本日は成人の日ですね。新成人の皆さん、本当におめでとうございます。そして、二十年間もの長きに渡った人生、本当におつかれさまでした。
立ったり喋ったりすることを覚えることに忙しかったであろう幼少期や、義務教育の中での不自由な時間、そして思春期のモヤモヤも含めた最初の二十年間はさぞかし密度が濃かったことでしょう。私だったらどれだけ請われても、あの美しくも愚かしい十代には決して戻りたくはありません。
かく言う私も実のところ以前一度成人を迎えたことがありましたが、日頃の言動が祟ってか、現在では地元での私への陰口の名称が“セージン”ならぬ“ウチュージン”だとのこと。そんな私ではございますが、三十代半ば・中年初心者コース白帯男性代表として皆さんに一言メッセージをお伝えしたいと思います。
人生には、三つの、大事な“キ”があります!
人生には、三つの、大事な“キ”があるんです!!
それではご唱和ください。
「やる気、元気、井脇!」
以上、私の心からのメッセージです。あー疲れた。
あー、あとお前らホラ、まだ若いからアレだろ、朝勃ちするだろ? だからアレだ、「朝マラせんやつには金を貸すな!」って言葉があるくらいだから、お前らの無駄な精力が尽きる前にあちこちから金借りられるだけ借りとけよ、どうせうやむやになっちゃうんだから。オトナからのメッセージなんてそんくれェだ、もう朝マラしねェからって中年ナメてんじゃネェぞ。※若さに嫉妬し急に下品で乱暴になる。
さてさて、近年では風物詩と化した観もある『荒れる成人式』のニュースだが、これもまた近いうちにニュースでやるのかしらん? テンション上がってるバカどもの火に油を注いでいるのを重々承知で報道するメディアの責任は少なくないとは思うけれど(あれを「馬鹿らしい」の一言で相手にしなければすぐに鎮火すると私は常々思っている)、私の記憶に依ればこの種の報道は沖縄での成人式が荒れたと報道された年から始まったものだった気がする。学年は私よりほんのちょっと下の連中で、そんでたまたま私がそのニュースの当時ちょうど沖縄に居たのでタイミング的な印象は濃いが、特に驚きはしなかった。成人式などというものはそういうものだと“想像”していたから。
我が身の成人式当日の様子を振り返ってみる。
直前に成人式の為に地元に帰省し、当日の朝、身支度を整えて一応祖父母に成人の挨拶をする。迎えに来てくれた友人の車の助手席に搭乗後、別の友人を迎えに行く途中で最初の缶ビールを開ける。
式典会場である市民会館到着後、入口の前に出来ているカラフルな袴・背広等の一団を発見、つい視察に赴くと皆古馴染みのヤンチャーズで、五、六年ぶりの再会を喜びながら浴びるようにビールを飲む。酔っ払ったヤツらが駐車場から車を引っ張り出してきて、別のヤツらが(案の定酔っぱらって)車の屋根(ルーフ、っての?部位の名称を知らない)やボンネットにしがみつき、空きスペースでドリフトだのスピンだのかけて楽しんでいる。それを眺めながら「なんとも目出度いナァ」と皆で微笑み合っていたら、スピンのついでに一人車の屋根から吹っ飛んじゃった。実に見事な吹っ飛びかたでついつい笑ってしまったけれど、すぐにパトカーと救急車がやってきて運転手(加害者ではない)や怪我人(被害者ではない)をそれぞれの車に乗せて去っていった。私は率直に『新年早々の救急車は“紅白”で目出度いもんだな』と思ったし、酒の回った友人たちも「大騒ぎにならなくて良かったなーァ」と安堵していた。
そうこうしている内に、会場である市民会館からぞろぞろと人が出てきた。「あれ?みんな出てきたぞ?」と赤ら顔で不思議がっていたら、我々が再会を言祝ぎているうちに、“成人式”終わっちゃったんだって。そりゃ騒ぎにならないワケだよ、みんな会場に入っちゃってたんだから。
であるから、厳密に言うと私は『成人式の会場入口付近』まで辿り着いたことはあるけれど『成人式』には参加したことがないのである。だから、『荒れる成人式』も“想像”でしかない。※その夜、私は一人で泡盛の一升瓶を二本空けたことも大切な思い出である。
自分がそんな形の“成人式(会場入口付近まで到着)”だったものだから、昨今の成人式が多少荒れようと、ダサいとは思っても驚きはしないし、むしろ少なくとも会場の中まで入っていたという行動力と協調性に少なからず感服している。
そうして、自分の過去を棚に上げて若者の行動に眉を顰めそうになる顔つきのオトナにはなるまいと自分を戒めつつも、やはり少々恥じ入っている。
【青春アミーゴ】
