まず、私が年代を表記する時は、基本、西暦を使うのでご了承ください。
趣味の話になるが、現在でも艦船模型を作る人の中で、特に最近始めた人も含め、情報が思い込みに依るものなど錯綜しており、まるで思想に凝り固まっている人の様に、意固地に人の話を聞かない人も居るので、
ここで、知っている限りの事をかいておきます。
個人のサイトや模型店の掲示板に書き込むにしろ、長文は嫌われるので、ここに書くのだが、 ここは模型ブログじゃないので、ここにたどり着いて理解してくれる人はほとんど居ないと予想はするが、誰か一人にでも届けば良い。
戦艦大和と、同型艦の武蔵は、プラモデル創世記からキット化されてきたが、形状や武装形態など、正確とは言い難い物しか無かった。
極秘資料だった二隻の資料が近年明らかになったり、海底調査も進んだ事、プラスチック成型技術の進化や、最新のレーザー彫刻機などの導入により、90年代から、恐らく実物に忠実(に近い)な新製品を模型各社が発売してきた。
その為かマニアの間で話題になり、論争にもなった事がいくつか有る。
目立ったのは、両艦の甲板塗装と、武蔵が最終時に噴進砲(ふんしんほう・・・多連装ロケット弾発射機)を装備していたか否かという点だ。
フジミより発売された多色成型の大和や武蔵に、甲板が黒のバージョンが有る。若い人、特に最近になって艦船模型に手を出し始めた人にはそれが嘘に見えるか信じがたい事の様だ。
甲板が黒で塗られていた説は、90年代から論争になっていたが、確か元乗員の証言が有ったからだと記憶しているが、間違っているかもしれない。
答えは、黒色ペンキで塗られていたのでは無い。木甲板の上から
「不燃塗料の水ガラス」が塗布されていた物らしい。
モデルアート社が2000年に発売した「軍艦の塗装」に詳細が有る。
一部だけ抜粋するが、水ガラスを主剤とした耐火塗料に顔料として松煙か黒鉛を混入した物を塗布した物と考えられるとの事である。
幼い頃、私の通学路に神社がある山沿いの道が有った。そこだけ空気が違い、道は軽自動車が通れる位の細道で砂利の入ったセメントで固められた粗末な舗装だった。
その地区だけ、木製の古い電柱が有った。その表面はタールを塗ったような感じだったが、かすかに艶が有った。
大和や武蔵の甲板も多分、そんな感じの塗装だったのだろうと想像している。
その塗料の性質からして、クリアー成分が強く、半透明みたいな感じではなかったかと思う。真っ黒は有り得ないし、米軍が撮影したレイテ沖海戦の武蔵、沖縄特攻時の大和を見ると、かなり黒っぽいが所々ムラが有る様に見える。
また、主成分の水ガラスの性質から、衝撃に弱く、爆撃や主砲射撃時に、剥離しやすかったのではないかと想像する。
↓の写真は10年以上前、今は無き「日本模型」から発売されていた古い武蔵の模型に、ピットロードの武装パーツなどを使って完成させたもの。
甲板は一度木甲板として塗装して、薄めた黒をその上から塗布した。
写真はフラッシュの為明るくなって見えるが、実際にはもっと黒ずんでいる。
戦艦武蔵に積載された、墳進砲については、元乗員の方の証言によると、艦橋と煙突の間のスペースに試験的に一基(両弦で二基)搭載し、一度だけ試験射撃をしたものの、それっきり使う事なく、存在も忘れられた(取り外される事はなく、ただの置物と化した模様)そうだ。
大戦末期の空母や戦艦伊勢型には複数の墳進砲が搭載されて使用されたものの、敵を脅かして一時的に雷撃や爆撃の工程を狂わす程度で、撃墜した事は無かった様なので、片弦一基のロケット弾幕では効果なかっただろう。



