押し付けない | 馬術稽古研究会

馬術稽古研究会

従来の競技馬術にとらわれない、オルタナティブな乗馬の楽しみ方として、身体の動きそのものに着目した「馬術の稽古法」を研究しています。

ご意見ご要望、御質問など、コメント大歓迎です。



{458453AF-D415-4999-851A-B6A78D7F4335}

  



  スポーツの指導者向けのマニュアルや、学校の保健体育の教科書などにはたいてい、やり方を説明するための「基本の形」とされる絵や写真などが乗っていたりするものです。

  最近は動画を使った教材なども増えてきて、昔の教科書などよりはずいぶんマシになっているようですし、
そうしたものを利用することで、経験の少ない指導者でもとりあえずお手本となる動きを示すことが出来る、というメリットはあるでしょう。


  ただ、そうした写真や動画で示される「お手本」というのは、限定的な条件下での理想的な動きの結果として現れた形の、それも一部分を切り取ったものに過ぎず、

そこに至るための身体の使い方や意識、感覚といったことまでは触れられていないことも多いですから、

そうしたものを基本として、まずその形を真似させるような練習をすることには、

「思い込み」や「勘違い」を生み、本当に欲しい身体の使い方とは異なる動きを覚えてしまう、というようなリスクもあるのではないかとも思います。


  また、そういうものは大抵、その種目の競技団体の偉い人の監修で作られた教則本などが基になっていたりすることも多く、それが技能認定や指導者資格の試験の基準になっているために、

そのスポーツの競技者として認められて進学や就職に成功するためには、一度はこれを覚えなければならない、というようなことになっていたりします。
  
  その結果、団体の発足時にとりあえず作られた指導マニュアルが、その後何十年もまるで「秘伝書」のように使われ続けていたり、ということも少なくないのではないかと思います。
  

 勿論、「真理は不変」でいつの世にも通じる、という考え方もできるでしょうし、

初心者のための手掛かりとして、そうしたものが全くないよりは勿論あった方が良いのでしょうが、

こうしたお手本を「これが唯一の正しいやり方だ」と押し付けることは、
(特に私のような天邪鬼の)学習者の意欲を削いでしまうような気がするのです。



・「押し付け」には反発する

 人間を含めた動物というのは、基本的に「押し付けられたもの」に対しては拒絶的な反応をするものではないかと思います。

  それは、襲ってくる外敵から身を守るための本能的な防衛反応なのでしょう。



  セールスマンが物を売るときにも、
絶対に押し付けるような言い方はせず、
買うに値すると思えるような判断材料だけを与えて結論は顧客に任せ、

顧客に、「買わされた」のではなく「自分で選んで決めた」と思わせるように上手に持っていくのがコツだと言います。

  私たちが買い物をするときにも、自分で色々考えて選ぶ方が楽しいですし、それならついでにあれも、というように購買意欲が増すものです。



  同じように、人にものを教えるような場合でも、学習者に対して知識を教え込むのではなく、興味を持たせ、学ぶ意欲を育てるようにすることによって、

学習者が自ら原理に気づき、理解を深めて僅かな「違和感」にも敏感になっていけるように導くことで、

「〇〇先生に教わった」のではなく、あたかも自分で気づいたように感じさせるような、いわば黒子の役割を果たすのが、

一流の教師だと言えるのかもしれません。


  他人から押し付けられたものには反発するけれど、自分で興味を感じ、選んだものには熱心に取り組もうとする、というのが動物の本質であると考えれば、

私たちが馬に乗る際にも、常にこのことを意識しておくことが重要なのだろうと思います。


  馬のような動物の調教をする場合には、

相手となる動物がこちらの求めていることに関心を示し、要求に応えてくれた瞬間に即座に不快なプレッシャーから解放して「安心・快適」を提供することで、

動物自身がどうすれば楽になるかを考え、自ら進んでこちらの望むような行動をしてくれるように持っていくことがポイントだといいますが、


  そもそも乗馬クラブ(特にブリティッシュ)のレッスンというものは、競技馬術の「より強く、より速く、より高く」というような価値観を元に構成されているようなところがありますから、

そうした競技で理想とされるような動きを求めるあまり、たとえ馬がある程度こちらの指示通りに必要十分な動きをしてくれていたとしても満足出来ず、さらに「もっと、もっと」と限界まで攻め続けるような乗り方になりがちです。


  特に初心者の方であれば、指導者の言う通りの動きはなかなか出来ませんから、
常に「もっと!もっと!」と叱咤されながら乗り続けることになり、

それによって騎乗者の中に「常に限界一杯までやらなければならない」というような固定概念がいつの間にか醸成されていき、

 その挙句、上手く走れなければなんとかして走らせようと躍起になり、気持ちよく走れたら走れたで上記のようにさらに強い動きを求めて馬を攻め続ける、というような乗り方が無意識のうちに身についていくわけです。

  より良い動きを求めるのはスポーツの醍醐味でありますが、
 
 これでは馬にとっては、いくら要求に応えても全く解放されず、不快なプレッシャーを受け続ける、というような感じになりますから、

そのうちに嫌気がさして、仕事を拒絶するようになってしまったとしても仕方ないことでしょう。



  人間でも動物でも、何かを教えたり、やってもらおうとする場合には、
自分の(あるいは、以前に押し付けられた)価値観を押し付けて相手の意欲を損なわないように心がけることが大切なのだろうと思います。