海外に住んでから、自分のやりたいことに前向きになった。
今の私は、仕事でも楽しみでも「悩むなら、やっちゃえ!」の姿勢なのだ。
私には、生涯に一度行ってみたいイベントがある。
毎年スコットランド・エジンバラ城の城門前広場で開催される "ミリタリータトゥー" である。
"ミリタリータトゥー"と言えば、単純に "軍人達の入墨" を想像してしまいそうだが、そのような意味ではなく、軍楽隊の音楽を総称してタトゥーと呼ぶそうである。
スコットランドの首都エジンバラで開催される芸術祭 "エジンバラ・フェスティバル" の目玉として、毎年8月に開催される。
それほど古い歴史がある訳では無く、1950年に開始された。
エジンバラ城正門前の石畳の広場を会場に、元々はスコットランドの軍楽隊がパレードしながらバイパイプとドラムを演奏したのが始まりだった。
近年は世界中からたくさんの軍楽隊を招待して、盛大に開催されるようになった。
09年10月、イギリスを旅した際に、私はエジンバラを訪れた。
その際に、エジンバラ城を訪ねたが、8月に開催された "ミリタリータトゥー2009" に使われた鉄パイプの観客席が、城門前の広場にそのまま残されていた。
ABC放送(日本のNHKのようなオーストラリアのTV放送)で、その映像だけは観たことがあったため、私はこの観客席に座り、実際のミリタリータトゥーを想像してみた。
エジンバラ城の正門から登場する軍楽隊、そして目の前で繰り広げられる素敵なショーの数々。
世界遺産になっているこの広場に繋がるロイヤル・マイルと呼ばれる古い小路には、バグパイプを抱えた多くのストリートミュージシャンが、あの独特の旋律を奏でていた。
このロイヤル・マイルを歩けば、ああ、俺はスコットランドを旅しているんだと実感する。
私の息子達はシドニーのスコットランド系ハイスクール "スコッツ・カレッジ" で学んだ。
校則としてスポーツ系クラブと文科系クラブへの加入が必須で、長男はスポーツ系がラグビーと陸上、文科系はパイプス&ドラムス・クラブに加入した。
私は秘かに期待していたが、長男の選択は私の期待通りだった。
バグパイプは日本ではあまり馴染みのない楽器だが、その独特の音色にスコットランドの歴史や風土を思わせる何か崇高な響きが感じられ、私の憧れの楽器だった。
もちろん、私には無理だったが、実際に息子がバグパイプを手に取り吹くことになったのだ。
私や妻は様々なパレードの "追っ駆け" をしながら、当然バグパイプの虜(とりこ)になった。
スポーツでも何でも好きになることが上達の礎になるが、長男は笛の部分を家に持ち帰り、毎日必ず一定の時間を指使いなどの練習に費やした。
結果、スポーツで言えば1軍を意味するAバンドに選ばれ、政府主催の公的なパレードなどにも参加するようになり、エジンバラ遠征の代表にも選ばれた。
毎年、4月25日のアンザック・デーには「アンザックパレード」が行われる。
アンザックデーは戦争記念日であり、オーストラリアが参戦した全ての戦争に参加した全兵士を敬う日であり、また、戦争の犠牲者を思い出し、その鎮魂を願う日である。
パレードはシドニーのメインストリートである "ジョージストリート" で行われる。
元々は第一次世界大戦中、アンザック軍(AUSとNZの連合軍)がトルコのガリポリでトルコ軍に大敗し、戦争の悲惨さを憂う敗戦記念日としてアンザックデーは設けられたが、近年パレードに参加するほとんどが第二次世界大戦やベトナム戦争を戦った退役軍人に替わった。
”スコッツ・カレッジ・パイプス&ドラムス・クラブ” は、長年このアンザックパレードの先頭を務め、パレードの "先導役" を任されて来た。
多くのシニアバンドが参加する中で、スコッツ・カレッジが先導役を務めるのは、きっと「若者に平和を託そう」とする願いからだと私は考える。
ラグビーのテストマッチを、地元クラブの古いメンバーとスタジアムで観戦したことがある。
キックオフ前にビールを愉しむオージー独特の雰囲気の中、その日初めて出逢った一人に、どこか私に対する嫌悪感というかちょっとした違和感を感じた。
誘ってくれた友人に聞くと、彼の父親は日本軍の捕虜として戦死したという。
日系人ワラビーズ "ブロウ" の足跡を追い駆けた時に私はその悲しい歴史を知ったが、私は勇気を振り絞って「私はあの戦争中に何があったかを学びました」と切り出した。
そして、目の前でウォームアップするワラビーズを観ながら、1938年に日系人ワラビーズが存在し、彼は豪軍兵士として日本軍の捕虜となり、戦死した話を静かに語り掛けた。
彼は私の話を興味深そうに聞いたが、「私は日本人を絶対に許さない!」と返して来た。
その時、オーストラリア人の心に戦争の傷が根深く残っているのを知った。
彼の住まいがスコッツ・カレッジの近くと聞き、「私の息子はスコッツ・カレッジのパイプス&ドラムス・バンドのメンバーで、先日のアンザックパレードにも参加しました」と告げた。
「日本人の息子があのパレードに参加できたことを誇りに思います」 と私は言った。
彼はしっかり私の目を見て、ささやかな笑顔で私に握手を求めた。
ほんの小さな出来事かもしれないが、それでも、私には意味のある握手だった。
「許そう、しかし絶対に忘れない!」という ”泰緬鉄道” に残された言葉が浮かんで来た。
ミリタリータトゥー60周年を記念して、2010年に"ミリタリータトゥー・シドニー" が、シドニーフットボールスタジアム開催された。
会場のスタジアムには、本物のエジンバラ城の正門そっくりにゲートが建てられ、軍楽隊のパレードが、本物と同じようにそのゲートから登場し、観客の気分を盛り上げた。
何と言っても圧巻だったのは、ラグビーの観戦で慣れ親しんだスタジアムのピッチで、1,000人の奏者が一同に演奏しながらパフォーマンスを繰り広げるフィナーレだった。
シドニーでミリタリータトゥーを観て聴き、あの迫力を味わえるとは思わなかった。
目利きの音楽評論家や歴史学者などに言わせれば、エジンバラの歴史と伝統に培われたミリタリータトゥーとは比べ物ならないと評するかもしれないが、元々第二次世界大戦後に始まったイベントであり、規模的にも質的にも、エジンバラに勝るとも劣らないものだったと私は思う。
スコットランドからもスタッフやゲスト奏者、軍楽隊が多数参加しており、その雰囲気も迫力も、そして押し寄せた観衆の反応も、何もかもがパーフェクトだった。
ただ、いつの日かエジンバラのミリタリータトゥーを訪れてみたいという気持ちは変わらない。