二人で逝ってしまった | ジュビリンち

ジュビリンち

犬と暮らす自営業。
晴れの日も雨の日も、
自分も周りもよい加減で
元気でいられることが
大切と思うこのごろ。

昨年の12月23日の深夜に義母が息を引き取った。

92歳だった。

胃がんの手術をし、心臓に持病があるうえ一型糖尿病だったので、医師からすれば、よく生ききったそうだ。

義母は12月の上旬から徐々に具合が悪くなっていったので、家人も私も年内に逝ってしまうかもれしないと覚悟をしていた。

 

一方、義父は95歳という高齢だったが、頭はしっかりしているので、義母の体調については理解していた。

 

12月19日、そんな義父が呼吸不全を起こして、緊急入院した。

一時は危ない状況だったが、目を覚ますと「ああ、よく寝た」と言って看護師さんを驚かせたそうだ。

しかし、入院期間は2週間となり、インフルエンザの流行等で、家族も病室に入れない状況だった。

 

そんなわけで、義母が亡くなったことを伝えようか否かを家人は兄弟で話し合い、義父の病状が悪くなるのではという心配から伝えないという選択肢を選んだ。

義母のお通夜、告別式は本人の希望通りの家族葬で行い、静かに送ることとなった。義父は喪主だが、長男の家人が喪主代理を務めることとなる。

 

 

お通夜の夜、葬儀社の司会者の方が家人たちに声をかけられた。

「もしかして、喪主の〇〇様(義父の氏名)は市役所の交通局長でいらっしゃいましたか」

その通りだった。

その方は、今の仕事に就く前に市バスでバスガイドさんを4年間していたそうで、「私たちのようなあまり接触の機会のないガイドにも〇〇様はよく声をかけてくださって、とってもあたたかい人でしたので、よく覚えていました」と。

義父らしい話だ。

私が初めて会った時も、大きな懐とおおらかさで、私の話をよく聞いてくれた。

 

滞りなく告別式が終わり、夫の実家の長崎から名古屋に帰ってきた。

義理の妹は29日に手紙で義母が亡くなったことを伝えたそうだ。

 

そして31日の夜、今度は義父が息を引き取ったと連絡があった。

その日の夕方、義理の妹が病室に入って義父に会うことができ、そのときは、義理の妹の話にうなずいて意識もはっきしていたそうだ。

亡くなるなんて思っていなかったとのこと。

 

 

義母と違って、あまりに急な展開だった。

私たちに心の準備ができていなかった。

2日にお通夜で、翌日が告別式と、あれよあれよという間に逝ってしまった。

 

義父と義母は私にとっては実の親ではないので、正直なところどのような関係だったかはわからない。私から見ると、夫婦仲良しだったけれど、その一言ではいい足りない気がする。

 

豪放磊落で明るく面倒見のよい義父と、クールで人の領域にずんずんと入ってかないけれどちゃんと人のことを見ている義母とは、互いを認めあって補い合う関係だったと感じていた。

どちらか一方に力が偏ることなく、いつも何かがおきるとピースのパズルがかちりと合うように意見の統一をはかっていた。

 

 

義父は、義母の死を知って、向こうで一人では寂しいだろうと思ったのだろうか。それとも、義母が寂しいと呼んだのだろうか。

 

義父は、義母が逝くまでは自分はしっかりしていなけばと思っていたのだろうか。義母はそんな義父がいたからこそ、医師も驚くくらい生きたのだろうか。

 

 

義母が逝って1週間、義母の死を知って2日後に息を引き取った義父は、もう義母に会っているのだろうか。

 

愚問だ、私!

 

……会えているにきまってる。