「基本」にかわるもの | 馬術稽古研究会

馬術稽古研究会

従来の競技馬術にとらわれない、オルタナティブな乗馬の楽しみ方として、身体の動きそのものに着目した「馬術の稽古法」を研究しています。

ご意見ご要望、御質問など、コメント大歓迎です。

  今回は、乗馬愛好者の皆さんにも参考になりそうな本を一冊、紹介させて頂きたいと思います。




■タイトル:上達論. 〜基本を基本から検討する
■著者:甲野善紀 方条遼雨
■出版社:PHP研究所
■価格:1600円(税別)
■発売日:2020年1月11日
■サイズ:46判(188×128)
■ソフトカバー
■ISBN978-4-569-84560-9
■amazon:


上達論上達論
1,760円
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  著者は、武術を中心とした身体操作方法の研究家として有名な甲野善紀先生と、

 その甲野先生の術理に独自の発見を加え、「体・動きの根本原理の組み替え」と脱力に主眼を置いた「玄運動(げんうんどう)」を提唱されている、 


  本の中から、現在公開されている「序文」の部分を、ここに転載させて頂きます。



   『  序・「基本」に替わるもの

 甲野先生は物事の習得において、「基本をひたすらに繰り返せ」といった練習法に否定的な立場を取られています。

 それは、「この世に基本など存在しない」と言い切っているのではなく、「安易に基本を定める」事の危険性について語っているのです。

 そこには、主に二つの大きな問題が関わっています。


・単純な「繰り返し」になってしまう

 様々な流儀・分野で多く見られるのは、「素振り何百回」などと繰り返す練習をしながら一向に上手くならない、「初心者のようなベテラン」です。

 仮にその「素振り」が本質的に大切な要素を含んでいるとしても、「どうして大切なのか」「どの部分がどのように大切なのか」を把握しないまま闇雲に繰り返している場合、大きな効果はなかなか期待できません。

 それを甲野先生は「下手を植え付ける」という言葉で表現しています。

 人間には、良くも悪くも「適応力」というものがあります。
 一つの動きを繰り返せば、その動きを支える筋肉が付いてゆきます。

 当然、「下手な動き」を繰り返せば「下手な動きを支える筋肉」が増強されます。
 体内に、「下手な動きを支える道筋」がどんどん出来てしまうのです。
 それが「癖」です。

 実際、甲野先生の教室へ学びに来た人には、ある共通した傾向が見られます。

 「特定分野に熱心に取り組んだ人ほど習得が遅い」

 言い換えると、武術もスポーツも経験した事の無い「素人」の方が飲み込みが早い場合が多い、という事です。

 また、単純な筋力に頼らない武術的な技に対しても、余計な「癖」のない素人の方が、柔軟な耐久力を発揮したりします。

 つまり、体を熱心に鍛えているはずのスポーツ選手の方が、脆く崩れてしまうのです。

 体の使い方が「上手い」とされているプロや指導者達の「特定の動き」を植え付けてきた経験が、かえって未知の世界に対する「対応力」や「習得」の障害となっている場合があるということです。

 本来、この世のあらゆる事象は「初見」であり、「未知」です。

 武術の「戦闘」にせよ、スポーツの「試合」にせよ、その瞬間その瞬間は常に「生まれて初めて」であり、未知でない経験など何一つありません。

 にもかかわらず、「実用性」という意味で最も大切かもしれない「未知への対応力」を鈍らせてしまう「繰り返し」は、果たして本当に有効なのでしょうか?

 ここで、もう一つの「問題」が関わってきます。


・「基本」を断言できる指導者がどれだけいるのか

 いつの間にか「基本」と思っていた行為が、本質的な対応力を低下させてしまっている。

 そして我々が見る限り、それに気付けている指導者の方々も非常に少ない状況です。

 そんな中「これが基本」と定め、「ひたすら繰り返させる」という行為は、その人の動きの「根幹」を確定する行為であり、とても重大な責任があります。

 では、それを「させている」指導者が、どれだけその「基本」の意味を認識し、「その意義を体現できているのか」という問題があるのです。

 古の達人のように、抜群に体を使える人が正確にその「意義」を把握し、慎重に誘導してくれるならば大きく道をそれないで済むかもしれません。
 しかし、そのような人がほぼ絶滅状態にある昨今、よほど自信のある人でも他人に「これが基本だ」と植え付ける行為は、本来恐ろしい事なのです。

 甲野先生自身、その「恐ろしさ」をよくよく把握しているからこそ、いまだ自分の武術に「基本」を定めていないのだと思います。

 では、「基本が無い」甲野先生の武術をどう学べば良いのでしょうか。

 多くの人が、ここで頭を悩ませる事になります。
 残念な事に、手がかりが無いまま早々に挫折をしてしまう人もいます。

 一方で、甲野先生は驚くほど多彩な人材を排出しているという面もあります。

 「基本がない」はずの先生の元で学んだ人たちの中から、武術やスポーツに留まらず、多くの分野で活躍する指導者や選手が生まれているのです。

 「挫折をした人」と「残った人」。
 この違いは何なのでしょうか。

 それは「基本に替わるもの」を手に入れた人達だと私は考えています。

 では、「基本に替わるもの」とは何でしょうか?
 先ずは、そこから語り始めたいと思います。

 方条 遼雨(ほうじょうりょうう)』



「初心者のようなベテラン」。

「下手を植え付ける」指導。

  乗馬に関わっている皆さんにも、少なからず
心当たりがあるのではないでしょうか?
(^^)


スポーツの指導者向けのマニュアルや、学校の保健体育の教科書などにはたいてい、
やり方を説明した「基本の形」とされる絵や写真などが載っているものですが、

そうした写真や動画で示される「基本の形」というのは、上手な人が限定的な条件でやっと実現出来るような理想的な動きの、結果として現れた形や途中の一部分の形を切り取ったものに過ぎず、

そこに至るための身体の使い方や意識、感覚といったことまでは触れられていないことも多く、

そうしたものを「基本」として提示し、初心者にその形を作ることを強制するような指導方法には、

「思い込み」や「勘違い」を生み、本当に有効な身体の使い方とは異なる動きを覚えてしまう、というリスクもあるのではないかと思います。


 さらに、そうした「基本の形」が、競技団体の技能認定や指導者資格の基準になっていることも少なくないため、

そのスポーツの競技者として認められて進学や就職に成功するためには、必ず一度はこれを覚えなければならない、というようなことになり、

そうした環境で育った競技者がいずれ指導者となることで、さらに「下手の植え付け」を何世代にもわたって繰り返してしまう、というようなことになるわけです。


  多くのスポーツや武道などの指導の場で起こっている、「厳しいばかりでつまらない」「長く続けても全然上手くならない」といった、指導者の常識と学習者のニーズとのミスマッチには、
こうしたことも要因の一つとして関わっているのだろうと思います。