“鼻からレーザーの話”について | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 日本テレビの深夜番組、ダウンタウンのガキ使。

 


 最近はほとんどやらなくなってしまったのだが、10年ほど前はほぼ毎週ダウンタウンのふたりのフリートークコーナーがあり、その中で松本人志が視聴者のアホ質問に答えるというものがあった。その中でも私が最高傑作だと思っているのが、“鼻からレーザーの話”というものである。

 


 まず視聴者から『冬になると鼻の赤い人をよく見かけますが、コピーロボットは何人くらいいるんですか?』というアホ質問が送られてきたのだ。

 


 コピーロボットとは『パーマン』という漫画に出てくるキャラクターで、ボタンになっている赤い鼻のところを押すと自分の分身にしたり人形に戻したりすることができるものなのである。視聴者は『そのコピーロボットは世の中にどれくらいいるんですか?』というアホな質問を松本人志に投げかけたのだ。すると松本人志はこう答えた。



 「鼻が赤いというのは、鼻からレーザーが出る1歩前の状態なんです」



 それからしばらく松本人志は“鼻からレーザーの話”を続けたのだが、その間、空前絶後の大爆笑の私とは裏腹にテレビの中の会場のほうは静まり返っていた。

 


 結局、その週のガキ使は“鼻からレーザーの話”による静まり返った会場の雰囲気と、すべりまくってしまった松本人志と浜田雅功の姿を映しながら放送が終了することになってしまった。

 


 “鼻からレーザーの話”は客にはさっぱりうけなかったが、当時の私は部屋でひとり爆笑をくり返していた。その翌日もその翌日も笑いは止まらず、いまだにすべりまくった“鼻からレーザーの話”を思い出すたびに胸の奥から笑いが突き上げてくる。

 


 そんな松本人志の“鼻からレーザーの話”は、なぜ客にさっぱりうけなかったのか?理由は松本人志のエッセイの中に書かれている。

 


 松本人志のお笑いレベルは世間の2歩も3歩も上を行っているらしく、うけなかった場合は客が自分のあまりに上を行きすぎているお笑いレベルに脳についていけていないのだという。松本人志の別格の実力を理解できていない人たちがこの説明を聞いたら、きっと『えー?なに思い上がったことをいってんだ?』と疑問の声をあげることなのだろう。しかし、これはまぎれもない事実である。松本人志のスーパーハイレベルギャグを理解して楽しむには高度な知能と非凡なセンスが必要であり、頭の弱い愚鈍人間では何百回聞いても何千回聞いてもおもしろみがわからないままだろう。

 


 今書いた“鼻からレーザーの話”以外にも、舞台上のダウンタウンのふたりしか笑わずに会場の客が静まり返った爆笑話は数多くあるのだが、そのどれをとってみても最高のおもしろさを誇っており、高度な知能と非凡なセンスが脳に備わっているらしい私はそれらすべての話に大爆笑をくり返したものだった。

 


 ちなみに“鼻からレーザーの話”なのだが、この話は10作品以上発売されているどのガキ使のトークビデオにもDVDにも収録されていない。つまり“鼻からレーザーの話”は評判の爆笑トークを厳選して制作したスタッフの人たちにもおもしろさが理解できない、松本人志の無数にあるギャグの中でも別次元の世界に君臨するミラクルギャグだというわけなのである。

 


 そんな松本人志は“史上最高の天才コメディアン”を自負しており、後にも先にも自分以上のコメディアンは世界のどこにもあらわれることはないと断言している。“鼻からレーザーの話”をはじめとする世間の有象無象がまったく理解できないスーパーハイレベルギャグにひとりで密かに哄笑をくり返していた2000年前後の頃は、まさに松本人志こそが人類史上最大最高究極の奇跡のコメディアンであると確信し、本人が断言するように後にも先にも松本人志を上回るコメディアンは地球上のどこにもあらわれることはないだろうという思いは強固なものになっていくばかりだった。

 


 が、2000年代後半のことだ。そんな私の価値観に革命が起きてしまったのである。後にも先にも松本人志以上の天才コメディアンはあらわれることはないと確信し続けていた私の視界の中に、とあるひとりのコメディアンがそのまばゆい姿をあらわしたのだ。

 


 そのコメディアンはそれ以前からも確固たる地位を築いていた有名コメディアンだったのだが、そのコメディアンの真の実力をようやく理解できるようになった2000年代後半からは、私の中のナンバーワンコメディアンの座は松本人志からそのコメディアンに変わるようになっていった。

 


 そのコメディアンこそ、爆笑問題の太田光である。

 


 太田光の実力をまざまざと見せつけられたのはテレビ朝日で毎週土曜の昼に放送されていたガハキンで、爆笑問題はこの番組で10週勝ち抜いて初代王者になり、その後はボキャ天の顔として一世を風靡して現在にいたっている。その頃から太田光のファンではあったのだが、松本人志以上の天才コメディアンとして崇拝するまでにはいたっていなかった。

 


 しかし徐々に太田光の傑出した力がわかるようになっていき、2000年代後半からは『好きなコメディアンは?』と訊かれたら松本人志ではなく太田光と答えるようになっている。

 


 また、ある年の年末、ゴールデンでダウンタウンの特番と爆笑問題の特番が同じ時間に放送されたことがあり、私は爆笑問題の特番のほうをビデオ録画したにもかかわらず、ダウンタウンの特番のほうではなく爆笑問題の特番のほうを見てしまったほどだ。

 


 この例でわかるように、私の中のナンバーワンコメディアンは明らかに松本人志から太田光に変わり出しており、新聞のテレビ欄を読んでいるときも“ダウンタウン”という文字より“爆笑問題”という文字に反応するようになっていった。

 


 ちなみに『M-1グランプリ2008』で審査員をつとめた松本人志は、番組中ギャグを2回ほどしか口にしなかった。それもどちらもややうけレベルである。

 


 松本人志は審査員なので笑いをとる必要はないのではあるが、『もしも太田光だったら……』と思わせる『M-1グランプリ2008』なのであった。

 

 

 

目次へ

メシアのモノローグへ