魔法使いだった父。 | 店舗PRツールも手掛ける看板屋4代目女社長のブログ

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72年続く看板屋「十字堂」の4代目女社長。 カッコイイ!可愛い!オシャレ!なデザインとサイン、そして美味しいモノが大好きです。 青森県むつ市にて、アナタのお店に入りたい!行きたい!とお客さまに思ってもらえるような看板を作っています。


こんにちは。
看板屋4代目、十字堂の山口博美(@miro1637)です。


私の人生は、この世に産まれ出た瞬間から仕合わせでした。
人として心から尊敬出来る両親のもとに生まれたからです。

でも、そう思えるようになったのは、大人になってから。
特に父に対しては、幼少期は(私にとっては)意味もなく厳しかった父に対しては恐怖心しかなかったし、その後の思春期に鬱陶しいと感じたまま私は実家を離れて暮らしていたから、たまの帰省でも特に深い話をする気もなく、それでもなぜか会社の状況や母のことを報告してくる父のことを何とも思っていなかった。


27歳の頃、1年間のアメリカ留学から戻り、貯金がすっからかんになった私は仕方なく実家にいて、たまたま事務員さんが不在だった父の会社を手伝うことになったのは、19年前。


そこから私の父を見る目が180度変わった。
仕事に対する誠実さや、難しい仕事に対しても簡単に無理と言わずあの手この手で楽しそうに工夫してやってしまうところ、緻密さと大らかさ、優しさと厳しさのバランス、お節介なところ、お人よしなところ、熱い想いを持っているところ、正義感と責任感の強さ等。


我が父のことをここまで書くのもどうかと思うけど、あれほどの器と人間としての可愛げを持った人はあまりいないのではないかと思っている。


そして、そんな父のところには、いつも色んな人が集まってきていた。
時として、いかにも父を利用しようとか自分の都合だけ押し付けてくる人とか騙してやろうという人も来ていて、私は 「はぁ(怒)?なんで父はこんな人の話聞くの?」 とよく思ったものだ。


そんな時も、その人達が熱をもって話す間ずーーーっと父は話を聞いていた。話が出尽くすまで我慢強く穏やかに聞いていた。
そして、長時間かけてその人が全てを話尽くした頃、ようやく父が自分の意見を言う。すると、そこですべてが覆り、最終的にはいつも父の意見が通り、来た人も満足して帰っていった。
それは本当に魔法を見ているようだった。


父は本当にすごい人でした。
私はたぶん一生かかっても父を超えられない。


父にはよく、「詰めが甘い」 「余裕がない」 と言われていた私。
私が父に褒められたことは笑顔くらい(笑)。ホントに。


それでも、いつかあの世で父に再会出来たら褒めてもらいたくて毎日頑張っている。



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もうすぐ11回目の命日が来る。



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