正月が晴れるのは何故だろう、と今更しみじみ思う。
天気予報を見るに、土地土地での天候は様々のようで、ランダムで正月の天気が荒れることは不思議ではないようだが、何故だか記憶を手繰り寄せる限りでは私の元日に天候が悪かったことがないように思う。
今年も元日は晴れていた。私が根っからの晴れ男とは雖もこれまでの正月に定期的に同じ場所に居た訳でもなし、これまで元日に天候不順に巡り合わせなかったということだけでも人生規模でラッキーなことなのかもしれない。
そもそもが私が鉄壁な晴れ男である。そしてプラスして、苦労や心労が見た目や肌ツヤに現れない。
なので、先月初に心配して連絡(生存確認。実際人生最悪レベルで体調が悪かった)をくれたセンパイにも「その身体と顔ツキじゃあ、見た目ではわからないよなぁ」と言われた。つくづく自分の多幸症(テキトー)を呪う。
今年は珍しく自宅で新年を迎えることにした。ひとつには実家から「帰って来るな!」と言われたのもあるし、もうひとつには旅に出る資金がなかったこともある。だが本人的には結構張り切りつつ新鮮な気持ちで年を越す準備をそれなりにしていた。
まず一つは部屋中の大掃除。
私は現在のアパートに越してから三年目だが、一度も年末の大掃除をして越年したことがなかったので、結構あちこちを掃いたり拭いたり磨いたりした。
もう数年間自宅で年を越すこともなかったが、そもそも掃除すること自体は嫌いではないので、実に気分良く、そして新鮮なイベントであった。
※それが、まさか年末の“忘年会”で盛大にゲロを吐かれて便所の隅々まで汚物に塗れるとは思っていなかった。(ポルトのせい)
もう一つの心の大掃除として、昨年末に年賀状を出すのを辞めた。
これまでは結構マメに年賀状を送りつけていたが、今年からは「来た分だけ返そう」という気楽な姿勢に切り替えることにした。たった年賀状ひとつでも気楽さがだいぶん違う。
「このご時世で、今更年賀状もネェ」と思っていたのもひとつのずんだれなのだが、これが案に反して元日に20枚程度は届いたのだよね、年賀状。そこでシコシコと返信を繕ったりして。どうにも決意が定まらないことは年を越しても変わらないようである。(だが、勢いで喪中のポルトに年賀状を出したのはご愛嬌でもあるし、ま、仕返し、っちゅうかね?)
個人的な正月の話といえば、まずは三が日の朝は雑煮を作った。私の実家では正月三が日は女を厨房に立たせず、男が雑煮を作るものだと教えられて来たから。
一度祖父に聞いたことによると「年中女性には台所に入ってもらっているのだから、正月くらいは楽をしてもらうように」という意味がこもっているようだ。実に田舎の古い風習臭いが、こればかりは私の生涯保ちつづけようと思う心がけのひとつである。
そうして、雑煮を食べたら、酒を飲みながらDVD(ビデオ)を観ていた。
これは、先月末にTSUTAYAの借り放題のキャンペーンに乗じたもので深い理由はないが、やっぱり正月は『男はつらいよ』観たいじゃん?的な軽いノリである。
だが、男はつらいよを二日連続で観たところ“人情”で胸焼けを起こしそうになり、そのためのカンフル剤として借りてきた『野獣死すべし』を観て心境を一変させようと思ったのだが、これがデッキの問題か、なぜかDVDを読み込まない。拙宅にあるPlayStation2(古いな…)でも同様に読み込まないのだよ。
そうして一旦『野獣死すべし』を諦めて、以前ワゴンセールで買った『ハンニバル』を観ようとしたが、これも両方ダメ。
結局“サイコパスな正月”を諦めた私は、これまたワゴンセールで買っていた『空飛ぶモンティパイソン』を観ようとしたが、これも結局ダメだった。
神(家電も含む)は、どうやら私を“シリアス”にも“コメディ”にも振ってくれないらしいよ、アーメン。
そうして、日頃密接に会わない友人が年賀状で「娘が生まれました」という報告を正月早々届けてくれたので、今日は彼(実際は娘の方)への誕生祝いを買いに近場の百貨店に出向くことにした。
その前、百貨店に向かうルートでついでに初詣を済ませようと思って、まずは近所の神社で初詣に向かったのだが、私が参拝をしている最中に後方から小銭をぶつけられた。
振り向いて、「ジーサン、オレが神様みてェじゃねぇか!」と言ったところ、テキから「す…すいません!…でもアンタ、縁起がいいよ!」と言われ、実際私は『アラ、正月早々八百万の神様の端くれにでもなったのかしらん?』と縁起が良い心持ちになって社を後にした。
新年のささやかな願い事としては、日頃陰日向となく私のことをシンパイしてくれているパイセン(ラップ調)と、ワリカンで新年会ができればよいなぁ。
アンド、いつもこのブログを見てくれている皆様にもご多幸な一年でありますことをお祈りいた島津。
今年もどうぞ4649お願い致します。アーメン。
【ごあいさつ 高田渡】
