赤裸々すぎる?パート2w | Daraja -from Kenya-

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ケニアのこといろいろ

はじめて、ケニアのストリートチルドレンの子供たちのお話を聴いたときは驚いた。
シンナーを吸ったり薬物をする子たちが口を揃えて言う事。

「自分の思いだしたくない過去がフラッシュバックして怖くてたまらなくなる。シンナーをすると全部忘れてぐっすり寝れるんだ。」

こんな小さな子どもたちが、心に抱えきれない沢山の傷のために薬に手を出す。なんてことだ。と。

日本で同い年の子たちが、シンナーや薬をしてた時「ほんと、どうしようもない子たちだな。」としか思わなかった。
ただ、そこにもそれなりの理由があって、ケニアの子たちと大きな違いはないのかもしれないと思った。
遠い国の後進国だから起きていると思っていたのは私の偏見だったと知りました。

今日、西成の釜ヶ先で「こどもの里」理事長の荘保さんのお話を聞いてきて、自分の経験も踏まえて記録にしておきたいと思いました。

私が「こどもの里」を知ったのは、ふとしたきっかけで友達から教えてもらって。
子供好きだし、一回遊びに行ってみたい~!と連れて行ってもらったのがきっかけ。

里では、越冬期間といわれる12月~3月に「こども夜回り」と言って、複数のルートをおにぎり・お味噌汁・毛布などを持って里の子供たちを先頭に路上で寝泊まりしている方々の見守りがあります。

昨年、夜回りに参加した時に、はじめて「あいりん」と呼ばれる地域に足を踏み入れました。
私が小学生の頃「あそこは絶対にいったらあかんとこ」「危険地帯」「変な人しかおらへん」と言われていたところです。
中学生にもなると「俺ら昨日あいりん行ってきたんやで~」と強さ自慢みたいに言ってた子もいたな。

少しドキドキしつつ、アフリカでついた度胸もあったのか「あれ?思ってたより全然やん」というのが第一印象でした。
もちろん歴史をたどれば、様々なことがあったことに間違いはないのですが。

この夜は、本当に子供達から学ぶことが多くて。ここから私は日本にある身近な社会問題に関心を持つようになりました。

さて、今回は子供たちに関わる貧困について、荘保さんの経験などをもとにお話しいただいたのですが。

たくさん、ハッとする言葉がありました。

「問題児」とは問題を起こす子ではなく、「問題を抱えている子。」

自身の実体験に基づき、本当にそうだなと思いました。

私は、小学6年生の時に不登校になりました。いじめ、いじめられ、何かのきっかけで家にこもり、そこから出るタイミングがわからなくなったのです。

中学入学と同時に通学を再会し、その後は楽しい中学生活でした。

そして高校入学。大好きな友達がたくさん出来るのに、なぜか精神的に不安定になり。

この頃から、視線恐怖症や軽度のパニックの様な状態になることが多々ありました。

自己肯定感の無さからくる、損失感や、相手への間違った方法のコミュ二ケーション。それによってこじれる対人関係。
そして更に孤立感を感じるという悪循環。

そう、全ては自分を自分で認めれてないからこそでした。

両親とも元気で、ええ弟もいて、私の家は円満とはいわずとも家族が成り立っていました。

でも、どこかに積もる「認めてほしい」という気持ち。その表現の仕方がわからず、高校中退。通信高校に行きつつ働きだした頃には
家に帰らなくなりました。

今思えば、このころ開けまくってたボディピアスも、奇抜な髪形もw弱い自分を強く見せるための威嚇やったんやろうな~と思ったりする。

家に帰宅しても、モヤモヤしかなく。私の部屋の壁は穴だらけ。窓もバリバリ。自分を傷つけることもありました。
わかりやすく家の中で金属バット持ち歩いていたよ。笑

そんな時、なにを心配するわけでもなく、一緒にご飯を食べて、一晩中遊びに行って、朝寝て。2人の大切な友達がいつも側にいてくれたのです。そう。私には逃げ場があった。弱音を吐ける場所があった。

そして、各々が問題を抱えていました。

最終的には、自分を傷つける行為がひどくなったときに親に面と向かって「あなたの帰ってくるところはココにあるんだから」
と口には出さずとも、心で言っていることを感じたときに目が覚めたのです。今思い出してもはっきり鮮明に覚えてます。目が覚めた瞬間。

私が、暴走しすぎていたんだと。


今の年になって、たくさんのことを自己分析していくと「あ~~あの時は、きっと自分に甘えてただけなんだよ」と友達にいったりしますが。実際、その当時は間違いなく辛かったのも事実なのです。甘えたいのに、上手く甘えれなくて、自分の存在価値も見出せなかった。

そして、誰が悪かったというわけでもないのです。
両親が悪かったわけでもない。親だって人間ですから、その時々の状況で抱えている問題があるわけで。
きっとあの頃は、皆が皆辛かったんだな。と理解できます。

そのあとに、どのタイミングで気付いたのか?自己肯定の大切さです。気持ち悪いぐらい自分を好きになってみよ~と、何から何まで自分で褒めることにしてw(自惚れとか傲慢とは別ね)

そうしたら、ウソみたいにポジティブになりました。
そしてアフリカに言って、自己主張しまくっていい環境がさらに自己を強めてくれ、今に至ります。笑

そして、うちの家族は最高の理解者であると今は胸を張って言えます。私の一番の相談相手であり、応援者です。

こんな話をわざわざ書いたのは、私の当時の暴走が悪かったというわけではなく、私の家の様に大きな問題を抱えていない家にも、それぞれの感じ方や個性があって、日常に起きたことがトラウマになったり、なにかのきっかけで自己否定のきっかけになることもあるということです。大した事か大した事じゃないかなんて、基準にはならない。


シンナーをする子、他者を傷つける子、自分を傷つける子、犯罪を犯す子、など。SOSの出し方が子供たちそれぞれ違うから、それが世間からしたら問題を起こす子に見えるということ。

問題を起こす子ではなく、問題を抱えている真っ只中の子であり、その消化方法やSOSの出し方が不器用なのです。

そして、今日のお話で本当にショックだった事。
日本の子供たちの自己肯定感のあまりにも低い結果。それによって増える、成人までの死亡理由ダントツが自死。
そして将来への希望の無さ。

私の家の様な状況でも、私の様な青少年期の問題があったということは、自分たちのまわりの何気ない家庭の中にもたくさんあり得るということ。


私には受け入れてくれる人がいました。でもその受け入れてくれる場所さえ見出しにくかったら?

別に、何かをサポートしなあかんとかじゃなくて、ただ一緒にいて、話して、生きてるだけで十分。出会ってくれてありがとう。ってハグしてあげれるところが近くにあれば、きっと変わるはず。

"居場所は「いのちの現場」「いかに自己肯定感を育むことができるか」が鍵を握っている。"

この言葉も今日書きとめていた一部。

そして、子供に留まらず、それは大人にも当てはまります。子供たちの親の状況が尚更大切なのです。


アフリカばっかり追いかけてきた。それにもたくさん意味があって、今につながることがたくさん。
私の辛かった時期も、全て勉強だった。
そして、たくさんの御縁でこうした事が日本でも身近にあるということが分かった今。

孤立しやすい社会だからこそ本当に見えないところに心の貧困を始め、沢山の貧困がある。。。
金銭、生活状況以外にも貧困というのは沢山当てはまるのです。

こういったことを身を持って感じてきたからこそ、その人がどんな状況であれ、安心できる場を提供できたら。
以前の決意表明でも書いたように、人と人がもっともっと自然に繋がりあえる環境を最終的に作りたいと強く思うのでした。