僕が小学生の時に、世界中を熱狂させた家庭用ゲーム機「ファミコン」が発売されました。当然、僕もその洗礼を受け、ファミコンに熱中しました。
初めて買ってもらったゲームは「エキサイトバイク」でしたが、このゲームにはコースのエディット機能が付いており、自分でコースを作る事が出来ました。コースが作れるという事はバリエーションは無限にある事を意味し、子供ながらに「これがあれば一生遊べる」と思ったものです。
当たり前のようにハマり、5時間くらいぶっ続けで遊んでいたら、見事に母から怒られました。それも、今となっては良い思い出です。
そんなある時、何故かゲーム売り場にゲーム雑誌が置いてありました。置いてあるといってもただ置いてあるのではなく、ゲームソフトとならんでショーケースの中にあったのです。
プレミアの付いたお宝雑誌ならまだわかりますが、なんの変哲もない普通のゲーム雑誌です。そんな奇妙な光景は、後にも先にもこの一回限りでしたが、僕はこの雑誌に強い好奇心を持ちました。それは、「ゲーム雑誌」が存在していることを知らず、衝撃を受けたからです。
「ファミコンマガジン(ファミマガ)」
それが雑誌の名前でした。結局、この雑誌を購入したのですが、当然、内容はファミコンゲームの情報ばかりでした。
新作ソフトの紹介や攻略記述が多かったのですが、その中に奇妙な記事がありました。それは、ファミコンゲームの記事ではなく、アーケードゲームの記事でした。
「俺たちゲーセン野郎」
それが記事のタイトルでした。担当したのは「田尻智」氏。この名前を聞いてピンときた人は、ゲーム好きだと思います。
そう、あの大人気ゲーム「ポケットモンスター」の生みの親です。
本当に小さなコーナー記事だったのですが、僕にとってはこれも初めて見るアーケードゲームの情報でした。
そして、ファミマガを購入したり立ち読みしたりして、方法は様々でしたが、毎回読むようになりました。すると「俺たちゲーセン野郎」は、僕にとって貴重な情報源となっていました。
時が経ち中学生になると、これまで蓄積した知識を実践の場、つまり「ゲーセン」で活かす事になります。
僕の認識では、継続的にゲーセンに通うようになった時期は1980年代末でしたが、この時はシューティングゲームの絶頂期だったようです。「グラディウスⅡ」がリリースされたといえば、ゲーム好きには理解出来ると思います。
そのあと、1991年に世界を熱狂の渦に巻き込んだ「ストリートファイターⅡ」がリリースされるのですが、僕はちょうど過渡期にゲーセンデビューをしたのだと思います。
そういう意味では、短期間のうちにゲーセンの変化というものを感じたのですが、その変化を実体験として経験出来ました。振り返ってみると、それは僕にとって、かけがえのない財産になったと思います。そして、その事を噛み締めつつ、読む事が出来た本があります。
「ゲームセンタークロニクル」
アーケードゲーム専門誌「ゲーメスト」の元編集長「石井ぜんじ」氏が書いた本です。仕事でもプライベートでも、ゲーム漬けの石井氏は、まさにプロ中のプロの1人だと思います。
この本には、ゲームプレイヤーとしての視点、雑誌編集長としての視点など、多角的にゲームとゲームセンターの歴史が書かれています。僕でも知らない事があり、とても勉強になりました。
ゲームは生きていく上で絶対に必要なものではありません。だからこそ、存在していくために、続けていくために必要な哲学があります。その哲学を感じる事ができ、教えてくれる本ではないかと、僕は思っています。
