築地の魂 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

土曜朝7時の「NHKニュースおはよう日本」で、"築地の魂次世代に 市場移転前に町が団結" という特集番組が放送されたが、番組の柱は、築地(場内)の豊洲への移転を前に、場外の店主たちが築地の祭りを次世代に引き継ごうと努力する姿だった。

*場内はプロの買付人向けの卸が並び、場外は一般向けの小売店やレストランが軒を連ねる。

訪日の際、私は必ずと言っていいほど、築地界隈のホテルに1泊して空港に向かう。

成田からの出発なら、上野まで地下鉄日比谷線で近いし、羽田の出発も東銀座から1本、そんな便利さもあって、日本での仕事を終え、出発前日の築地は私の大きな楽しみなのだ。

 

銀座から徒歩圏内にも関わらず、リーズナブルなビジネスホテルもあり、シドニーで待つ家族への土産はほとんど築地で買い揃えることにしている。

もちろん、贅沢品を買う訳ではなく、定番は "さつまあげ" "かまぼこ" "ちくわ" "しらす" "煮魚の袋詰め" "サバの干物" など、我家の食卓のおかずばかり。

最近は築地でも、サバの干物はノルウェー産やフィンランド産が多くなったが、それでも日本向けに加工されたものは、シドニーで手に入るものとは、味のランクが全然違う。

食品の持ち込みに極端にナーバスなオーストラリアだが、海産物は申告すればOKなのだ。

 

それと築地の楽しみは、何と言っても朝食である。

朝8時を過ぎると海外からの観光客などで歩けないほど混み合うが、私はいつも朝早く買い出しに出掛け、人がまばらな時間に朝食を食べる。

慶大ラグビー部元監督の故上田さんは、自身のブログによく築地の寿司屋で朝食を食べる様子を投稿されていたが、私のお気に入りは、おにぎり屋である。

小さな店で、6、7人のおばちゃんが朝早くから握っているおにぎりは絶品で、上質の米とたっぷり入った具が私の早朝の空腹を満たしてくれる。

絶対外せないのは "親子" 、焼き鮭とイクラがたっぷり入って238円・・・

店の横の小さなスペースに椅子が置かれ、お茶も飲めるのが嬉しい。

ほお張った瞬間、必ず「昨晩、締めのラーメンを我慢して良かったぁ!」と思うのだ。

それと、素通りできないのが、おにぎり屋から20mほど進んだ玉子焼きの「山長」、鰹だしのたっぷり効いた1串100円の玉子焼き、例え行列が出来ていても、私は大人しく並ぶ。

 

かつて、必ず立ち寄る店があった。

甘さ控えめの大福を売る「築地ひさまつ」、この店を訪れる度に、私は、塩大福(こしあん)30個、よもぎ大福20個、ごま大福20個、と大量に購入する。

それをシドニーの持ち帰り、冷凍して、それが約半年間の私と妻のお茶菓子になるのだ。

そう、それはシドニーで暮らす中年夫婦のささやかな楽しみなのだ。

冷凍しても、半年経っても、モチモチ感や味は変わらない。

 

一度その大福を土産に買って帰ったのを妻が喜び、次の訪日でも再度その店を訪れた時だった。

「おじさん、冷凍のやつくれる」

「前にもいっぱい買ってくれたよな、そんなにどこに持って行くんだい?」

「オーストラリアだよ、女房がここのこしあんが大好きなもんで」

おじさんはお茶を出してくれ、何個かおまけしてくれた。

次に訪れたのは確か夏の暑い日だった。

今回も私を覚えてくれていた店主に、「おじさん、暑いから体に気を付けなよ」と言うと、「俺、あんまり調子良くねーんだよ!あそこにちょっと入院してたんだ」 

指差した先は築地市場の向かいにある癌研のビルディングだった。

 

私は半年に一度ぐらい訪日するが、次に立ち寄った際には、その店が閉まっていた。

「今日は休みなのかなぁ?」 

「おじさんの体調が良くないって言ってたからなぁ」

「待てよ、閉店しちゃったのかなぁ?」 

その後も訪日の度に店舗の前を通り過ぎたが、「築地ひさまつ」の看板だけはそのままなのだ。

 

2年目ぐらいの朝早く、見知らぬおばさんがこの店の開店の準備をしていた。

「あれ、おじさんは?」と尋ねると、おばさんは沈んだ声で言った。

「実は、主人はつい先日亡くなったんです」

言葉に詰まっていた私に、「私、主人から聞いていましたよ。オーストラリアに住んでるお客さんが、いつもたくさん買ってくれるんだって・・・ お客さんだったんですねぇ」

 

たまにしか顔を出さない、単なる通りすがりの客である私をおじさんは覚えていてくれた。

そして、おじさんは私のことを奥さんにまで話してくれていた。

それだけで私は泣きそうだった。

おばさんがお茶を出してくれた。

毎日一人で重い大福を運び入れ、一人で販売し、一人で片付けもする、それは女性には重労働であり、考えるだけで大変そうだった。

決して贅沢な暮らしをしているとは思えなかったし、以前おじさんから、埼玉か千葉から毎日朝早く通っているんだよと聞いた記憶があった。

もちろん、私は店主がおばさんに変わっても、訪日の度に土産としてこの大福を大量に買い続け、その度にシドニーで私の帰りを待つ女房を喜ばせた。

 

いつも私が買いに行くのは朝早く、おばさんが懸命に開店の準備をしている頃だ。

まだ一般客は少ない時間帯であり、店先でお茶をご馳走になっていると、いつも決まって隣のシュウマイ屋のおじさんが顔を出し、気さくに話し掛けてくる。

おばさんの話では、重い荷物を運びこんだり、男手が必要な時にはいつもこのおじさんが快く手伝ってくれるそうだ。

それは、きっと「築地の人情」っていうやつなんだろう。

それからも半年に一度は大福を買うためにおばさんの「ひさまつ」に寄ったが、その度に隣のおじさんと話し込み、いつの間にか、おじさんは私を「加藤さん」と呼ぶようになった。

私はこのおじさんに自分の名前を名乗った記憶は無いのだ。

話してみると、おじさんの親族に早稲田実業高校のラグビー部員がいて、おじさんは随分昔から早大ラグビー部を応援しているということだった。

「フォワードの加藤さんだろ。確か主将だった早実の橋本や金澤と同じ頃だったよね」

確かに橋本は同期、金澤も一年後輩であり、同じ時代にプレーした仲間だった。

2人は共に主将の重責を担ったが、共に早実の出身だった。

正直その言葉には驚いたが、悪いことは出来ないものだと思った。

 

つい2年ほど前、大福屋の「築地ひさまつ」は、突然閉店してしまった。

隣のシュウマイ屋のおじさんの話では、ひさまつのおばさんは一生懸命一人で切り盛りしていたけれど、厳しい仕事が祟って腰を悪くし、仕事を続けるのを諦めたということだった。

今も築地を訪れる度に、必ずその前を通るが、もうそこに「築地ひさまつ」の看板は無い。

それでも、シュウマイ屋のおじさんが人懐こい笑顔で私を見掛けると喜んでくれる。

「オーストラリアは肉類の持ち込みが禁止されてるから、シュウマイは持って帰れないんだよ」

「そんなことはどうでもいいから、1個食べなよ」

いつも、ホカホカのジャンボ・シュウマイをご馳走してくれる。

そのお返しのつもりで、私もワラビーズのキャップやTシャツをプレゼントした。

 

日本を出発する前に築地に寄るのを恒例にしてから10年を超える。

部屋の本棚から2010年の "大人の週末" という雑誌を発見したが、なんとそこに「築地ひさまつ」の紹介が載っていたのだ。

小さな写真の中に私を覚えていてくれたおじさんが映っていた。

人情とは、「人の持つありのままの心」とか「人に対する思いやり」を意味する。

築地の人情には、「食に対する心意気」というか、食に対する「粋(いき)」や「粋(すい)」のようなものが感じられる。

これみよがしの主張はせず、そこには本物を扱う自信というか、まずは黙って食ってみなよ!という "さっぱりした気立て" のようなものを私はいつも感じるのだ。

時代が変わり、外国人観光客が団体が押し寄せ、ピーク時には真っすぐ歩くこともままならないテーマパークのような築地場外、そんな中にも "築地の魂" を残そうとする人たちがいる。

そんな彼らが私を「また築地に行こう!」という気持ちにさせるのだ。