地方でうたをつくること | 北山あさひのぷかぷかぷー

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袋小路の抜け出し方

島根県松江市にある書店「青と緑」さんが主催のトークイベント「短詩の湖畔より〜"地方“から見た"中央”」をオンライン配信で視聴しました。

話し手は歌人の田村穂隆さん、俳人の鈴木総史さん、「青と緑」のオーナー・日下踏子さん(日下さんは塔所属で歌もつくっておられるそうです)。

それぞれの視点から、「地方」で創作活動をすることの苦労や利点、「中央(東京、大阪などの都会を指す)」に求めること、そして「地方」にできることは何か……ということが率直に語られていて、「そうだよねー」と何度も頷きながら視聴しました。

 

印象に残った発言を要約させてもらうと、

 

・都会に行かないと短歌の世界の中心に行けないんじゃないか、短歌できないんじゃないかと、どこにも行けないんじゃないかと思いこんでいた。なんでそうやって思い込まされていたんだろう。(田村)

・短詩をつくる上でのアドバンテージ、武器みたいなものはむしろその地方にこそいっぱい転がっているはず(田村)

・地方では短詩に接する場所が極端に少ない。地方では歌会がどこでやっているかがなかなか探せない、繋がり方がわからない。SNSでは情報が届かない方がやっぱりいる。そこを掬い取れていない。(日下)

・仲間内で合評会をしたり、ライバルじゃないけど、一緒にやっているという感覚が持てる、「世に出たい」みたいな仲間が身近にいるのは大きな違い(日下)

・句会の数とかイベントの数は圧倒的に東京のほうが多い。向こうにいればテレビに出る機会もある。地方のアドバンテージは四季がはっきりしていること。(鈴木)

・地元の新聞社の賞などを通して地域の短詩シーンが活性化する場合もある。それはとてもいい意味での「地方」。(鈴木)

・(東京出身だが)北海道は自分にとってはとても大事な場所。そういうところへの帰巣本能は、中央に出た人たちにも持っていてほしい。(鈴木)

・俳句では愛媛が「中央化」している(鈴木)

・場所を増やすこと、人のコネクションを増やすことが、地方ががんばれること。でも地方だけが頑張ればいいというわけではない。都会に出た人は都会に出っぱなしになってほしくない。都会に出た人の立場から地方にできることがあるはず。(田村)

 

録画を見ながらまとめましたが、細かいニュアンスなどありますので、ぜひアーカイブを購入してご確認ください。

こういう話が地方から発信されるのはとても大事なことだと思う。

なんか地方から声を上げると「じゃあ上京しろ」と言われたりするんだけど、全然そういうことじゃない……というのが、伝わったらいいな。

 

わたし個人が考えていることを少し書くと、風土や歴史など地方特有のものを詠んでいくことには確かに地方ならではのアドバンテージがあるとは思う一方で、みんながみんな地方に住んでいるからといって地方を詠む必要はない、ということは確認しておきたいです。

わたし自身は北海道の自然や出身地の小樽の歴史なんかにエネルギーをもらったり、創作する上で大きなテーマになっているのだけど、それはたまたまなんだと思う。

たまたま小樽という、北海道では特徴がわかりやすい場所に生まれ育って、たまたまそういう場所に興味があるだけなんだと思う。

転勤が多くて土地に愛着が持ちづらい人とか、地元が嫌いな人とか、自然にそもそも興味がない人とか、いろんな人がいるから、そういう人たちに「地方」がのしかかるようにはなってほしくない。

あとこれはすごく個人的なことなんだけど、最近、自分がどんどん、ただの「ローカル歌人」になっていくような感じがしている。自分で選択して、好きで詠んでいるんだけど、詠めば詠むほど地方に閉じ込められていくみたいな。これってなんなんだろうなあ。たぶん「地方」とか「風土」の向こうにもう一枚、深い地層のようなものが必要なんだろうなあ、と思ったりしている。

 

それと、地方に「場所をつくる」とか「機会を増やす」ということについて。

まず、地方にいてちょっと本気で取り組んだほうがいいと思うのは、歌人の批評を聴く機会を増やすことでしょうか。批評会でもシンポジウムでもいいけど、いい批評ができる歌人(←ここが重要。歌人なら誰でもいいわけではない)がしゃべっている現場を目撃することがなかなかできないというのは、地方の、特に若い歌人にとってすごく不利だと思う。今は現代歌人協会がイベントの動画を見られるようにしてくれているし、塔短歌会はYouTubeで批評会の様子を公開してくれていて本当にありがたい。現地に行けなくても視聴することができるのはすごく助かるので、まあ、現地で実際に参加するのが一番だけど、オンラインとかアーカイブといった選択肢がさらに増えることを願います。

 

それから、東京や大阪に比べて「開催してくれる誰か」が極端に少ない地方では、やっぱり自分が「開催する側」に回らなければいけないんだよね。

文学フリマが札幌で初開催されたのは9年前のこと。

わたしの友人の広沢流さん(当時のお名前です)が頑張って北海道に持ってきてくれたのだった。あんたは本当に大きな仕事をしたよと広沢さんに言いたい。

思えば北海道はそういう「繋がる」気持ちみたいなのは希薄な地域なのかもしれない。土地が広すぎるというのが関係しているのかわからないけど、文フリ以降おおきな交流系イベントが立ち上がるという状況にはなっていない。

というのも、「青と緑」のトークイベントでもちらっと話が出てきたけど、地元にいながら、地元にどんな人がいるのかよくわからない、というのが大きいような気がする。わたしも最近、田中綾さんから北海学園大学短歌会の学生さんとかを紹介してもらって、札幌にこんな人がいるんだ~!と思ったりしたので。

あまり社交的な人間ではないけど、もっと色んな人と知り合いたい。そこからまた建設的なことが始められたらいいな。

 

ほんとうはSNSでイベント告知を見て「おっ、予定あいてるから行こ~」ってふらっと行って、楽しんで、帰りに短歌仲間とお茶して帰るようなことがしたい。

「イベントや批評会も、もう最近は行ってないですね~、ちょっと面倒で……」とか言ってみたい。

でもそういうことはできない、地方では。地方はクソと思ったりもするけれど、悪いのは地方をクソにしてしまう社会や構造なわけで。

クソにまみれていたくはないので、何ができるか考えたい。

 

長くなってきたけど最後にひとつだけ。

これから短歌は新人賞発表の季節を迎えるわけだけど、地方は総合誌の発売が東京や大阪に比べると数日遅れます。

その間にSNSに投稿される新人賞関連のものは地方民にとってはすべて「ネタバレ」になるということを声を大にして言いたい。

受賞作から何首かポストされたりするけれど、それは未読の人の読書体験に少なからず影響すると思う。

新人賞はある種のお祭りだから盛り上がるのは仕方ないけれど、そこは配慮してくれるとありがたいなと思います。

 

【短詩の湖畔より〜"地方“から見た"中央”】は下記よりアーカイブが購入できますので、ぜひご覧ください。