今日は立て続けに2つ書きたく思います。
安倍政権は「独裁の始まり」=小林、長谷部氏が痛烈批判(時事通信 6月15日付 一部抜粋)
「憲法学者の長谷部恭男早大教授と小林節慶大名誉教授は15日、日本記者クラブで記者会見し、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案について「憲法違反」との見解を重ねて示した。この中で、小林氏は「憲法を無視した政治を行おうとする以上、独裁の始まりだ」と安倍政権を痛烈に批判した。」
あの長谷部教授のご登場です。
小林氏はともかく彼の登場は時期的に何か意図的なものを感じずにはいられません。
そしてこの小林名誉教授、安倍政権を「独裁の始まり」と形容しましたね。
どうやら彼には「憲法」が全ての判断基準のようです。
「独裁」と言えば主張に正当性のない反政府団体お得意の文言ですが、まさかそれを慶応大学の名誉教授が発言するとは…申し訳ないですが彼の程度が押して測れます。
憲法を無視したら独裁者…「独裁」ってそんなのでしたっけ?
「少数者に権力が集中し,大衆の政治的自由が抑圧されている統治状態。専制とは異なり,被支配者である大衆の政治参加と積極的支持に基づく点が特色である。大衆操作とマス・コミュニケーションを前提とするきわめて現代的な統治形態である。 」(ブリタニカ国際百科事典より)
(・∀・)…全然違うやん。
いや、憲法無視も独裁者ならやるでしょうが、それ自体で「独裁」が成立するとは言えませんよね。
それに独裁ってそんなとこから始まるのですかね。
個人的には、それこそナチスドイツや北朝鮮、中国が連想されるのですが、どうやら彼らには安倍首相もそれらと同じに見えるみたいですね。
よくデモでも安倍首相の写真にイタズラしてヒトラーにしてますものね(稚拙すぎる…)。
独裁って、定義の通り「情報統制」したり「言論弾圧」で自分に反する意見者を処罰したりついには「虐殺」するっていうのがイメージだったのですけど、彼らの「独裁者像」って随分優しいんだなと思いますね。
多分安倍首相が本当に独裁者だったらとっくに小林さんなんか投獄レベルだと思うのです。
他にもメディアだってこんな自由に政権批判なんてできません。
違憲と言った学者だって全員投獄ですよ。
でもですよ、こんなことあり得ないでしょ?(苦笑)
もはや日本はあまりに「自由」が保証されていますから今からどうあがこうと独裁なんて地盤は作れません。
その前に何かしらの阻止行動があります。
しかも賛否はあれど、政府なりの解釈で、安保法制を考案し、国会という正規の場で審議を進めるよう努めているわけです。
こんなの独裁者ならしないでしょう。
それよりもあの「憲法違反のお先棒をかつぐような官僚の皆さんは絶対に許さない。政権を奪い返してから、必ず皆さんを処分する」でお馴染みの小西洋之議員のほうがよっぽど独裁者の才能があると思います。
また「違憲」とは言いますが端的に言っても本義である
「国家の防衛」という点に立てば集団的自衛権も許容されるべきなんです。
それを「個別的自衛権」なら自衛だからおーけー、なんてそれこそあなた方の解釈に過ぎないだろう、と言いたくなります。
そもそも一般的な法理論では、他人が暴漢に襲われていて、自分が襲われていなくとも対処するのも「正当防衛」の範疇だそうです。
そうすると集団的自衛権は?…となるはずですがその点の整合性はどうするのでしょうか。
そして報ステで合憲派の学者さんが仰っていました。
「国家があってこその憲法であり、その国家が危機の時に制約をかけるべきではない」と。
これに尽きると思います。
憲法を守って、その憲法が守られているはずの国が滅びたら意味がないんです。
その点を改めて反対派の皆さんには理解していただきたく思います。
やはりそもそも憲法9条自体が、国の憲法として成立しえない意味不明な存在だと私は思います。
話を戻しますが、憲法違反=独裁の始まりとは言えません。
やはり独裁に至るまでには様々なプロセスがあってこそだと思うのです。
それが日本では不可能ですし、安倍政権がしたことなどありませんし、再度言いますができません。
にもかかわらず何か似たようなことやれば、「独裁」、短絡的すぎるのです。
そりゃ、反政府団体が喜んで使うわけですね、だって単純、でも言葉の意味は強力だからイメージ付けにはもってこいですもの。
「思考停止してても使える強力な魔法の言葉」
それを知識人ともあろう小林氏が使うとは…情けないことです。