BTR-80(БТР-80ベテエール・ヴォースェミヂェシャト)は、ソビエト連邦で開発された装甲兵員輸送車である。
1984年に採用された。
BTR-70の改良型にあたる。
ソビエト連邦軍では、装甲兵員輸送車として装輪装甲車であるBTR-60PBやBTR-70を運用していた、しかし、1979年から始まったアフガニスタン侵攻では、出入り口が上面にしか無いため、乗降しようとした兵士がムジャーヒディーンに狙撃される、ガソリンエンジンは被弾するとたちまち発火・炎上し、しかも小型のエンジン2基という組み合わせでは荒地での運用が困難などといった欠点が次々と露呈し、BTR-60、70共々「燃える車輪付き棺桶」という不名誉なあだ名が流布する有様であった。
こうした欠点を改善すべく、アルザマス自動車工場では1984年から新型装甲兵員輸送車の開発を開始した。
BTR-70がBTR-60PBからの小改造にすぎなかったのに対し、BTR-80は様々な改造が施されている。
主機は、BTR-70までは120馬力のガソリンエンジンを2基搭載していたのに対して、BTR-80では260馬力のディーゼルエンジン1基にまとめられた。
ディーゼルエンジンは被弾した際に発火しにくく、また、燃費も良いことから、出力の向上と信頼性の確保がはかられている。
BTR-70では逆三角形の小型のもので実用性に欠けた側面ハッチは、上部にもハッチを追加して大型化している。
そのため、ハッチ上部は前方向に、ハッチ下部は真下に開く、やや複雑な構造になっている。
兵員室は、天井がやや高くなり容積が増加している。
完全武装の兵員8名が左右4名ずつ背中合わせで乗車する。
BTR-60以来のガンポートは形状が変化しており、いずれも斜め前方向を向いている。
砲塔も、BTR-60PB以来となるKPVT 14.5mm重機関銃とPKT 7.62mm機関銃を各1丁装備したものが搭載されるが、アフガン侵攻で高所から攻撃された戦訓から、機関銃の最大仰角をBTR-70よりも拡大している。
また、発煙弾発射機も装備している。
一方で、主機は相変わらず後部に搭載されているため、兵員は車体側面のドアや上部ハッチを用いて乗降しなくてはならない。