秋田・八津のカタクリ! | Sasaki Oushu, 佐々木おうしゅう(欧舟)

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” 美しい日本の原風景には 美しい日本の心がある ” (^^
(時には(^^; 中英仏独西 5カ国語短文の紹介を添えて)
東北~関東~甲信越~北陸、北海道、西日本~九州
美的日本の名景 原風景の記憶 歴史を
Global IT Worldの片隅で・・





 秋田・八津のカタクリ

 デジタル中判RAW→小JPEG



 秋田はさりげなく“ババヘラ”アイス

売りの勤勉なおばちゃん達が初夏から晩夏

まで観光地に花を添えています。 

 野外観光施設の焼きトウモロコシ売りの

おばちゃんに抱返り渓谷の春期開通の状況

を尋ねたところ・・

「だぎかえりは・・・」

と目元鼻筋が整った顔で秋田弁で返されて、

若いおばちゃん本人も一瞬赤面したような

・・

残雪が消えたエメラルドブルーの抱返り渓谷

中奥の滝まで往復して、

有名な八津のカタクリ、刺巻湿原の

巨大 (^^; ミズバショウを巡る小旅行から

八津のカタクリ(日向は満開過ぎの様子)

を紹介します。

北関東にもカタクリの花園が複数あります

・・


 秋田県観光ガイド秋田の車窓から




 みちのく歴史小話
 秋田美人ミステリーニコニコ


 俗説のひとつ ( ̄□ ̄;)


 江戸時代の秋田の殿様と言えば佐竹氏・・

関ヶ原の戦い開戦前、上杉景勝討伐のため

北上する徳川家康率いる東軍は、白河の関

を越えず小山評定の後反転して、伏見城を

攻め落としていた石田三成と決戦へ

向かった・・

 佐竹氏の祖先は源氏の嫡流、源義家の弟

に遡るようで、すでに滅亡していた甲斐

武田氏に近く、徳川家康が秀吉により関東

に移される前は、甲信越~関東~奥州では、

上杉、武田、北条に次ぐ戦国大名で、かの

伊達氏(伊達政宗)はかねて攻め滅ぼし

損ねた後に急成長した目の上のたんこぶ

だった・・


 諸事情で会津の上杉氏と密約を結んで

北上する家康を挟撃しようとしたが、家康

が反転したために西軍東軍どちらにも

与せず関ヶ原が終わり家康が勝利した・・

 家康は上杉と佐竹の密約を察知して戦力

を温存していた佐竹氏を常陸から秋田半分

へ転封した・・


 佐竹氏は、旧領内の美人どころを秋田に

連れて行ってしまった・・水戸に入府した

徳川頼房の時代に、秋田領内の美人は水戸

へ帰さなかった・・

 その後・・秋田は美人、水戸は不美人

3地の1つになった・・


 私的な仮説です
 ニコニコ


 秋田で多い苗字として佐々木氏・京極氏

などがあるがこれらの源流は近江や山城

など西日本の京都周辺にあり

(WIKIPEDIA)

楽市楽座の織田信長の時代から近江商人が

急拡大して、奥州へも出羽三山や酒田を

拠点として進出し、江戸時代に人口が急増

した秋田へも新田開発や商業などの投資を

して移住してきた・・


 近江商人の進出は妻子を残した現在の

単身赴任が主流だったとも言われ、京都の

舞妓芸妓文化も日本海沿いに新潟、酒田、

秋田へと伝播した・・


 秋田湯沢出生で故郷に戻り生涯を終えた

という伝承がある平安の小野小町は秋田

出生と言うより、朝廷から派遣された官僚

(現地で結婚)の娘とされています。


 他に多少のロシア系の混血や海の幸山の

幸、美肌の温泉、冬の日照時間の少なさ等

も複合して影響した様子です・・


 秋田美人のルーツは

 古都京都近郊の美人 ?
  



 参考出典:

 東北開発夜話・夜話続のうち近江商人編

 (著者岡田益吉-経歴河北新報記者など)

(実際生き証人の老人達に聴取り調査した

著作で、絶版ですが一読価値があります!)





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 ★日本の名景 "ここで見れる" ハイライト
 1 富士山,箱根,大観山
 2 熊野,那智の滝
 3 御嶽山,御岳


 ★全国の名景 "ここで見れる" ハイライト
 1 富士山,箱根,乙女峠
 2 静岡県,伊豆半島,西伊豆 (準備中)
 3 茨城県,日立海浜公園
 4 秋田県,秋田駒ヶ岳