日本の広さは感覚で決まる | キハのひまつぶし研究室

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紀行作家の宮脇俊三が、何かの著書で、北海道へ飛行機で行くと遠くまで来たという実感が湧かないといったようなことを書いていたと思います。その本は人にあげてしまったので、具体的に何と書かれていたかを確認するのは難しいですが、そのような理由で、東京から北海道まで行には夜行列車や連絡船を乗り継いで行くのが良いという論調だったと思います。


確かに宮脇氏の書いたことは、その通りだと思います。反論できる余地はないです。


そして時代は流れ、青函トンネルが開通し、東京から直通する夜行列車が走るようになりました。さらに月日が流れると、その夜行列車は廃止され、青函トンネルに新幹線が通るようになりました。飛行機もかなり格安になりました。北海道も沖縄も、時間的にも値段的にも距離は縮まりました。さらに現在は日本のあちらこちらで新幹線が建設されています。


日本の広さを実感しにくくなっている時代と言えます。しかし本当にそうでしょうか。


昔、当ブログで少しだけ書いたことがあるのですが、私は本州を徒歩でほぼ1周したことがあります。その経験のある者からすると、宮脇氏の書いたことにも疑問を抱いてしまうのです。夜行列車と連絡船を乗り継ぐという、手間のかかる方法で東京北海道間を移動し、北海道の遠さを実感したとしても、果たしてそれは正しい距離感と言えるのでしょうか。


やはり日本は広い。それが歩いて旅をした一番の感想です。それは、飛行機はもちろんのこと、鈍行列車の旅でもわからなかった感覚です。


では、それまで私が認識していた、日本各地域間の相互の距離感は間違った感覚だったのでしょうか。


時代によって距離に対する感覚は変わると思います。ほぼ公共交通機関がなかった時代の主な交通手段は徒歩です。松尾芭蕉も徒歩で旅をしているはずです。伊能忠敬は歩いて測量しています。その感覚がその時代の「当たり前」だったと思います。その時代の人は、現代人よりもずっと歩くのが速かったそうです。


その後、陸蒸気なるものが海外からもたらされ、さらにその後鉄道路線がどんどん建設されてゆきます。さらには動力が蒸気から電気やディーゼルに変わってゆき、新幹線という夢の超特急が走るようになるのです。鉄道以外でも、自動車が普及したり、飛行機での移動が一般化したりして、日本の交通事情が変化していきました。それぞれの時代の移動手段に対する「当たり前」の感覚があったと思います。現代でいうと、飛行機や新幹線での移動が当たり前。若者のクルマ離れが進んでいる。そんなところかと思います。


そして、交通事情に変化があると、私も含めてですが、多くの人が「現代は効率ばかりが重視され、情緒的なものが蔑ろにされている」と言います。しかしそれは、自分の中にある「当たり前」から社会の方が「当たり前でない」方へ、変化してゆくことに対する抵抗感に過ぎないような気がします。


おそらく、これは現代に限った話ではないと思うのです。その時代の人の気持ちは私にはわかりませんが、およそ151年前、初日本で初めての鉄道が開通したときも、やはり「現代は効率ばかりが重視されている」と思う人もいたのではないかと私は想像します。


現代は、北海道と日本各地の距離は、ずっと昔から比べると感覚的にかなり縮みました。飛行機での移動が当たり前になっている世の中だと、それを間違っているとは言えません。北海道は決して遠くにある場所ではありません。是非一度、北海道に遊びに来てくださいませ。