早いものであの日からもう2年ですね。
韓国でもニュースが流れてます。
時は経ってもあの日のことは風化することなく、人々の記憶に残ってほしいと思っています。
私が体験したことなんて被災地の方にしてみたらなんてことないことだけど、ブログに残しておこうと思います。
2年前のあの日、私は都内の日本語学校で授業中でした。
始めは揺れても、あーいつものことだと思って気に留めず授業をしてたんだけど、一向に揺れが治まらずますます強くなってきた揺れにみんなで机の下に潜りました。
そんな揺れが3,4回、ちょっとの間を置いてあったんじゃないかな。
私がいた校舎の学生は中国人、韓国人がメインだったんだけど、韓国人学生は「キャー(涙)おかーさん!もう韓国帰りたいー」って半泣き状態だったり、大きく揺れてるのに外に飛び出して行っちゃったコがいたり、ちょっとパニック気味でした。
それに反して中国人は、地震を経験した人が多いせいか落ち着いた感じでした。
本来は5時過ぎまでの授業がその日は3時半くらいには授業終了となったんだけど、JRも地下鉄も私鉄も動いてないとのことで、他の先生達と動くまで学校に留まることにしました。
(学生達は学校の近くに住んでるコが多かったので、ほとんどのコは帰って行きました。)
心配なのがぼんとオット。
何回も電話をかけてやっとオットにつながったらぼんの声。
たまたまうちの近くを外回りしていたオット、地震の後すぐぼんを保育園に迎えに行ってくれてました。
二人の無事を確認し、
おかーさん、いつ帰って来るの?
早く帰ってきてよー
というぼんの言葉に、いつ帰れるかわからない私は涙がこぼれそうでした。
ちなみに地震に慣れてない韓国人のオット、余震で家にいるのが怖くて、家の前の公園で日が暮れるまでぼんと遊んでいたそうです。
そして、夕食を買いに近くのコンビニに行ったらおにぎりやパンなどはもうほとんどなかったそう。
私はというと、専任の先生が買ってきてくれたおにぎりなどで腹ごしらえをしつつ、全然動かない電車にしびれを切らし、歩いて帰ろうかと地図を見たりしたけど道もわからないしどのくらいの時間がかかるかもわからなく迷っていたところで、都営地下鉄が動き始めたという情報を聞き、それに乗ったら家の近くまで行けるので、都営が通っている新宿駅まで他の先生達と歩くことにし、学校を出ました。
その時すでに20時過ぎ。
学校から新宿駅までは2駅しか離れていないのに歩いて1時間もかかりました。
新宿まで行く道には人人人、車車車…。
本当に大変なことが起こってるんだ、と実感しました。
やっと駅に着いても電車がなかなか来ず、電車に乗っても頻繁に止まり、と一時間半くらいは電車に乗ってたのかな。
でも電車で帰れるだけまだましです。
駅に着き、そこからまた30分くらい歩いて23時半頃ようやくうちに着きました。
いつもは40分くらいの通勤時間、この日は3時間以上かかりました。
家に着いてオットとぼんの顔を見たら無事に帰って来れたと、涙がこぼれました。
ぼんはお母さんじゃないとお風呂に入らない、お母さんと一緒じゃないと寝ない、と言いながらいつの間にか寝たそう。
そして、家に着きテレビを見て初めて今日の地震がどんなに重大な被害を及ぼしたかを知りました。
その夜も余震が何回も起きるし、携帯の地震速報も鳴るし、いつもと違う状態にたぶん神経が昂ぶっていたんでしょう、ほとんど眠れませんでした。
次の日土曜日、スーパーに行くとお米、水、ラーメンなどの棚は空っぽで非常事態なんだということをさらに実感しました。
私達も避難かばんを作り何かあってもすぐ出られるよう玄関に置いたり、家族が離れてる時に何かあったら○○へ行くという避難場所も決めたりしました。
オットはこの後しばらく寝る時も普通の服で寝てましたよ…。私とぼんはパジャマ着てたのに。
でも地震をほとんど経験したことがないオットは度重なる余震に、精神的にちょっときているみたいでした…。
そして、韓国の義実家からの電話で、すぐに韓国に来なさい!とも言われました。
偶然年末に3/20から一週間ほど韓国に滞在するチケットを取っていたので、予定通り行くと言ってもそのチケットを変更して早く来なさいと言われました。
結局はもうすでに他の便は取れなかったので、3/20に行きましたけど…。
でも、また地震で電車が動かなかったら困るからと、前日から羽田空港のホテルに泊まりなさいと言われ、そうしました。
そして、韓国に着いた時には親戚中から「よく帰って来てくれた」と電話があったり、義家族からはもう日本に帰るなとも言われたりし、一週間の日程がプラス10日くらいいました。
私の学校は残り一週間くらいで春休みという時期だったんだけど、その一週間の授業は中止、在学中の学生も多くは自国に帰ったり(他の校舎には国費のサウジアラビアの学生が多くいたんだけど、政府チャーター機で帰ったそう。さすがサウジだ)、新学期入学の学生もキャンセルが出たりと、4月開講が延期になりました。
(その後、5月に開講したけどクラス数は以前の半分でした。)
オットの職場も一週間休みになりました。
そして、オットはその頃もう職場を辞めることになっていたので、韓国滞在中 韓国移住 の話が出たのでした。
韓国でもニュースが流れてます。
時は経ってもあの日のことは風化することなく、人々の記憶に残ってほしいと思っています。
私が体験したことなんて被災地の方にしてみたらなんてことないことだけど、ブログに残しておこうと思います。
2年前のあの日、私は都内の日本語学校で授業中でした。
始めは揺れても、あーいつものことだと思って気に留めず授業をしてたんだけど、一向に揺れが治まらずますます強くなってきた揺れにみんなで机の下に潜りました。
そんな揺れが3,4回、ちょっとの間を置いてあったんじゃないかな。
私がいた校舎の学生は中国人、韓国人がメインだったんだけど、韓国人学生は「キャー(涙)おかーさん!もう韓国帰りたいー」って半泣き状態だったり、大きく揺れてるのに外に飛び出して行っちゃったコがいたり、ちょっとパニック気味でした。
それに反して中国人は、地震を経験した人が多いせいか落ち着いた感じでした。
本来は5時過ぎまでの授業がその日は3時半くらいには授業終了となったんだけど、JRも地下鉄も私鉄も動いてないとのことで、他の先生達と動くまで学校に留まることにしました。
(学生達は学校の近くに住んでるコが多かったので、ほとんどのコは帰って行きました。)
心配なのがぼんとオット。
何回も電話をかけてやっとオットにつながったらぼんの声。
たまたまうちの近くを外回りしていたオット、地震の後すぐぼんを保育園に迎えに行ってくれてました。
二人の無事を確認し、
おかーさん、いつ帰って来るの?
早く帰ってきてよー
というぼんの言葉に、いつ帰れるかわからない私は涙がこぼれそうでした。
ちなみに地震に慣れてない韓国人のオット、余震で家にいるのが怖くて、家の前の公園で日が暮れるまでぼんと遊んでいたそうです。
そして、夕食を買いに近くのコンビニに行ったらおにぎりやパンなどはもうほとんどなかったそう。
私はというと、専任の先生が買ってきてくれたおにぎりなどで腹ごしらえをしつつ、全然動かない電車にしびれを切らし、歩いて帰ろうかと地図を見たりしたけど道もわからないしどのくらいの時間がかかるかもわからなく迷っていたところで、都営地下鉄が動き始めたという情報を聞き、それに乗ったら家の近くまで行けるので、都営が通っている新宿駅まで他の先生達と歩くことにし、学校を出ました。
その時すでに20時過ぎ。
学校から新宿駅までは2駅しか離れていないのに歩いて1時間もかかりました。
新宿まで行く道には人人人、車車車…。
本当に大変なことが起こってるんだ、と実感しました。
やっと駅に着いても電車がなかなか来ず、電車に乗っても頻繁に止まり、と一時間半くらいは電車に乗ってたのかな。
でも電車で帰れるだけまだましです。
駅に着き、そこからまた30分くらい歩いて23時半頃ようやくうちに着きました。
いつもは40分くらいの通勤時間、この日は3時間以上かかりました。
家に着いてオットとぼんの顔を見たら無事に帰って来れたと、涙がこぼれました。
ぼんはお母さんじゃないとお風呂に入らない、お母さんと一緒じゃないと寝ない、と言いながらいつの間にか寝たそう。
そして、家に着きテレビを見て初めて今日の地震がどんなに重大な被害を及ぼしたかを知りました。
その夜も余震が何回も起きるし、携帯の地震速報も鳴るし、いつもと違う状態にたぶん神経が昂ぶっていたんでしょう、ほとんど眠れませんでした。
次の日土曜日、スーパーに行くとお米、水、ラーメンなどの棚は空っぽで非常事態なんだということをさらに実感しました。
私達も避難かばんを作り何かあってもすぐ出られるよう玄関に置いたり、家族が離れてる時に何かあったら○○へ行くという避難場所も決めたりしました。
オットはこの後しばらく寝る時も普通の服で寝てましたよ…。私とぼんはパジャマ着てたのに。
でも地震をほとんど経験したことがないオットは度重なる余震に、精神的にちょっときているみたいでした…。
そして、韓国の義実家からの電話で、すぐに韓国に来なさい!とも言われました。
偶然年末に3/20から一週間ほど韓国に滞在するチケットを取っていたので、予定通り行くと言ってもそのチケットを変更して早く来なさいと言われました。
結局はもうすでに他の便は取れなかったので、3/20に行きましたけど…。
でも、また地震で電車が動かなかったら困るからと、前日から羽田空港のホテルに泊まりなさいと言われ、そうしました。
そして、韓国に着いた時には親戚中から「よく帰って来てくれた」と電話があったり、義家族からはもう日本に帰るなとも言われたりし、一週間の日程がプラス10日くらいいました。
私の学校は残り一週間くらいで春休みという時期だったんだけど、その一週間の授業は中止、在学中の学生も多くは自国に帰ったり(他の校舎には国費のサウジアラビアの学生が多くいたんだけど、政府チャーター機で帰ったそう。さすがサウジだ)、新学期入学の学生もキャンセルが出たりと、4月開講が延期になりました。
(その後、5月に開講したけどクラス数は以前の半分でした。)
オットの職場も一週間休みになりました。
そして、オットはその頃もう職場を辞めることになっていたので、韓国滞在中 韓国移住 の話が出たのでした。
オリニチプ行くのさみしいー





そんな素振り全然なかったんだけどと、びっくり。

熱はどうだ?(たぶんオットから聞いたんだと思う)
夕飯、うちに食べに来る?![[みんな:03]](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/4925.gif)
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