2015年ラグビーW杯観戦後、ブログを書くのをやめた。
オーストラリア移住やラグビーを中心にブログを書き続けていたが・・・
「事実は小説よりも奇なり」
長くオーストラリアに暮らし、88年以来、南半球3ヶ国の全試合を観戦してきた私にとって、ジャパンが南アを破った事実は余りにショックで、コメントはおろか、何かを書き残そうという気持ちが完全に失せてしまった。何を描いてもあの画像には敵わない!
何度も最後のトライのシーンを観たが、こんな日が来ると考えることさえ無かった。
ミスの少なさ、リロードの速さ、その選手たちの血と汗の努力、そしてあの瞬間の歓喜、どれをとっても進化したジャパンの素晴らしさに申し分ない。
オーストラリアの仲間たちはその誰もが純粋にジャパンの快挙を絶賛している。
それなのに、なぜか素直に喜ばない自分自身やその心の狭さにウンザリしているのだ。
「ブログの更新を楽しみにしています」
時々そんなメッセージが届く。
大した文章でもないのに、読んでくれる人がいるのが本当に嬉しい。
ストップしてから2年、アメブロのフォーマットやその書き方さえ忘れていた。
日本ではトップリーグが開幕したようだが、南半球ではブレディスローカップ(ワラビーズVオールブラックスの伝統の定期戦)が開催され、それなりに盛り上がっている。
その第一戦、ワラビーズはオールブラックスに34-54で敗れた。
前半は6-40、ワラビーズ史上最悪の点差で折り返し、最終的に点差は詰めたものの、54失点は史上最悪の記録更新だったそうだ。
ここ数年、「オールブラックスには勝てない!」というイメージが定着し、私自身、かつてのように敗れた後に眠れないほど気落ちしてしまうようなことが無くなってしまった。
以前は8万枚の観戦チケットが1時間で売り切れたが、今は空席が目立つ。
「THE HAKA / John Eales」という番組を偶然観る機会があった。
ジョン・イールズ。
99年W杯で2度目の優勝を果たした時のワラビーズ・キャプテンである。
現役引退後、彼はオーストラリアのラグビー大使として世界のラグビー発展に貢献し、将来的にはオーストラリアのラグビー界を牽引する存在になると言われている。
滅多に観ることの無い「ディスカバリー・チャンネル・オーストラリア」で放送された番組だったが、内容的に素晴らしく、偶然観る機会に恵まれたのはラッキーだった。
最初は、元ワラビーズ・キャプテンのイールズが、今年のブレディスローカップ開催に合わせ、敵地ニュージーランドを旅したありきたりの紀行番組だろうと思って観始めた。
1996年7月6日、ウェリントン・アスレチックパークで開催されたブレディスローカップ、キャプテンとしてイールズが率いるワラビーズは、ニュージーランドの魂とも言われる試合前のハカに向き合いもせず、自陣22m付近でハンドリング・ドリル(ウォームアップ)を続けた。
私はこの試合を記憶している。
1990年代から2000年代初頭、ワラビーズはオールブラックスに最も迫った時代であり、W杯イヤーの91年~03年を見れば、ブレディスローカップ獲得イヤーは、ワラビーズが7回、オールブラックスは6回である。その内、98年から02年までは、ワラビーズが5年連続でブレディスローカップを獲得しているのだ。
伝統的に3回のテストマッチが行われ、2勝した方がブレディスローカップを獲得し、1勝1敗1分の場合は前年の勝者が獲得する。
オーストラリアとニュージーランドの国民的行事(関心事)と言っても良い。
ワラビーズの黄金時代とも言える時代の真っ只中に、あのハカに背を向ける事件は起きたのだ。
試合結果は3ー38。
その時点でブレディスローカップ史上、最大の点差、ワラビーズにとっては最悪の結果だった。
イールズの旅のストーリーはその試合の記憶から始まる。
オールブラックス史上、最も素晴らしいキャプテンと言われるウェイン・シェルフォード(キャプテンとして出場したテストマッチで敗戦ゼロ)がイールズの旅の案内役を務めた。
イールズはシェルフォードに付き添われてNZの多くの町を訪ね、たくさんの人々と交流する。
その町々の博物館などにも足を運び、そんな現地での体験からNZ国民にとってどれほどHAKA(ハカ)が大切なものかを知る。
それを知ったイールズの心は、あのテストマッチ(1996年7月6日、ウェリントン・アスレチックパークでのブレディスローカップ)に戻るのである。
イールズは率直に語り始める。
あの時、偉大なジンザン・ブルックがHAKAを率いていたんだ。
私達はそれに向き合わないことでHAKAの力を損なうよう努めたのだが、私達が得たものは、私達自身を小さなものとし、より劣勢にすることだけだった。
ワラビーズのゴールドジャージを身に着け、勇気のために、仲間のために、スポーツマンシップのためにそこに立つはずだったのに、あの日、我々には何もなかった!
旅の途中に訪れた戦争博物館、第一次世界大戦中の戦地でニュージーランド部隊の全兵士がハカで士気を高める古い映像を目の当たりにする。
マオリ族記念館で子供達と真剣な面持ちでハカを習うイールズの映像も印象的だった。
圧巻だったのは、最高のライバルだったジョナ・ロムの葬儀の際に、彼の墓前で行われた歴代オールブラックスによる全員泣きながらのハカの映像だった。
ハカを率いていたのは案内役のシェルフォードだった。
偶然だったが、私にとって貴重なドキュメンタリーとの出逢いだった。
ワラビーズとして86キャップ(91年~01年)。
イールズは伝統のブレディスローカップで20回以上オールブラックスと戦っている。
その誇りは掛け替えのないものだろう。しかし、そんな輝かしい経歴の中にも、「ハカに背を向けた」という彼にとって忘れることの出来ない後悔があったのを知った。
触れたくない記憶、触れられたくない記憶は誰にでもある。
イールズの純粋な姿勢、かつて戦ったオールブラックスの仲間たちの友情、そして連綿と続く文化や歴史がイールズの後悔の念を溶かしていくのが感じられた。
「逃げるな、向き合え!」とイールズの旅に励まされたような気がする。
そう、ジャパンが南アを破ったのだ!
我がジャパンが南アに限らず世界の強豪国を打ち破る時代が来るかもしれない!