夢の決勝戦 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

花園の「全国高校ラグビー大会」

今年の決勝戦は、私にとって「夢の対決」となった。

「東海大仰星高校 V 桐蔭学園」
双方が長年オーストラリアや日本でコーチングをサポートし続けたチームである。

今年の決勝戦を、私は "息子達(兄弟)対決" のような気持ちで観戦することになる。

 

オーストラリア移住から、私はオーストラリアのラグビーに深く関わって来た。

幾つか切っ掛けは思い浮かぶが、やはり最たる理由は息子達のラグビーだった。

息子達は共に6歳から地元のイースタンサバーブズ・ジュニアクラブでプレーを開始し、それが我家の生活に画期的な変化をもたらすことになった。

 

オーストラリアはスポーツ大国であり、ジュニアからシニアに至るまで、アスリートが愛される文化や国民性が根付いており、息子達は恵まれた環境でラグビーをエンジョイし、活躍すれば、国籍に関係なく、チームメイトやスタッフ、親達から称賛される。

オーストラリアの目利きの大人達は、特にタックルなどの痛いプレーやアシストを評価する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時あたかも91年第2回ラグビーワールドカップでワラビーズが優勝し、99年に再度優勝するまでの10年間は、オーストラリアのラグビー熱は衰えを知らなかった。

その意味からすれば、息子達はベストタイミングだったのだろう。

 

1938年にワラビーズとしてプレーした日系人 "ブロウ井手" については何度もブログに書いているが、私は息子達の将来を本気でブロウに重ねていたのだ。

95年のラグビーマガジン8月号の巻末インタビューにそんな私の足跡や夢が掲載された。


息子達のラグビー開始に伴い、私はチームのサポートをすべくコーチングに足を踏み入れた。

ラグビー後進国の日本からやって来た親子、"どこの馬の骨かも分からない" 私達を、クラブ関係者は何の分け隔てなく快く受け入れてくれた。

もちろん、彼らは私が日本でプレーしていたことを知らない。

 

息子達以上に私はのめり込み、オーストラリアのコーチ資格、98年にレベル1、99年にはレベル2に挑戦し、ARU(オーストラリアラグビー協会)公認コーチに認定された。

 

99年のレベル2コース、84年のワラビーズのUK遠征でグランドスラム(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの全テストマッチに勝利)を打ち立てたワラビーズキャプテン "マーク・エラ" が、受講者としてコースに参加していた。

憧れのレジェンドが受講者として参加しているのは驚きだったが、例えオーストラリアを代表するようなレジェンドでも、コーチ資格認定に優遇措置や近道が無いのを知った。

本人もそれを自覚しており、レクチャーや実技でも、若いARUコーチ教育スタッフの指示に従い、熱心に受講している姿勢を目の当たりにし、レジェンドと呼ばれる所以を感じた。

 

とてつもなくビッグな経歴を持つ彼に他の受講者は一歩引いていたが、私は彼のフレンドリーさに甘え、様々な場面で彼は未熟な私をサポートしてくれた。

その時の縁が今も続いているのだ。

 

オーストラリアのコーチ育成プログラムに自ら参加し、その素晴らしさを知れば知るほど、日本のコーチにも体験させたいという夢は大きくなるばかりだった。

私は本気だった。

足繁くARU訪ね、レベル1やレベル2コースで出会ったスタッフ達に相談を持ち掛けた。

そして、ARUの協力を取り付け、2001年から日本人コーチ向けに ”豪州コーチングコース” を開始、2012年までに13回のコースを開催することが出来た。

ARUが主催する正式なコースであり、オーストラリア政府から正式な資格が授与された。

その開催のお陰で、私は数多くの熱心な日本の指導者(コーチ)に出会う機会に恵まれた。

今年の花園の決勝にコマを進めた両校のコーチングスタッフとの出会いもあり、それが切っ掛けで、オーストラリア遠征や日本でのコーチングのサポートに繋がった。

 

私は両校のコーチ陣の特長を「良いものを良い」と認める姿勢にあることである。

そんな姿勢は、逆に「悪いものは悪い」「ダメなものはダメ」とハッキリ判断する姿勢を持つ証拠であり、オージーの特長と言える明確な「YES or NO」同じなのだ。

 

そう、両校のコーチ陣は例えオーストラリアのコーチの指導でも全てを鵜呑みにはしない。

そして、彼らは古い体制をイノベーション(改革)する勇気を持っている。

それまでの伝統をぶち壊し、単に誰かに指導されたことを鵜呑みにせず、自らチームや選手一人一人に合った形に変える能力を身に着ける努力も怠らず、何でも試してみる勇気も持ち、最初に "理論ありき" ではなく、試すことで理論を創造する姿勢を持っているのだ。

そう、彼らの指導は、"仰星オリジナル" であり "桐蔭オリジナル" なのだ。

 

今年の決勝戦は私にとっては "ご褒美" と考えたいが・・・

近い将来、この両校が日本の高校ラグビー界を牽引する時代が必ずやって来ることを私は予言する、いや断言する!