終戦前日の「最後の戦没艦」軍艦旗を靖国神社に奉納 最後の生存乗組員が持参 | 戦車兵のブログ

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日本海軍の最後の海戦?戦没した海防艦代3号の軍艦旗が靖国神社に奉納されたという。

ちなみに日本陸軍の「軍旗」は一旒だけ終戦時の「奉焼」を免れて奉納されている。



海軍の軍艦旗は汚れたら交換されたが、陸軍の「聯隊旗」「軍旗」は大元帥たる天皇陛下自ら下賜されたものであることからボロボロになって房だけになっても交換されることはなかった。



本物の軍艦旗がどれくらい現在あるのだろうか?



以下産経ニュースより転載





 終戦前日の昭和20年8月14日、兵庫県香美町沖の日本海であった「香住沖海戦」で、「最後の戦没艦」となった海防艦第13号の軍艦旗が24日、靖国神社(東京)に奉納された。


戦友会が保管してきた軍艦旗を持参した最後の生存乗組員、元水兵長の菅野昭さん(86)=東京都=は「戦後71年。海戦で亡くなった乗組員らの慰霊につながる。これでけじめがついた」と感慨深く話した。




 海防艦第13号は米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。乗組員約400人のうち56人が戦死した。


同町香住区の岡見公園には昭和52年に慰霊碑が建てられ、今月6日には慰霊祭が営まれた。


 軍艦旗(縦約1・3メートル、横約2メートル)は、沈没寸前の第13号から乗組員が決死の覚悟で回収。


戦没艦の軍艦旗が現存するのは珍しく、戦後、生存乗組員でつくる戦友会が大切に受け継いできた。





しかし今年5月、保管していた乗組員の古徳弘さん(川崎市)が86歳で死去。



同艦の生存者は菅野さんだけとなり、古徳さんの願いでもあった海防艦の慰霊碑がある靖国神社への軍艦旗奉納を決めた。



 この日は菅野さんらが靖国神社を訪れ、本殿に参拝後、古徳さんの遺族から預かった軍艦旗を奉納した。



靖国神社の小方孝次権宮司は「後世にしっかり伝えます」といい、菅野さんは戦後の重荷を下ろしたように「第13号の代表として、軍艦旗を奉納しました」と話した。



 奉納された軍艦旗は、靖国神社内の戦争関連の資料などを展示する「遊就館」で保管されるという。


(産経ニュース)




靖国神社へ参拝することがあったら、是非拝見してみたいものだ。