W杯 - レガシーを作る日本遠征 - | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

4年前を思い出す。

当時、せっせとブログの更新に精を出していたが・・・

日本代表が南アを破り、万が一にも信じていなかったことが現実に起きてしまったのを目の当たりにして、現実の前では私の稚拙な文章など何の意味も持たないと思えてしまい、ブログの更新への熱意が冷めてしまった。

もちろん、ラグビーだけがブログネタでは無かったが、シドニーに30年住み、南半球最高峰のラグビーを観続けて来た私にはそれほどの衝撃だったのだ。

 

「奇跡なんて続かないさ!」

内心そう思いながら、今年9月、日本でW杯が開幕となった。

開幕後は「ホントに?」と思いながら、ジャパンはアイルランド、スコットランドを撃破して堂々のベスト8入り、準々決勝の南ア戦にも大健闘の試合を演じ、なんと大会開催中の世界ランキングはオーストラリアを抜き日本は世界6位になってしまったのだ。

サモア戦やスコットランド戦は、驚きを感じずに勝って当たり前のような気持ちで観戦できた。

ほとんどイージーミスを犯さない選手たち、リロードの早さから感じられる選手達のフィットネスの充実、先を予測した選手達のアタックやディフェンスへの対応・・・

それは、まるで世界有数のチーム同士のテストマッチを観戦しているようだった。

ラグビー日本代表は本当に強くなったのだ!

 

W杯開催に併せて、私はオーストラリア・クイーンズランド州・ゴールドコーストに在する歴史も伝統もある名門ハイスクールThe Southport School (TSS) ラグビークラブ(総勢50人)の日本遠征のプランニングやコーディネートを任された。

1901年に開校されたTSSは小中高一貫の名門校、文武両道、スポーツ分野ではワラビーズはもちろん、数々のスポーツ競技で多数のオリンピック選手やオーストラリア代表を輩出している。

北海道の札幌ドームで「オーストラリア フィジー」「イングランド トンガ」、東京スタジアムでは「オーストラリア ウェールズ」を観戦した。

オーストラリアの試合を観戦する際のドレスコードがゴールド(ワラビーズ・カラー)なのは当然だが、面白かったのは、前日に選手達に指示のあった「イングランド トンガ」のドレスコードはトンガ・カラーのレッドだったことだ。

南半球の同胞を応援するためなのか? TSSにトンガ出身の留学生(選手)がいるからなのか? それとも、イングランドまたは監督のエディ・ジョーンズを嫌っているのか?

まあ、真相は知らないことにしておこう。

 

W杯の雰囲気をスタジアムで直に感じ、海外で地元ワラビーズを応援できたことは生涯忘れられない体験となったはずだが、この遠征の真の目的はあくまで44人の少年達(14~17歳)が日本の文化や習慣、歴史や自然に触れること、日本に友人を作ることにあり、私に求められたことは少年たちの将来にレガシーを残すことだった。

最初の訪問先の札幌では、札幌山の手高校と合同練習、親善試合、ファンクション、ホームステイ他を全うでき、遠征の出発点として、最高のスタートを切ることができた。

日本代表キャプテン「リーチ・マイケル選手」の日本の父親的存在である佐藤先生が全てを快諾し、コーチングコースでの出会いから20年に及ぶ変わらぬ友情に感謝だった。
親善試合には北海道ラグビー協会の田尻会長をはじめ多くのスタッフが関わってくれていた。

そして、TSSのスタッフ達が世界一と絶賛したグラウンドを提供してくれた北海道バーバリアンズクラブの皆様にも感謝しなければならない。


北海道バーバリアンズクラブのクラブキャプテン上坂さんから、唐突に「加藤さん、昭和53年の早大の北海道遠征に参加されていませんでしたか?」と尋ねられ、私が「はい、参加していました」と返すと、「あの試合に、私も出ていたんですよ」と古いプログラムを手渡された。

40年前の懐かしい記憶が蘇り、北海道の皆様の温かいおもてなしを思い出した。

あれから40年、オーストラリアの少年達を連れて北海道を再訪し、変わらぬ真心のおもてなしに触れた私は、レガシーを作ることの大切さを感じるばかりだった。

W杯やスポーツ関連施設等の視察のため北海道を訪れていたスポーツ庁鈴木長官が、忙しいスケジュールの中、わざわざ定山渓グラウンドに足を運び、日豪双方の選手達を激励してくれた。

世界中を飛び回りスポーツ発展に力を注ぐ鈴木長官は、マスコミに報道もされないこのようなローカルな試合に熱心に目を向け「少年たちの心にレガシーを残したいから」と笑った。

選手達もそれに応えて、鈴木長官の熱いメッセージに身を乗り出すように熱心に耳を傾けた。

 

たった3泊の滞在だったが、抱え切れないほどの思い出を胸に北海道から関東に移動、関東でもラグビー仲間のサポートのお陰で素晴らしい遠征を続けることができた。

 

週中にも関わらず、國學院久我山高校では日本の学園生活を体験させてもらうことができた。

大学の後輩でラグビー部監督である土屋先生が中心となり、教職員並びに生徒の皆さんのおもてなしは予想していた以上に、とても新鮮な体験となった。

 

TSSの選手1人に対し久我山高校の生徒1人がバディ(相棒)となり、それぞれの生徒が自分の授業に連れて行き、日本の学園体験をさせてくれたのである。
もちろん、参加する授業はバラバラで、ある生徒は数学の授業だったり、ある生徒は剣道やバレーボールの授業だったり、面白かったのは調理実習の授業に参加した選手や化学の授業に教員として参加したスタッフ(
TSSの教員)もいたことだ。

 

授業終了後には一緒にランチを食べながらのコミュニケーションタイム、TSSの選手達はもちろん、久我山高校の生徒達にとっても忘れ難い体験となったに違いない。

そして、放課後には親善試合が行われ、ファンクション後にそのまま生徒の家にホームステイというスケジュールが組まれていた。

学校や生徒との交流の他にも、日本の歴史や文化、美しい自然を体感してもらうためのスケジュールを組み入れた。

オーストラリア代表ワラビーズが事前キャンプ地に選んだ小田原市の小田原城を訪問、箱根では温泉体験、富士山を間近に見る機会にも恵まれた。

オーストラリアに戻ってから箱根の台風被災を知ることとなったが、とても他人事のように思えず、TSSのスタッフからも私の元に心配のメッセージが相次いだ。

毎日移動するバラエティに富んだスケジュールだったが、選手もスタッフも元気そのものであり、それは誰もが遠征を楽しんでいるバロメーターに違いなく、私たち日本側スタッフのモチベーションをアップさせた。

 

学校交流の締めは東海大相模高校である。

ワラビーズカラーのシャツを身に纏ったラグビー部の選手達がエスコート役を担い、そのフレンドリーな対応に、TSSのスタッフ(教員達)は、普段の教育やマナーに関する指導の徹底についてそれぞれが驚きを口にした。

その選手達の姿勢の裏には、今回の交流を快く引き受けてくれたラグビー部監督三木先生やスタッフの日々の努力があるのは間違いない。

彼らのお陰で、この日も忘れられない時間となった。

日本文化の体験として書道部の感動のパフォーマンスを鑑賞、そして、その後にはTSSのスタッフや選手達にも書道を体験できる機会が用意されていた。

書道体験では書道部の顧問である後藤先生が書道について説明、そして日本語の例文が提示され、パフォーマンスを披露した女子部員、ラグビー部の選手達も加わってTSSの選手達をサポート、日本での学校体験を締め括る素晴らしい機会となった。

そして、それぞれが自ら作成した作品は、団扇(うちわ)としてオーストラリアの家族への最高の土産となったはずだ。

書道体験に引き続き、親善試合、ファンクションが行われたが・・・

ファンクションの途中から、W杯「ジャパン アイルランド戦」のTV中継を観戦、共にジャパンを応援し、ジャパンの勝利が決まった瞬間には食堂が揺れるほど歓声で沸き上がった。

それは、まるで絵に描いた夢のような出来事だった。

その興奮の冷めぬまま、選手達はホームステイへと出掛けて行った。

 

TSSラグビークラブはラグビーW杯開催に併せて海外遠征を行っているが、その度に翌シーズンには素晴らしい結果を残している。

今回の遠征を終えて、スタッフ達は「過去最高の海外遠征!」と手放しで評価した。

ラグビーW杯のホスト国の役目を立派に果たした日本、決勝戦から3週間経った今も、連日W杯の成功やその感動がSNSなどから発信されている。

そして、それは日本だけに留まらず、世界中が同じように評価しているに違いない。

私達にとってもホスト国日本、そしてホストスクールやホームステイのホストファミリーの心からのおもてなしはTSSのスタッフや選手達を感動させ、それが今TSS関係者や家族を通じて更に大きく広がっているのは間違いない。

 

私自身、この遠征の成功は嬉しかったが、出発から帰国まで何の事故もトラブルもなく、全メンバーが元気に遠征を終えることができたことが最高の喜びだった。

オーストラリア代表ワラビーズが早々と姿を消したのは残念だったが、遠征を終えて、シドニーに戻りノンビリTV観戦した決勝リーグは素晴らしい試合の連続だった。

試合終了後に幼い子供達がピッチに降り立ち、闘う男たちが優しい父親に変わっているのが何とも微笑ましい光景に思えたのだが・・・

その光景を観ながら、私はTSSのスタッフの多くが、書道体験の際に、数多くの例文の中から「家族」を選んで描いていたのを思い出した。

わが友アンドーの達筆ぶり!には驚きだった。