ウェールズを行く 2 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

カーディフには2泊した。

天候にも恵まれ、カーディフ城や旧市街を散策しながらウェールズの歴史を堪能した。

ショッピングモールで回転寿司を食べ、パン屋の前で無料で配っていた袋入りのパンを有難く受け取り、緊張感の無いノンビリした時間がとても心地よかった。

行き交う人の誰もがそのパンの袋を持っているのが愉快だった。

 

なぜか、私の住むシドニーに似た気楽さを感じた。

そう言えば、シドニーはオーストラリアNSW(ニュー・サウス・ウェールズ)州の州都だが、州名を訳せば、「新しい南のウェールズ」であり、その昔このウェールズからの移民が多く住みつき、そう名付けられたのかもしれないなぁと私は浅知恵で考えた。

実際には、1770年にオーストラリアに上陸したキャプテン・クック(ジェームズ・クック)が、そう命名して英国領有を宣言したそうである。

ただ、彼はウェールズの出身ではなかったそうだ。

 

日中の快適さとは裏腹に、ホテルが駅に近い繁華街の一角にあり、それもメインストリートに面し、週末も重なって、周りのパブから聞こえてくる喧騒のためにほとんど眠れなかった。

少し静かになったなぁと思った矢先に、今度は早朝(午前3時頃)から、とてつもない清掃車の騒音が辺りに響き渡り、結局私は一睡もできなかった。

ミレニアム・スタジアムでのテストマッチ開催に伴うとんでもない夜の喧騒が想像できた。
オーストラリアから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このイギリスの旅には幾つかの目的があった。

この旅に妻を誘ったが、主な目的が私の趣味や楽しみ一色なため、「同じお金を使うなら、私は日本の温泉の方がいい」と妻には軽くフラれ、結局一人旅となった。

オーストラリアに長年住んで、日本にいた頃とは随分生活様式や考え方が変わった。

一生懸命働いて、自分のために自分流に時間を楽しむ文化や習慣を私達は気に入っている。 

その土地土地での思い掛けない人との出逢いを考えれば、一人旅も悪くは無いのだ。

 

カーディフのショッピングモールで、偶然 "ガレス・エドワーズ" の銅像を見つけた。

ウェールズ黄金時代のスクラムハーフで、あの時代を代表する世界的なレジェンドである。

街を歩いてこんな銅像と出会うなんて、やっぱりウェールズなんだなぁと私をワクワクさせた。

長いラグビーの歴史の中で、「最高の試合は?」と問われた時に、1973年にカーディフ・アームズパークで開催された「バーバリアンズ対オールブラックス」と答える人は多い。

オールブラックスとは誰もが知るニュージーランド代表のことだが、バーバリアンズは言ってみれば世界選抜のようなチームである。

歴史は古く、1890年にイギリス人ウイリアム・カープメイルによって発案され、様々な機会に世界全土から招待された選手で構成されるチームなのだ。

 

1973年のオールブラックス英国遠征、1月27日にバーバリアンズとの試合が開催された。

結果は23-11でバーバリアンズの勝利。

その試合のガレス・エドワーズのトライが「ラグビー史上最高のトライ」と言われている。

今もそう信じる目利きのファンは多く、確かにトライに至るまでの流れと言い、ガレス・エドワーズの走り込むタイミングやスピードは申し分ないものだった。

98年に私はシンガポールでガレス・エドワーズに出逢う機会に恵まれた。

99年のラグビー・ワールドカップのアジア予選決勝に、彼は親善大使としてシンガポールを訪れていたが、一緒のパブで杯を重ねたが、彼のオーラは凄かった。

彼がウェールズの市民からどれだけ愛されているかは、あの銅像を見れば理解できた。


話は少し戻り、私はカーディフの前に北ウェールズのコンウィーという小さな港町も訪ねた。

そして、この町に2泊した。
オーストラリアから
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13世紀末にイングランド王エドワード1世のウェールズ侵攻の要所として造られた町で、町全体が城壁で囲まれている。

城壁の上を歩くことができ、私はゆっくり時間を掛けて一周してみた。

 

町の外れにコンウィー城がある。

私が歩いた城壁はこの城のために築かれたものに違いないが、町全体が中世のままという感じがして、町を歩いていると、まるで中世に迷い込んだようだった。

この町の生計がどのように立てられているのか皆目見当がつかなかったが、アイリッシュ海へと続くコンウィー川には多数の小さな漁船が停泊しており、漁業の町のようだった。

 

しばらく、港でコンウィー川を眺めていた。

あまりの静かな情景に寂しささえ感じるようだった。

ふと、石碑を見つけたが、そこには「失ったけど、忘れない」と刻まれていた。

1994年1月16日に、町の若い漁師3名が漁に出たまま、未だ戻って来ないのだ。

その彼らが私の息子と同じ世代であり、夕方だったこともあり更に私を寂しくさせた。

オーストラリアから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく