依知川さんのXより

 

早いものですね、9月になれば平石さんの一周忌です。
去年の4月、NHKホールのジュリーライブでは
2階の客席にBARAKAのメンバーと並んでおられました。




8月1日は阿久悠さんの命日でしたね。
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昨日の保津川下りのブログで
待合室にあったジュリーの
サインは1984年4月13日。
当然、この日はお休みだったんでしょう。
もしかして前日は京都でライブだったのだろうか?
と、YOUNGのスケジュールを確認しました。
1984年3月号。
春のコンサート・ツアーと
大河ドラマ「山河燃ゆ」の撮影中です
 
〇印がお休みの印
4月13日です。↓
 
〇印(4月13日)の前日は東京で撮影。
12日は京都や大阪でのライブではなかったのですね。
翌日は四国の松山でライブの予定。
 
東京から13日に京都まで来て
エキゾティクスのメンバー達と一緒に
保津川下りをして、京都に泊まり
翌日、松山に行ったのでは
と想像しています
忙しいですね。
 

 

 

先月、職場の組合の旅行プレゼントに当選、保津川下り(京都府)をしてきました。

応募者多数で当選した人はラッキーですと組合の方から言われ、嬉しい~!(^^)!
(但しタダではなく、自費で4000円と、嵐山に集合までの交通費は自分持ち)
 
保津川下りにはもう30年以上も前に行ったことはあるのですが、その時は全然知らなかったんです。
待合所にジュリーのサインがあったなんて。
のちに、京都のジュリ友さんから、ジュリーのサインが有りますよと教えていただき、しもた~
全然気が付かなかった💦 今回は川下りとサインを見る、良い機会です(^^♪
 
保津川下りの待合所で、沢山飾って有るサインの中にジュリーの名前を確認。
上段、真ん中です。
 

 
年期が入っていて、サインは黄色く変色していました。
もう40年以上も前のサイン^^;
1984年4月13日
 

1984年4月13日の上の、クシャクシャの文字が読めないんですが・・・

 
ぽぽろんさんちのサインを参考にさせていただいて、ジュリーはバンド名を一緒に書くのだと気が付きました。
当時のバンド、EXOTICS!
ソロ歌手と誰もが認めた1973年ごろでも、ジュリーはPYG(解散はしていない)とサインに書いていましたね。
 
ジュリーの周りは、当時の時代劇の大物俳優さんたちのサインがいっぱい、京都太秦に撮影所があったせいだと思います。
右端の伊丹十三さんのサインが一番古い様です。
必殺仕事人、郷ひろみさん、桂ざこば師匠、ドリフターズ、美空ひばりさんらのサインも。

 

 

 

右側が古く、左側にいくと最近のサインですが、写し忘れました。

 
改めまして、当日の行程を最初から。

嵐山の渡月橋を渡り、トロッコ嵯峨駅へ


トロッコ列車に乗って丹波の国「亀岡」へ。
「亀岡」から京の名勝「嵐山」まで再び下る、約16キロの旅。
乗船券が大人一枚6000円にビックリ😳
そんなに高値だったのね💦
他にトロッコ電車代、バス代がかかります。自費で4000円も仕方なし。
 
 
トロッコ電車に乗りこみ、いざトロッコ亀岡駅まで。
嵐山からゆるやかな川の流れを緑の木々の影から見ながら、列車はだんだんと急になる保津川の上流へと向かいます。

 
列車から眼下に川を下る船が見えてきて、だんだんテンションがあがりました。
 
嵐山まで16キロ、約2時間の船旅で、そんなに長時間にわたる川下りとは思いませんでした。
黒く日焼けをした、屈強な船頭さんが3人で漕いで
はじめは高いと思った6000円の料金は当然だとわかりました。

船頭さんの冗談を交えた軽妙な説明に、狭い船の中で笑い声が何度も上がりました!(^^)!
 

 
急な箇所で、水を何度もバッシャーンと浴びて
なんと私の座った場所が、一番水を被る席でした。💦
一応、ビニールをかけていたのに、隙間から手提げ袋の中に水が入り、中の本がグショグショに。
 
 
 

 
 

 
途中の岸壁には岩つつじの赤い花、鹿や水鳥達を見かけながら、1時間45分かけて嵐山に戻ってきました。
良い経験ができて、楽しかったです(^^♪

 

今年もいっぱい咲いてきました
もみじ葉朝顔。
もう10何年も植えているので、ちょっと株が古くなってきました。

 
ミニひまわり
 
初めて植えた鹿子百合。
いまいち花付きが良くありません。
トンボが遊びに来ました。
 
 
蓮の花は、青森のジュリ友さんより
『近所、猿賀公園の蓮(7/27 9時前)です』
とても綺麗、有難うございます。

 

 

熊本の地震で、色々 昔を思い出します。

阪神淡路大震災の時は1月の真冬でした。

 

真冬だから、まだしも助かったと思うことがあります。

電気が来なくても、布団を重ねたら寒さはしのげます。

灯油があったのでストーブが使えました。

寒いので、冷蔵庫の中の食品は腐らず、食べることが出来ました。

避難所に支給された冷たいおにぎりに、涙したと友人は言っていましたが。

 

夏の暑さをしのぐことがどれほど大変か。

熊本に早く日常が戻りますように。

昨日、熊本でまた地震が。
時間とともにどんどん被害の大きさが伝わり、またかと暗澹としています。

被災された皆様にお見舞いを申しあげます。

熊本に親戚がいるので心配しましたが、大きな被害は無かったそうです。
いつどこで何が起こるのか、想像も出来ない毎日ですが、被災された皆様は、いつもの日常を少しでも早く取り戻せますように。
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3年前の2023年4月に、熊本のジュリーライブに行きました。ライブと、熊本城の復興を見てみたくて。
当日はコロナ禍ながらスタンディングと声出しOKになりました。
熊本ライブは5列センターの良い席でした。
MCを過去ブログから転載します。
 
熊本の皆さんはノリが良かったです(^^♪
ジュリーは、クマモン会館!と第一声。
まいど!おいど!まいど!おいど!の応酬は、岡山に続いてここでも。
久しぶり~!声だしOKになりました。マスクはしないといけないけど。
熊本でも、まいど!おいど!まいど!おいど!でした。

久しぶりの熊本、クマモン会館、74歳です。
さいたまのチケットは買ってくれましたか?
正規席は完売、イワク付きの席を販売しています。
18000席、完売しました!
WOWOWで中継を考えています。
DVDも出ますが、あまり大勢の人が見たら、DVDが売れない。
75歳で引退するわけではない、だらだら続けます。
馬刺食べて辛子蓮根食べて、元気に過ごしたい。
銀座の熊本物産店で赤酒を買う。(味醂だそうです、私は初めて知りました。)

『コロナで3年間いいことなかったね』といいながら映画の話をわりとしました。
沢山の受賞報告の後で、スポーツ新聞系や日本アカデミー賞には、全然貰えず。
あれは出席しないともらえない。
もう、賞は(受賞者が)決まっているのに、みんな受賞しなくても出席している。その先のことを考えて。
賞を貰えた時に、五人の内の1人ですか?と聞いたら、受賞は決まっています。
そんなアホなことがあったんや!と、満面の笑顔のジュリーでした。

私の前方席の皆さんはノリノリで有りながら、バラードでは座る方も少なくなくて、切り替えの見事さ、マナーの良さにも感心。ジュリーもず~っと楽しそうに歌ってくれました。お陰様でとても気持ちの良い楽しいライブでした。
 
(※2023年4月はコロナ禍も少し落ち着き、ライブは声出しスタンディングOK、しかも6月にはさいたまスーパーアリーナのライブが待ち受けていました。ジュリーは映画賞も沢山受賞した年だったと思い出します。
再び熊本に、早く平穏が戻りますように。)
 
 
2023年は、まだコロナ禍の最中でマスク着用が必須でした。
 
 シアーズホール夢ホールは、熊本城のすぐ近くに有りました。
 
 
 ライブの直前に訪れた熊本城(2023年)
 
 お城は綺麗でしたが、石垣はあちこちで修復中でした。
修復には長い年月がかかるのに、今回の地震でまた崩れていましたね😥
 
 威勢の良い応援隊の皆さん。
再びの地震ですが、元気を皆さんに届けて下さい!
 
 ライブの翌日には水前寺公園に行きました。
 会館の周りは都会でしたが、清正公の時代からの歴史が、今も一緒息づいているのを感じた熊本でした。
1日も早い復興をお祈りしています。
家人から、ジュリーが今からTVに出る!
と教えてもらい、慌てて見ました。
全然知らなかったので、間に合って家人に感謝。
映像はいつもと同じ、勝手にしやがれだったけど。
 
いや、懐かしい!ローラ~!!1974年
ヒデキさんがジュリーのニーナ!のすぐ後に
「傷だらけのローラ」をリリースした時
マネしてる!と思いましたわ(・・;)
ヒデキさんサイドは、もっと前から企画していたと
否定していましたけどね。
 
いずれの楽曲も放送時間が短いのが
いつも物足りないものの
舟木一夫さん、加山雄三さん
43歳の吉永小百合さんの美しいこと
25歳に見えない色気のいしだあゆみさん等
懐かしい顔ぶれをいっぱい見られました。
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東野圭吾さんの訃報にとても驚きました。
何作も読みました、ドラマ化や映画作品も見ました。
まだ68歳なのに。

東野さんの作品は「白夜行」が

話題になってから読み始めました。

一度読んだら、ページをめくる手が止まりません。

 

「幻夜」は阪神淡路大震災が小説の背景にあって

まだ震災の記憶が生々しい時期

被災者の一人である私は読み進めながら

小説の情景の灰色の廃墟が頭の中に広がっていました

 

「トキオ」はジュリーのTOKIOと

リンクするところが有りますが、

NHKの櫻井翔さん主演のドラマでは、特に言及は何もなかったように思います。




 

東野さん、美輪明宏さん、山田五郎さん

もっともっと長生きしていただきたかったです。

 



 

 

 

 


FMおおつ「鈴木英之の音楽の館」はジュリーのカバー曲特集
さんごさんが、詳しくアップしてくださっています。⇒ https://j0625.seesaa.net/article/521205920.html
 
一応私もアップしますが、聞き取れなかったところは多々ありますので、ご了承くださいm(__)m
(※青字は私の感想です)
 
BGM、恋のジュークボックス(ルベッツ)
(※ルベッツのオリジナル曲を先に聴いていたので、ジュリーがアルバム曲ですと、ラジオで流した時にビックリ!なんでジュリーが歌っているの?? 同じレコード会社だからカバーが実現したんですね。その当時はそんな裏話を知りませんでした)
 
BGM、キックス(タイガースがヒットパレードに初出演した時の曲)
 
ジュリーが歌うカバー曲
♬ somthing(ジョージ・ハリスンのトリビュート.アルバムから)
♬ you are so beautiful(フリーコンサートの音源)
 
BGM、ラビングユー(押尾コータローさん、アコースティックのカバー)
♬ この惑星の終わりに(As time goes by)
(※洗練されてエレガントなジュリーの声にうっとり・・)
♬ 脱走兵(ACTの音源)両大統領への最高のメッセージ
(※私がリクエスト、今こそ世界中に届けたい曲です)
♬ with out you(ネルソン)
(※ジュリーの声の若さが際立つ)
 
ジュリーの曲をカバーした3曲
♬お江戸(TOKIO)カブキロックス
♬気になるお前(近田春夫 ハルオフォン)
♬シーサイドバウンド(ハワイアン風)
♬君をのせて(南佳孝、トロピカルバージョン)
♬コバルトの季節の中で(岩崎宏美)
(※ジュリーのオリジナルとは、各曲ともにアレンジ、テンポ、歌い方が全く違うのでそれぞれ、全てが別の楽曲を聴いている感じです。各歌い手の皆さんがそれを楽しみ、プライドも持って歌っている感じはします)
 
BGM、ライムライト(押尾コータローさんのギター)
 
マイケルジャクソンのカバー曲(アルバムABC)(※ジュリーは関係なし)
♬Never can say good by(さよならを言わない)
♬愛に寄せれば(ホセペリシアーノ)
 
MCの鈴木さんのお気に入りのカバー曲、よく覚えていません^^;
♬地球はメリーゴーラウンド(鈴木雅之with小田和正)
♬私はピアノ
 
ジュリーなんでもランキングとカバー曲
今回のカバー曲のリクエスト・ベストスリー
3位、ヘイ・ジュテーム
2位、夜汽車の中で
1位、愛の出帆
(※とても妥当な順位だと思います)
 
BGM、
♬悲しみのアンジー(ローリングストーンズ)ミックは83歳
♬愛の賛歌(ACT エディット・ピアフより)
♬ヴォラーレ(ACT ニーノロータより)夜のヒットスタジオで、山口小夜子さんとのシーンを思い出す
 
(※悲しみのアンジーは私がリクエスト。中野サンプラザ(1973年)のリサイタルのアルバムに思い入れがあり、久しぶりに聴けると思っていたら、流れてくる歌声に違和感が、あれ?なんか違う・・?? 
ジュリ友さんから即、中野サンプラザの音源ではない、ACTの音源ですと連絡が。act SHAKESPEARE(1993年
中野サンプラザは原曲の英語で歌っていますが、流れてくるのは日本語の歌詞でした。
日本語の歌詞はアンジーの悲しみが直に伝わってきて、良かったです。ACT音源は聴いたことがない人が多いと思うので、とてもレアな選曲でした。)
 
BGM、カーペンターズ
郡山ロックフェスのジュリー音源
 
BGM、ブラウンシュガー、ロックンツアーより
♬サティスファクション
♬Ibelieve in music(ジュリーマニアより、他のアイドル達もジュリーの歌詞で歌っています)
♬Time is on my side(トヨタのクレスタのCMソング、ジュリー、玉置浩二、高橋幸宏のスペシャルバンド。CDは高値で取引されています)
 
「鈴木英之の音楽の館」は10月もジュリー特集をやります。
(以上)
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もっと詳しくは、さんごさんのところでどうぞ⇒ https://j0625.seesaa.net/article/521205920.html
 
 
昨日のFMおおつ、音楽の館ジュリー特集は
朝8時から再放送。
聞き逃した方はどうぞ!
下記のリンクのアプリから全国どこでも聴けます。

FMおおつ 周波数79.1MHzでお楽しみください。
FMプラプラ(https://fmplapla.com/fmotsu/なら全国でお楽しみいただけます

 

ファンにはおなじみのカバー曲、超レアな曲もかかり、この番組でないと聞けない選曲でした。

さすがにファンの皆様の選曲はスゴイ!

 

聴きながら、私の周りには一気に1970年代の空気が流れていました。

いつもの部屋が高校生だったあの頃に戻っていると

ハッキリそう感じました🌟

 

いや、懐かしかったですわ~!!

BGMでは、ジュリーたちタイガースが初めてTV出演した時に演奏した

キックスも♬

 

詳しい曲目はまたのほど・・

 

明日25日はFMおおつ「音楽の館」はジュリー特集第2弾

午後4時から、たっぷりカバー特集。

 

 

FMおおつ 周波数79.1MHzでお楽しみください。
FMプラプラ(https://fmplapla.com/fmotsu/なら全国でお楽しみいただけます
 
上のリンク↑から、全国で聴けます。
ガッツリ、ジュリーで2時間半♬

 

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山田五郎さんが亡くなりました。ご病気とは聞いていましたが、

先週の土曜日のアド街ック天国で山田さんを見たばかりだったのに。

ジュリーのファンだったと思います。

 


【ジュリー】評論家・山田五郎が語る昭和の大スター『沢田研二』の魅力とは?/沢田研二主演のオススメ映画「パリの哀愁」「炎の肖像」【山田五郎✕馬場康夫】〈前編〉

 




なんでもよくご存じだった山田さん。実際のところ、私はその肩書がよく分かりませんでしたが、西洋美術史家だったと亡くなって初めて知りました。

だから、石岡瑛子さんの作品展の解説をしていたのですね。山田さんだからこそ、ジュリーのパルコのポスターについて語ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

あんぷさんのX

 

奈良のあやめが池といえば、ザ・タイガースのファンの事故を思い出してしまいますが、その二年後にもコンサートを開催していたのですね。知りませんでした。

 

ぽぽろんさんのブログで

1973年のレコード大賞で、大賞間違いなしとファンも世間も信じていたジュリーの「危険なふたり」が大衆賞に回されてしまった裏側を解説してくださいました。有難うございます!

 

「53年目の真実」

 

53年目で知った真相に

裏で色々な思惑が働いていたことは想像できましたが、いまだに大衆賞の悔しさを忘れることはありません。

五木ひろしさんご本人が、その当時を振り返り語っている番組をブログで去年アップしています。

 

五木さんはポリドール所属だったときがあり、タイガースと一緒にコンサートに出演したこともあったそうで、番組ではタイガースの映像も流れました。

下記のリンクにタイガース画像があります。クリックしてください。

 

 

下記は五木さんが「夜空」で1973年(昭和48年)にレコード大賞を受賞した当時を語っている個所だけを抜粋しました。

ピンクレディーに真っ向から挑んだジュリーについても語っています。

五木さんはジュリーをリスペクトし、良きライバルだと讃えていました。
 

(司会、太川陽介さん)日本歌謡大賞と日本レコード大賞の争いがありましたね。


(五木)彼が「危険なふたり」を歌って歌謡大賞を取り、僕は「ふるさと」で争ったけど負けてしまいまして、その次がレコード大賞。その時に彼は大衆賞にまわっちゃったんです。大賞候補から外れてしまった。(ホ~)
その時に僕に、ジュリーが

レコード大賞頑張ってと、逆に励ましの言葉を貰い

 

 

(五木)そして曲を「夜空」に変えて大賞を取った。僕らはみんな20代だった。僕は25歳です。
(司会)沢田さんもですか?

(五木)学年は1コ下だけど、(五木さんは昭和23年3月産まれ)森さん布施さん、皆 同じ世代だった。皆で競いあったから、花が咲いちゃった、一気に!


(司会)さあ、歌ってもらいましょう・・

「危険なふたり」歌うのは辰巳ゆうとさん

 

ジュリー本人の「危険なふたり」映像じゃないんか~い!!歌うのは、辰巳ゆうとさんで、ガッカリ・・・

タイガースの映像にも肝心のジュリーが映って無かったし、あてが外れました😓 なんで??

片手を突き上げ片足を上げる、あのポーズのジュリーが見たかった~


五木ひろしさんの歌う「夜空」は、あの悔しいレコ大の日以来、52年ぶりに真面目に聞いたかもしれない(^^; だって、思い出したら腹が立ちます! 歌謡大賞の楽曲は「ふるさと」で、レコ大は「夜空」に変わったのですね。

まさか、ジュリーが頑張ってと五木さんを励ましたなんて、初耳です。

次は五木さんが選ぶ昭和50年代の曲(続く経済成長からバブル経済へ)
CM、ドラマ、映画からヒット曲が続々誕生、ベストテン番組が大人気となった。
(五木)昭和の100年は語り切れない重さがある。戦後はどん底から這い上がり良き時代だった。昭和を見直し心に刻むべき。

※次は五木さんが選ぶ3曲、およげ!たいやきくん、ペッパー警部、プレイバックPart2


(五木)ピンクレディーは世の中を変えた。フリを見た途端 売れると思った。演歌、歌謡曲はどっかへ吹っ飛んでいった。ピンクレディーと戦っても勝てないイメージ、真っ向から勝負したのはジュリーだけだった。

 


(司会)ヘアメイクとかパラシュートとか・・
(五木)彼はそれに挑んで存在感を出した。僕らは戦わずして・・と言う感じだった。

 

 

僕はマイペースで。「長良川艶歌」はザベストテンで12年間のトータルで総合1位です。

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五木さん、最後にしっかり自慢して締めました(^^;
ジュリーと同じ77歳(番組放送時)、年齢の衰えを感じさせない歌声はさすがでした。
ジュリーに対して昔も今もライバル心があるんでしょうが、それは良きライバルという位置づけだと、五木さんの言葉の端々から感じられました。

ジュリーがかなり前のライブのMCで、五木さんの方が後で売れたのにもかかわらず、ジュリーよりもキャリアが長いことに触れて「五木さんはずっと後で売れた印象があるのに、なんで僕よりもキャリアが長い? 子どもの時からやってたのか?」と不思議そう(不満そうに)に語っていました。

(五木さんが50周年を迎えたころの頃の、ジュリーのライブでのMCだったかも・・?)
ジュリーが京都で高校には行かず授業をさぼっていた頃、すでに五木さんは中卒で歌手を目指し上京し、デビュー(1965年)していたのでした。五木さんは同じ頃、高校をサボっていたジュリーよりも、ずーっと苦労をしはったんやろね(・・;)

とはいっても、レコード大賞の悔しさは消えませんけどね^^;

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※ 以上は、2025年8月2日のブログから、五木さんがジュリーを語るところだけ抜粋しました。


スパイダースの曲を堺さんと井上さんで聴けます☺️


一位はもちろん、ジュリー!!

ジュリー世代ではない若い人のジュリーを推すコメントが嬉しいです(^^♪



「京の宝物」
京都のジュリ友さんより京都新聞の記事を頂いていました。
叡山ケーブルの歴史
フリーコンサートへはバス移動でしたが、
会場の比叡山人工スキー場はケーブルの比叡駅から徒歩で行けました。
 

 
10年ほど前に、比叡山延暦寺とジュリーが結婚式を挙げた
釈迦堂に、京都駅前からバスに乗っていきました。
その時は車酔いでちょっと気分が悪くなりました。
叡山ケーブルで行けば、車酔いをしなくても済んだのに^^;
 
51年前のコンサート当日は、よくぞ普段は車に弱い私が酔わなかったものだと思います。
バスを降りたとたんに倒れそうな女の子や、暑さで倒れる女の子が続出していたのも
忘れられない思い出です。
コンサートの開始は午後三時、
朝早くから数時間以上待っていたのですから、若いとはいえ 
やっぱり過酷ですね。
 
翌日の京都市内はアスファルトの照り返しで、さらに暑く
観光もせずに早々に家に帰りました。
 
夏場はともかく、ジュリーのライブついでに叡山ケーブルに乗るのはいかがでしょうか。
人工スキー場は、今はガーデンミュージアムになっています。

 

 

 跡地に出来たガーデンミュージアムは、遥か外界から見えます😳 

山頂の建物の影に気がついて、あそこでフリーコンサートが開催されたのかと、感慨深かったです。

 


 悪魔のようなあいつがまた再放送!!