子供の頃の或る一時ではあるが、ひとりでコサックダンスの練習をしていた時期がある。今更理由や動機は自分でもよくわからないが、とにかく延々とコサックダンスを踊っていた。
周囲の同級生たちがアニメの歌を歌って踊ったり、なんとかビームを出している中で、私は黙々と、そして淡々とコサックダンスを練習していた。三つ子の魂百までというのか、その頃から私は凝り性で、冬になればコサックダンスの延長線上でデイビークロケットが被っているような帽子も買ってもらったし、今改めて思い返しても周囲の誰とも違っていたが「それが自分だ」というような頑なな決意も、翻った選民意識なども持ち合わせていなかったように思う。ただただ淡々と私はコサックダンスを練習しているのが好きだったし、楽しかった。
私のコサックダンスがある一定の水準に達した頃「おばあちゃん、見て!」と祖母の前でコサックダンスを披露した。おそらくコサックダンスなどを知らなかった祖母は一種の恐怖を感じたかもしれない。
「あんだそりゃ。テレビでやってたのか?」
「違うよ」
「じゃあ学校でみんながやってんのか?」
「やってないよ」
「寂しカないか?」
「寂しい、って何?」
「…ちィとこっちゃげ来い」
そう言って祖母は私をぎゅっと抱きしめた。私はじんわりと目に涙を溜めながら、秋のカラスが『母、母、(かあ、かあ)』と畑の上を横切った。
思い出したら泣けるような光景だが、この話、途中から作り話デスカラ。
私は自他共に認めるマイペース人間であるから、それ故にマイペースな人間を愛してやまない。もっと言えば、テキが異形であればある程宜しい。
先日、所用で渋谷に赴いた際、前方の人波が次々と拓けていくのに気がついた。どうやら私の前方の女性がモーゼになっていたようで、振り向きざまの彼女の顔をよくよく見れば、髪は自分であちこち切り離したようになっており服も乱れていたが、何よりも口元いっぱいに塗りたくられた真っ赤な口紅がまるで我が子を喰らってきたばかりの鬼子母神のような迫力があり、まさしく立派な異形であった。
彼女は振り向きざまに目が合った私の方に向かってきたが、私が笑顔で相対すると束の間驚いたような顔つきになり、私から目を逸らせたまま脇を通り過ぎて行ってしまった。
そうして、あの日私が渋谷で目にした人々の群れの中で顔を覚えているのは彼女ひとりだけなのである。
数年前の夏、男の彼氏のピーちゃんと車で四国に旅行に行った。
彼氏の目的はサーフィンであったが、私は彼氏が居て読書が出来れば何処でも良いが、四国は以前一ヶ月ほど歩きまわったことがあったので懐かしさにも浸った旅でもあった。
太平洋沿いを数日ふらついていた或る日、徳島と高知の県境の辺りの夏祭りのポスターを見た。どうやら阿波踊りとよさこいを両方やるという。私は彼氏にせがんでその祭りの方角に車を走らせてもらった。
阿波踊りはいつ見ても圧巻だし、よさこいも目に眩しい。何よりも地元民の比率が多く観光客が少ないようなローカルな雰囲気が旅の情緒を煽って好もしい。先天性情緒欠落症のピーちゃんはお祭りの後半には「先寝てるわ」と車に戻っていったが、私のメインは人々が掃けていく“祭りのあと”にあるのであって、適当なところに腰を下ろし次々と消えていくテキ屋の明かりを眺めていた。
いかにも田舎の祭りのあとらしく、浴衣で着飾った少女たちがヤンチャっぽい少年たちにちょっかいを出されている。青春、結構。
テキ屋の親父たちは撤収作業が終わるなり次々に顔役と思われる爺様に挨拶をして次の街へ向かう。渡世、結構結構。
しかし私が本腰を入れて眺めて居たのはちょっと別の方角であった。
ヲタ芸を練習している少年が居た。次々にライトが消えていく中で、小さなペンライトがくるくると回ったりしている。ヲタ芸と一口に言っても、あれはたくさんの人間でやるから圧巻であるもので、四国の田舎町で一人きりでヲタ芸を練習しているというのは“孤高”という言葉すら感じさせるものがあった。
周囲は彼を遠巻きに眺めながらクスクスと笑っている。それらには嘲笑に近い響きを感じたが、私は手に汗を握りながら彼から目が離せなかった。
ネオンのない町の海岸で、彼の手元のペンライトだけが一番輝いていた。嘲笑に取り囲まれた彼の青春の輝きはどんなスポットライトより眩しいように感じた。
夜も更け人も疎らになる中でペンライトだけが彼の居場所を知らせるようにくるくる回り続けていることに強く胸を打たれた私は、心の中で『貫けよ』と一言呟いてから彼氏の眠っている窓を開け放したままの車の中に戻って、スイミン薬を齧った。
【それはスポットライトではない 浅川マキ】
