連日、自民党議員の「懲らしめる」発言が話題になっていますが、彼らの発言に理解を示せるほど今のメディアは偏っていると思うんです。
そして偏っているが故に、メディアの本分を忘れていると思うんです。
彼らは今回の発言のように、自分たちが批判されるとすぐ「言論弾圧」と言います。
それが国が関わると、さらに過剰になります。「戦時中の軍国主義だ」とね。
でもですよ、それで今のメディアが好き放題やっていい理由にはなるわけがないのです。
もう戦後70年なのですから。
一方でメディアは平気で偏った報道の仕方をしますよね。「言論の自由」「表現の自由」「思想の自由」と。
これは完全に「自由」のはき違えに他ありません。
やっぱり、「自由」と言っても常識や節度の範囲内といった制約の上で認められていると思うんです。
例えば公共マナーです。
公共の場では「自由」だからと何してもいいわけではないし、やはり非常識なことをしたら批判されますよね。
これと同じです。公共マナーだって明確な法律はなににも関わらずこうして批判の対象となるのです。
上記の点に関してメディアは当然批判を受ける責任があるのです、本来。
にも関わらず、今のメディアはこれらを「言論弾圧」といって封殺してきます。
これは車内で迷惑行為をはたらく人間と同じ発想です。
「別に法律とかないんだから俺(私)が何しても勝手だろう」と。
やはり、「自由」を語って好きに主張するのなら、それに対して批判等の責任を負う。
そういう覚悟を持っての「言論の自由」ではないでしょうか。
そしてそれが「企業」の責任です。
所詮、メディアといってもただの「企業」でしかありません。
やはり問題のある行動をしたら、責任を追及したり、やはり当然「潰せ」なんて声も挙がるわけです。
それが不条理な内容なら、反論すればいいですが、今のメディアは真っ当な批判にも反論してくるのです。
私個人の考え方として、番組であったり新聞であったり、映画とかの作品も人の「思想信条」「価値観」によって成り立っていると思っているので、メディアごとに主張があって構わない、と思います。
でも、メディアは「思想の自由」「言論の自由」だからと一方的に何か、今回で言えば政府に対して一方的な批判を向けてはいけないんです。
国民はメディアに頼らなければ情報を知ることはできません。
それは国も同じで、さらに国はメディアを頼らなければ国民に「伝える」こともできないんです。
にも関わらず、メディアがそういった政府の声をシャットアウト、または伝えても番組内や記事内で批判するばかりでは「歪んだ」形で国民に伝わることにもあり、「公正」とは言えないことになるのです。
やはりメディアの本分は「公正中立な報道」だと思います。
どんなに「言論の自由」があろうと、政府批判の主張をしようと、これを心がけなければいけないと思うのです。
メディアは「一般人」ではなく「報道関係者」という専門的な存在なんです。
それは歌手や漫画家といった人々と似たようなもので、一般人の中では、歌は上手いし、絵もきれいかもしれない。
でも、そういった能力を職にする以上、一般人以上の職業人に見合う能力を求められるわけです。
だから「下手」という文句を言われるのは当然のことですし、それに対して「お前らはできないだろ」という論調は甘えであり、責任転嫁です。
ようは「文句を言うな、批判するな」ということです。
企業も製造業ならこの製品悪いんだけどと批判された時に、企業側に問題があるのに、「お前らには作れないだろ、文句言うな」なんて返答は言語道断ですよね。
残念ながら今のメディアはこの状態なんです。
「我々には言論の自由があるのだからどのようなことを書こうと自由だ」
「報道関係者でないお前ら(国や国民)が言うな(批判するな)」と
やはり報道関係者として、どんなに主張を出そうと「公正中立」を心がけなければいけないし、過度な一方に対する批判は止めるべきなのです。
そこには報道機関として「言論の自由」は常識、節度だけでなく、「職業としての制約」もかかるわけです。
「報道関係者」という職についた以上、それを専門に活動する以上我々一般人と同じ土俵で活動してはいけないんです。
現在のメディアは「自由」をはき違え、メディアの本分である「公正中立」を忘れ、お前らに我々を批判する権利はないと「立場」におぼれています。
こうしたはき違えと本分を忘れた先に彼らが行き付いたのは、彼らが最も嫌っている「戦時中の日本軍国主義」と同じ「言論弾圧」という結果です。
この皮肉な結果にメディアが気づくことは永遠にないでしょう。