乗馬のレッスンで、蹄跡に沿ってカーブを曲がったり、輪乗りや巻き乗りなどの誘導をしたりする際、
そのときの馬体の形とか、前後の肢が地面に描く軌跡といったことを、バイクやクルマ、あるいは鉄道などの乗り物の動きに変換してイメージしたことがある方も多いのではないでしょうか。
そんな時、多くの方が思い描くのが、電車のように、馬の頭から、首、肩、腰、尻尾が数珠繋ぎで一本の線上を進んでいるようなイメージではないかと思います。
いわゆる「内方姿勢」に似た形ですが、実際のコーナリング中の馬の動きというのは、そのようなイメージとは少し違っていることも多いようです。
頭よりも前肢、前肢よりも後肢の軌跡の方がより内側になる
という「内輪差の大きな曲がり方」が、馬にとっては自然なのです。
・「リアステア」で誘導
バイクの用語で、手でハンドルを切って前輪で曲がろうとするのではなく、後輪の軌道を意識してコントロールすることでスムーズにコーナリングしようというような考え方を、「リアステア」と言います。
乗馬でも、障害のコース走行やウエスタンの競技などで急回転を行うような場面では、
「リアステア」とまではいかずとも、「肩ステア」ぐらいの意識で前後の肢の軌跡をイメージしながら馬の傾きをコントロールするようなやり方のほうが、
ハンドルを切って頭から順に曲がろうとするような扶助操作よりもクイックな回転はしやすくなるだろうと考えられます。
それにもかかわらず、乗馬クラブのレッスンでは、
「馬の頭を内に向けて」
「内方姿勢を作って」
などと言われることの方が多いのではないかと思いますが、
これはいったいどういうわけなのでしょうか?
頭を内に向け、馬体を輪線に沿って湾曲させた「内方姿勢」は、
前述したバイクや大型バスなどよりも、ジョイントで連結されたトレーラーとか線路を走る列車のようなイメージに近いかもしれません。
一方、一般的な電車の場合、車輛1両あたりそれを支える台車(ボギー)が前後に2つずつついており、
それぞれの台車には車軸は2本、4つの車輪が付いた計8個の車輪で車体を支えています。
バスやトラックが走る道路には十分な幅があるので、内輪差の大きな車両でも曲がることができますが、
鉄道のレールは狭いため、内輪差の大きな長い車輌では、急カーブを曲がることが出来ません。
鉄道車両も、元は馬が引く客車や荷車をレールに載せたものだったため、始めは客車も貨車も2軸で、車輪は4個でした。
鉄道の輸送量が増えるに伴い、長い車両を作って対応しようとしましたが、前後の車軸の間隔が空くとレールと車輪との摩擦が大きくなって止まってしまったり、脱線してしまうことになります。
車体の中央部分に車軸を寄せて取り付ける、という方法もありますが、これではカーブのたびに車端部が外側にはみ出してしまい、連結するにも都合が悪く、なにより不安定です。
そこで、車体の下に内輪差の少ない小さな台車(ボギー)を置き、その台車が自由に回転できるような仕組みにすることで、長い車体でも、カーブをスムーズに走行出来るようにしたのです。
車両を長くすると2軸のままではカーブを曲がれない、という問題を解決するために考えられた方法が、この『ボギー方式』で、
日本では「ボギー台車」などとも呼ばれていますが、英語のBOGIEが、そもそも「台車」という意味のようです。)
ボギー方式は、台車を左右に回転させることで比較的急なカーブでも通過しやすくなる、というだけでなく、
台車にサスペンションを設置することで、乗り心地が良くなり車体の安定性も増すため、列車の速度を上げることが出来ます。
たとえば、日本の国鉄時代の2軸を直接取り付けた貨車では、最高速度は65〜75km/h程度にとどまっていたのが、現在の最新型のボギー方式のコンテナ貨車では、最高110km/hで走行できるそうです。
因みに、日本の鉄道車両は2軸台車を使った「2軸ボギー方式」が主流ですが、わずかながら「1軸ボギー方式」や「3軸ボギー方式」も採用例があります。
1軸ボギー方式は小型車両を高速、安定化させるために、貨車や小型気動車に採用され、
3軸ボギー方式は、戦前・戦後の特急用1等客車の乗り心地をよくしたり、国鉄時代に製造された大容量のタンク貨車で、 レールにかかる重量を分散させるために採用されたのだそうです…
…マニアックな話が長くなりましたが、
本題に戻ります。
・「内方姿勢」の意味
馬の「内方姿勢」にも、この鉄道車輌の「ボギー方式」と同じような効果があるのではないかと考えられます。
馬の身体を湾曲させ、ボギー台車のように、前肢と後肢の踏み出す角度を輪線に沿った方向に合わせるようにすることで「内輪差」が小さくなり、
輪乗りや巻き乗りの図形を正確に描けるようになったり、馬体の傾きや横方向の慣性力が小さくなって乗り心地が良くなる、というわけです。
・曲げれば曲がる?
しかし、すでに述べたように、この方式は、馬にとっては本来の「自然な曲がり方」ではありません。
頭を内に向け、首を曲げさせようとするような内方手綱の扶助によって、馬は内方への肩の進出を阻害され、回転方向への重心移動もしにくくなりますから、
身体を傾けて内側に踏み出すような本来の曲がり方に比べると、むしろ「曲がりにくく」なります。
また、内方姿勢を作るときの、内方前方への後肢の踏み込みを促す外方脚と、それとは真逆の方向に引き起こそうとするような内方手綱の操作を同時に行うことを「斜対扶助」と呼びますが、
これには、後肢を重心下に向かって深く踏み込ませ、内方の肩を挙上させた「フワッとした乗りやすい駈歩」の発進がしやすいバランスになる、といった効果がある反面、
馬にとってはいくつもの矛盾した要求を同時にされているような複雑な扶助操作になりますから、
上手に加減しながら行わないと馬が非常に苦しい姿勢になって、跳ねられたり、膠着したりといった反抗を招きやすくなります。
ですから、上手に内方姿勢を保持しながら運動を行うには、
走っている馬の上で手綱に掴まってしまったりせずに鐙に載ったバランスを保てるような全身の随伴の動きや、それらと独立、並行的に行われる拳や脚の操作、
そして、刻々と変化する馬のバランスや精神状態をみきわめる感覚、といったことが必要で、
これを初心者の方が行うのは大変です。
2級ライセンスの課目には、規定の大きさの輪乗りが実施項目として含まれているのに対して、
3級ではそれよりもかなり小回りの巻き乗りや反巻きはあっても、「内方姿勢」についてはとくに求められていないのは、
そのあたりの事情が考慮されているからなのだろうと思います。
そのようなことから、騎手の技術の熟練度や馬の調教の進度をみるバロメーターとして、馬場の課目の中にこれを必要とする項目が多く取り入れられているために、
特に馬場のレッスンでは「内方姿勢」ということがしきりに言われることになったのでしょう。
ただ、一般的なレッスンでは、「馬の本来の曲がり方」といったことまでは触れられることは少ないでしょうから、
ずっとそうした指導を受けて育ったような人が、その後指導する側の立場になったときに、
ごく初心者のためのレッスンにおいても「内方姿勢が正しい曲がり方の基本」というような説明がされるようになったのだろうと考えられます。
内方姿勢には、馬の揺れがマイルドになり、初心者の方でも乗りやすい走り方になる、という効果がある反面、
初心者の方がそれを作るのはとても難しく、やり方によっては馬にとってストレスにもなりやすいものです。
それに対して、本来のクイックな曲がり方は、傾きが大きくて初めはちょっと怖いかもしれませんが、
初心者の方でも扶助を理解しやすく、馬にとってはストレスが少ないという利点もあります。
無理な要求をされた上にやらないと怒られるようなことを繰り返すうちにレッスンがすっかり嫌になり、反抗を繰り返すようになるような練習馬を大量生産しなくて済むようにするためにも、
3級ライセンスを取得するくらいまでは、「内方姿勢」はとりあえず駈歩発進のときくらいにしておいて、
まずは馬の本来の曲がり方に近い、開き手綱と外方の側対扶助による重心コントロールを身につけることから始めてみる、というのも、あるいは有効なのではないか、という気がします。
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