日付はまたごうとしていますが、本日6月23日は「沖縄慰霊の日」です。

沖縄の悲劇を忘れないために、そして犠牲になった人々への祈りを捧げる場です。


今日の報道各社も全て大々的に慰霊の日を取り上げました。

「戦争はいけない」これは誰もが有する共通の意識です…が、本当にこれだけでいいのでしょうか。

どこのインタビューやコメントを見ても「戦争はいけない」、その一点。

本当に重要なのはそこではないと私は思います。


では「なぜ日本は戦争をしたのか」「なぜ戦争は起きるのか」「我々が今後どう戦争・平和に向き合うべきか」


これこそが、真に報道すべき、そして我々が考えるべきものではないでしょうか。

やはり日本の「平和」に対する人々の意識はどうも表面的な部分でしか語らず、こうした肝心な部分に向き合おうとしません。

言っても結局「軍隊反対」「安倍独裁」「安保法制反対」=戦争反対になるわけです。


でも本当にそうでしょうか。

「軍隊があることで戦争になる」本当にそうでしょうか。

世界のほとんどの国で軍隊は保有されているわけですが、全ての国が戦争していますか?

していませんよね。

では「戦闘とはなぜ起こるのか」、歴史上「軍隊があるから」戦争になったことはありません

国と国同士の主張と利権の面から、最終手段として武力衝突し、戦争に発展してきたのです。

つまり、軍隊があろうと日本が戦争する意思がなければ戦争には至りません。

…が同時にこれは「我々の都合」です。

今の戦争反対を謳うリベラル派の人々は国「対」国のぶつかり合いという意識がすっぽり抜け落ちています。

いくら日本が戦争しないと言っても、相手がする、といったら戦争にはなるんです。

「相手の都合」にとってはどうでもいいことですから。

ではそうなってしまったときにどうするのか、やはり「防衛のための軍事力は必要」と私は考えます。

そしてこれが日本の平和のための防波堤になるとも。


こうやって、戦争・平和に対して考えを深めていく、これが今の日本人がするべきことではないでしょうか。

今のリベラル派は「戦争反対」で思考放棄しているとしか言えません


また報道ステーションでは慰霊の日に合わせ、「日米地位協定」についてイタリア、ドイツという「敗戦国」のくくりで日本の姿勢不足を批判していました。

これについても他2国での過去の一つ一つの事例・事件を照らし合わせ今日まで至った結果論から日本を否定するのみ。

そもそもになぜ日本が他2国と比較して未だに不平等なままなのか、それを「日本の努力不足」と断言しました。

それは違うと私は考えます。

理由は一つ「主権」がないからです。

ほとんどの人が今の日本には事実上主権がないとはお考えの事と思います。

また多くのリベラル派の人、いやこれについては多くの人が日米地位協定の改訂=主権回復と捉えていらっしゃるかもしれませんが、これは違うと思います。

「主権」があってこその「改訂」なんです。


だからこそその主権を取り戻すまでの過程をすっ飛ばして、他国と同様のやり方をしても今まで通り突っぱねられただの理想論になるわけです。

それは「普天間基地問題」に対する翁長さんの姿勢にも言えます。

こちらも基地の返還までのプロセスを考えずに、普天間も嫌、辺野古も嫌という状態、しかも自分たちは「嫌だけど被害者だから」責任者である国が勝手にやれ代案は出さん、もはや無責任としか言えません。

どちらも「無責任」なんです。

いくら主張しようが、それまでの準備や対策がなければ解決はしません。


では、主権回復のために何が必要か、その最も重視すべきものが「軍隊」なんです。

ようは、米軍への依存度を減らし、駐留する必要性を減らせばいい、という話です。

日本が強く出られない根本を取り除けばいい

自分の国も自分で守れない、守ろうとしない、代わりに他国に守ってもらう、こんな状態ではいつまでも「主権」なんて取り戻せません。


軍隊と聞いただけで過剰反応する、反戦団体を始めとするリベラル派の人々には今一度「現実」を「戦争」を「平和」というものに向き合っていただきたいと切に思います。怒りと共に。


私は「戦争」「平和」「沖縄」「日米地位協定」といったものに対する日本人の意識を改めさせる第一歩が安保法制だと思いますし、これが実現されなければ日本はいつまでも「理想論」と間違った「戦争」「平和」に対する認識が渦巻く歪んだ国家のままだと思いますし、そう断言できます。


戦争にしたくないなんて言うのは誰にだって言えます。

本当に必要なのはそこからどう戦争にしないようにするか考えること、そしてそれを考える上で第2次世界大戦といった「戦争」に「逃げずに」真摯に向き合うことです。

それが今のリベラル派、いや多くの日本人にはできていません。