「学ばぬ者に進歩無し!」
「いい言葉ですね。本当にその通りだと思います!」
そんなコメントを添えて、セミナー参加申し込みの返信をくれたコーチがいる。
セミナー開催の準備に追われている私を元気にしてくれる一言だった。
私が常々自分に言い聞かせている言葉を、そのままセミナーの案内に書き入れた。
他にも思いつくままに書き加えたが、「受け入れる心」も、「継続」も、特に「失敗無ければ進歩無し!」は、私の人生の教訓と言える言葉なのだ。
学んで、受け入れ、それを継続しながら、失敗し、また学ぶ・・・
その繰り返しの連続が、結局私の人生の「基本」と言えるのかもしれない。
「1年も住めば英語はペラペラになるよ!」
オーストラリア移住を考える前から、巷ではそんな言葉がもっともらしく語られていた。
私は疑うことなくそれを信じていたし、もし、移住に失敗して日本に戻るようなことになっても、英語教師の道もある!などと本気で考えていたのだ。
25年間シドニーに住んで、日々英語と格闘する自分がここに居る。
そして、私の安易な思い違いが今では笑えてくるようだ。
私は小学5年生から英語塾に通い始めた。
私が育った時代なら、随分早く英語に触れる機会に恵まれたのかもしれない。
50年近くも前のことなのに、なぜか私はその英語塾の最初の授業を覚えているのだ。
「日本では沢山の英語が使われていますが、皆さんの知っている英語を先生に教えて下さい」
全員が順番に答えなければならない。
私はふと、野球を思い浮かべ、「ファースト」と答えた。
「へぇ~ 野球やってるの !?」
私は頷(うなず)き、ちょっと優越感。
すると、次の少年は「セカンド」と続き、次は「サード」・・・
当時、野球は子供達にとって最も人気のある身近なスポーツだった。
そんな連続に先生は苦笑い。
そんな中に大声で「リンゴ」と答えた少年がいた。
昭和30年代のほのぼのとした映画のワンシーンのようだが・・・
「あんた、何考えてんのよ !?」とでも言わんばかりの先生の顔が心なしか浮かんで来る。
そういうシーンは意外に忘れないものだ。
後々、私は「リンゴ」と答えた少年と親友になる。
私は両親が教育熱心だった訳でも、恵まれた家庭に育った訳でも無い。
父は貧農の3男として生まれ、学問をする年代は太平洋戦争の真っただ中、戦後、地元の製紙会社に勤め、独学でボイラー技師1級の資格を取得したボイラーマンだった。
「横文字ができたら、特級まで取れたんだけどなぁ」
それは、父の口癖だった。
それが兄や私に早くから英語を習わせた理由だったのかもしれない。
私の両親は学ぶことには寛容だった。
あれから中学、高校、大学まで、相当長い時間を費やして英語を習い続けたはずだった。
それなのに、その成果は全く無いと言っていい。
中学の教科書には、確か "グリーンフィールドという街に住むトムとスージー" が登場する。
街の美しいイメージやのどかな海外の生活に私は憧れを感じたものだ。
あの頃は、まさか海外移住までしてしまうとは思ってもいなかったが、それでも、手相を見るのを習っていた親友の母親から、中学の頃、真顔で言われたことがあった。
「加藤君、あなたは海外に住むと手相に出ているわよ」
英語の授業から、海外に対する想像力を膨らますことはできたが、教科書に登場するトムやスージーが、何を考え、普段どのような会話をしていたのかの記憶は全く無い。
単語や文法を覚えることが最も重要で、日本では生活や習慣を教えようとはしない。
教科書や授業そのものから生活感のようなものが感じられなかったため、こんな時なんて言うんだろう、あんな時どういえばいいんだろう、この質問にはどう答えればいいんだろう、そう、結局、生活に置き換えて考えるような訓練を一切受けて来なかったのだ。
英語の授業は好きだったし、当時の英語教師に言わせれば、しっかり教えていたよ!と言うかもしれないが、様々な場面を想定した訓練不足が、想像力を退化させ、普段の生活に使われる簡単な会話も出来ないという私のような状況を生んでしまったのかもしれない。
"ベイシック・センテンス" を必死に暗記したが、それで試験の点数は何とかなったのだ。
シドニーに住み始めた25年前、子供達が「Can I have・・・」と言うのを何度も聞いた。
何か ”ちょうだい” と言いたい時に、そういう言い方をするんだ !? と思ったものの、日本の授業で習った記憶は無く、「I want 」がいつも私の会話の邪魔をした。
仕事上、「イエス」、「ノー」をハッキリ伝えることが必要になっていったが、「イエス、プリーズ」「ノー、サンキュー」が言えるようになるまでに随分時間が掛かった。
会社に掛かった電話に、「Who are you?(おまえは誰だ?)」と言って怒られたが、本来なら「Who is calling please?(どちらさまですか?)」と言うべきだのだ。
「そんなんでよく、移住など決意できたなぁ !?」と言われそうだが、全くその通りなのだ!
文法やベイシック・センテンス(基本文章)を一生懸命暗記し長年学び続けたのに、幼い子供達の会話にもついていけない自分が情けないが、その言語障害を今も引きずっている。
それでも、仕事上、様々な文章のやり取りを避けることはできない。
大切なやり取りや手紙、文章作成などは、可能な限り息子達にチェックして貰うことにしているが、いつも決まって彼らに言われることは、「お父さん、何が言いたいの?」なのだ。
オーストラリアで育った息子達、私への気遣いは一切無く、いつもキッパリ言われてしまう。
オーストラリアのラグビー界に深く関わり、その進んだシステムを日本に伝えようと、セミナー開催を決意したが、その背景には日本ラグビー界の現状に疑問があったからだ。
その疑問とは、日本の英語教育に重なる。
「基本」「基本」と何かの一つ覚えのように言うコーチが日本には多いのだ。
何年も文法と"ベイシック・センテンス" の指導を受けたものの、実際に喋るのは丸っきりダメという英語教育よろしく、実際の試合にその基本が一切機能しないケースは多い。
「基本」が重要なのは理解できる。
ただ、「基本」があっても、応用できなければ、その基本が意味をなさないのだ。
よく、テクニックとスキルの違いが取り沙汰される。
例えば日本選手のパスのテクニックは極めて素晴らしいが、ディフェンスを付けたプレッシャー下では、一気にその精度が下がってしまう。
それはスキルとして身に着いていないということだろう。
それは、英語の知識(基本)はあるのに、会話(応用)になると全然ダメというのと同じだ。
かつて、オーストラリア・ラグビー界の至宝と言われるD・キャンピージーに「貴方にとって、ベイシック・スキルとは何か?」聞いたことがあった。
「僕の使命はトライを取ること、そのために必要な全てのアイテムのことさ」
彼らしい、極めてキッパリした返答だった。
走ることも、パスもキャッチも、キックも、ポジショニングも、想像力もすべてが含まれる。
「僕はどんなことでも恐れずに試してみるし、それが完璧に出来るまで努力をするのさ」
彼は、ルールを熟知することやそれを利用することも基本スキルに加えている。
「基本」て一体何だろう?
まずはそれを考えてから物事を開始するのは大切なことだろう。