岡山城の築城は、桃山時代末期の1597年。
秀吉の命を受けて宇喜多秀家が7年かけて完成したお城です。

しかし、

その秀家は1600年の関ヶ原の戦いで西軍にて敗れ、3年だけの城主で、
その後城主が小早川秀秋、そして池田光政をはじめとした池田家に変わっています。
石垣には、その時代の変遷もみることができ、後述します。

周辺の旭川は、堀に変わる天然の要塞です。


■天守
戦前まで国宝だった天守。

戦災による空襲で焼失され、今目にするのは、1966年の復元天守。

金瓦に黒塗の外壁下見板が、岡山城の特徴です。
改修直後のようで、つくりたての模型のようにも見えます。
本丸側から見ると違った建物のように見えます。
また、本丸は史跡に指定されています。


■石垣
石垣は当初の桃山時代に宇喜多秀家がつくったものと江戸時代に池田光政なつくったものがあり、随分と違います。
※桃山時代の石垣

※江戸時代の月見櫓まわりの石垣

1620年に池田忠雄が築いたもの。
隅は算木積みで、長方形の石を交互に積み上げ強度を高めています。

桃山時代から江戸時代にかけて、石垣築城技術がかなり進化していることを見てとれます。

姫路城にも同様の変遷が見られました。

■月見櫓
1620年完成、築400年。
戦災から逃れ残る貴重なもので、重要文化財指定されています。
城内と城外で見え方が異なります。

城内からは3層の層塔型、
3階に板窓、1、2階は漆喰の大壁で、
唐破風で正面をデザイン。

外部側からは2層の望楼型、

出窓は鉄板窓、その下には石落としがあります。


■不明門
どっしりとした類をみないような大型門で、かっこいいです。
明治に入って取り壊されたものを1966年に復元されています。


■宇喜多秀家について
関ヶ原の戦いに敗れた後、八丈島に島流しされており、以前、島に訪問したことを思い出すものでした。