装いを変えたように見えた。空を眺めてひとつ深呼吸。真っ白なのは吐息であって、まだため息なんかじゃないよ。冷めているのは指先だけで、ハートはまだ熱を残したままだ。
俺が幸せかどうかはよくわからないけど、少なくとも“ハッピーな奴”だとは思うんだよね、結局のところ。
今度ばーさんに会ったら、この気持ちをどう伝えよう。
それとも黙って握ってみようか。俺が握れば必ず握り返してくれる、あのあかぎれだらけの、暖かくて小さな手を。
【Slow Hands】
