こんにちは。
今日は前回の高校のクラス会の記事の続きです。
担任のH先生、85歳が1時間だけどクラス会に出席してくださったことまでを書きました。
今日はその続きを。
いよいよ会が始まり、幹事からの挨拶やH先生への花束贈呈などがあり、続いて先生からの挨拶となった。
私たちの母校F高校は公立高校なので、地方公務員となる先生は転勤があり、退職までに何校が高校を変わることになる。
H先生がF高校に来たのは、私たちの入学より前。30代前半だろうか。体力・気力にみなぎっていらっしゃったことは容易に想像できる。
「いろいろんな高校に行ったけれど、F校は印象深い。最初の頃に、50mプールで息継ぎなしで生徒と教師の競争があった。生徒たちは自信満々だったけれど、実は私も自信があった。」
ここでちょっと間があって。
「結果は私の勝ちだった。」
「さすがバドミントン部の顧問!」などという声があがった。
続いていくつかのエピソードを語られてから、しみじみとおっしゃった。
「いい仕事に就いたと思う。みんなの成長を見られて。そして、クラス会に呼んでもらって、今の姿も見ることができて」
穏やかな笑顔だった。
続いて、私たちからの一言や近況となった。
幹事のまとめ役Eくんは卓球部の部長だった。高校3年間を卓球に捧げたと本人が言っているくらい。
でも、私が高校の頃は、今と違って卓球はマイナーなスポーツで部活動としてもそんなに人気はなかったし、体育館の隅で練習しているイメージだった。
だから、Eくんが卓球にどんなに思い入れがあるかなど、みんな知らなかった。
そんなEくんが語った。
「ある朝、H先生が『おめでとう』と言って、握手を求めてきた。なぜかというと、自分たちが試合でいい成績だったからだった。みんな関心がないと思っていたので、言葉でいい表せないくらい嬉しかった」
改めて書くが、H先生は卓球部の顧問でもないし、卓球に関係する仕事もしていない。
静かに心にあったかい火がともった。
そして、クラス会は当時の話で盛り上がり、再会を祝して終了した。
帰りは、タクシーで相乗り。私は幹事のまとめ役のEくん、幹事のHちゃん、そしてNくんと一緒。一人ずつ降りて、私とHちゃんになった。
Hちゃんはお母さんが亡くなっていて、お父さんが再婚していた。
当時、風の噂では聞いていたけれど、Hちゃん本人から聞いたことはないし、触れてはいけないというのが暗黙の了解だった。
そんなHちゃんがタクシーの中で言った。
「クラス会の一言のときに言おうか迷った話があって……。
おれ、2年の時に、おやじが再婚して……。それをH先生に言ったんだ。そしたら『よく自分に言ってくれた』って言ってくれたんだ。当時はなんか複雑な気持ちで、誰かには言いたかったんだけれど、なかなか言えなくて。先生の言葉はありがたかったんだよね。」
また、静かに静かにあったかい火がともった、心に。
焚き火のように、じんわり心があったかくなった。
きっと、みんなの心のなかにそれぞれH先生との思い出があるのだと思う。
もちろん、私にも。
それはいつかのクラス会で話せたらいいな。
H先生、いい仕事に就いたと思うような先生に担任をしてもらって、私たちは幸せだったんだと今さらながら思います。