コロナの第一回ワクチン接種の頃に、もとご近所さんAさんからメダカをいただいた。
でも、私はメダカを欲していたのではない。
Aさんのワクチン接種会場がウチから近く、車を停めさせてほしいとの連絡があった際に、お礼として持っていくとのことだった。なんでも家で飼い始めたら、どんどん増えているそうで、おすそ分けとのこと。
我が家は月に1回、静岡の実家に行っていて、数日は留守にするので「お気持ちだけでけっこうです」と丁寧におことわりしたのだけれど、鉢からエサ、ひもと針金で作った卵を産み付けるものまでセットで持ってきてくれた。
こうなったからには、生き物と預かった責任があると、ネットで育て方を読んだり、宅配の配達員や新聞の集金員など、我が家のピンポンを押す人たちからメダカ情報を収集(どのお宅でメダカを飼っていて、どんな鉢やどんな水草があるかなど)したりした。
こうしてなんとか第三世代まで育ってきた。
そんな第三世代について、2022年の5月のブログに書いていた。
この第三世代が昨年の冬に続々と死んでしまい、いつの間にか最後の1匹となっていた。
コミュニケーションなどとれないけれど、1匹となると「寂しくない?」「エサはちゃんと食べられてるのかな?」「水温は大丈夫?」など話しかけ、1日に数回はメダカを観察をしていた
そして、その最後の1匹が、先週、ついに昇天した。
生きているときは、半透明のような白だったけれど、底に沈んでいるメダカは真っ白だった。
そろそろ寿命かなと思っていたので、大きなショックは受けなかった。でも、あくまでも「大きな」ショックではなかったということだ
それから何日か過ぎたけれど、まだ自然にメダカの鉢があった場所に何度も足が動いてしまう。
意思疎通ができたわけでもないし、目と目があうようなこともなかったし、愛犬MoMoとのような触れ合いがあったわけでもない。
今、感じていることといえば、悲しみ、喪失感、もっとこうすればよかったという後悔、ありがとうとう感謝の気持ち、……どれもそうだけれど、なんかしっくりこない
もうちょっと経てばわかるのかな。
ただ、とっても小さな命の数々だったけれど、私に命を引き受けることの重みを、命の重さの何百倍、何千倍、いやあ、違うなあ、数値になんて置き換えられなくくらいあるということを教えてくれたことは確か。それがずんと心に響いている。