師団 | 戦車兵のブログ

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師団(しだん、英: Division)は、軍隊の部隊編制単位の一つ。


旅団・団より大きく、軍団・軍より小さい。


師団は、主たる作戦単位であるとともに、地域的または期間的に独立して、一正面の作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位とされることが多い。


多くの陸軍では、いくつかの旅団・団または連隊を含み、いくつかの師団が集まって軍団・軍等を構成する。


師団の編制については、国や時期、兵科によって変動が大きいが、21世紀初頭現代の各国陸軍の師団は、2~4個連隊または旅団を基幹として、歩兵、砲兵、工兵等の戦闘兵科及び輜重兵等の後方支援部隊などの諸兵科を連合した6千人から2万人程度の兵員規模の作戦基本部隊である。


多くの国において師団長には少将が補せられるが、ソ連・ロシアや東ドイツ等の旧東欧諸国では大佐が務める例も見られる。


日本陸軍では師団長は中将が親補されていた。


師団は、幕僚部(師団参謀部・師団副官部・師団法務部など)を固有する、最小の部隊でもある。


歴史


欧州での呼称


従来、陸軍は雑多な兵科混成集団であったが、それを師団に分割して、一定の規則性を持った部隊に編成することによって、部隊の管理を適正に行えるようにした。


欧州での師団の「division」などはフランス語の「dividere」(=分割)から由来しており、1759年、七年戦争の折にフランスのブロイ公爵ヴィクトル・フランソワが軍を分割して師団の編成を採ったことに端を発する。


その後、フランス革命戦争時代にラザール・カルノー陸軍大臣は師団 (dividere) に独立作戦能力を与えた。



欧州での標準化


ナポレオン・ボナパルトの時代には11師団を編成し、ヨーロッパを席巻した。


フランスに抗戦したオーストリアやプロイセンも師団編成を倣い、やがて欧州各国軍の標準的な組織形態となった。


この頃の欧州各国軍は1つの師団を2個旅団~6個連隊~8個中隊という構成にしていた。


divisionという語はこれら欧州の文化を源とする欧米諸国の陸海空軍いずれでも用いられており、陸軍及び海兵隊では師団、海軍では隊又は分艦隊、空軍では航空師団などと訳されることがある。




戦闘部隊の組織を整理して管理を容易にしたことで、陸軍は外征の能力を高めた。


それぞれ兵站を持ち自己完結性を有する各師団は、独立して外地で作戦を遂行することができるようになった。


師団の語の由来


日本語における「師団」という単語は、1888年(明治21年)に1871年(明治4年)以来の鎮台を改編して西洋と同様に6個の部隊規模へと分割した時に新たな名称として、フランス語、またはドイツ語の「division」の和訳として「師団」が当てられたものである。


「師団」の「師」という言葉、又は文字は、中国の周の時代の軍隊の単位である師に由来し、これは5個の「旅」をまとめた計2,500人からなる部隊を意味し、5個の「師」で「軍」を構成していた。


中国人民解放軍は今でも、日本で云う「師団」は「師」、「旅団」は「旅」と呼んでいる。



近代陸軍の黎明期(日本)


明治期の日本陸軍では主力の歩兵部隊に、これを支援する砲兵、騎兵、工兵、兵站の各部隊を組み合わせて(歩兵)師団としていた。



1888年の師団組織発足から50年間ほどは師団内は2個旅団~2個連隊~3個大隊~3または4個中隊という組織形態を採っていたが、中国大陸での戦線拡大で師団数を増やす必要から、1937年(昭和12年)以降順次、師団から旅団を省いて3個連隊~3個大隊~3または4個中隊という組織形態に改めた。



初期形態では1つの師団が4個連隊で構成されていたため「4単位制師団」と呼ばれ、改組後の形態では1つの師団が3個連隊で構成されていたため「3単位制師団」と呼ばれる。



その後、広い中国で治安警備用の部隊を分散配置させる必要から、師団内から連隊を省いた構成の2個旅団 - 4個大隊 - 4個中隊という師団も編成された。



大日本帝国陸軍では、3個歩兵連隊を統括するために旅団に代わって歩兵団が置かれた。



日本陸軍初の3単位制師団は1937年9月30日編成の第26師団である。



近代陸軍の黎明期(世界)


第一次世界大戦頃までは、山岳師団などを含む歩兵師団と、騎兵師団くらいしか存在しなかったが、陸軍の近代化とともに機甲師団、空挺師団などのさまざまな兵科師団が置かれるようになった。


山岳師団は山岳戦闘を専門とする師団で、登山に必要な装備や訓練を受けている場合が多い。


山岳では運搬が困難な重砲は装備していないが、分解して人力で運搬可能な山砲を装備していた。


空挺師団は落下傘降下(エアボーン)によって部隊が展開される師団であり、山岳師団同様に重砲の装備はなかった。


機械化歩兵師団は、部隊の移動が徒歩ではなく装甲車やトラックのような自動車によって行なわれた師団のことであった。


米海兵隊の海兵師団は上陸戦用の歩兵師団であり、揚陸艇や揚陸艦によって展開される歩兵師団であった。




現代の師団


21世紀初頭現在では各種師団も変様し、山岳師団であっても戦車を保有し、空挺師団の侵攻方法も落下傘よりはヘリコプターや車両が中心となり、機械化歩兵師団も自動車が行き渡った現在においては、徒歩以外での移動手段を保有せず必要に応じて他の部隊から機械力の助けを借りる軽歩兵師団と呼ばれる歩兵師団以外の全歩兵師団が機械化・自動車化されているといえる。


米軍の海兵師団も舟艇による着上陸と同様に、ヘリや垂直離着陸機による侵攻手段を備えている。


中世からの乗馬による戦闘部隊であった騎兵師団は銃砲の発達で一度無くなったが、師団より小さな規模でのヘリコプター主体の部隊名に使用されるようになっている。