先日行きました、八丈島から。
太平洋をふたりで眺めています。
宇喜多秀家は、秀吉五大老の一人。
関ヶ原の戦いで敗れ、徳川の命で八丈島に島流しされています。
八丈島流人の第1号だったそうです。
豪姫は前田利家の娘だったことから、島流しには同行されずに加賀での生活。
前田家は宇喜多家が恩赦される明治になるまで、八丈島に米などの物資を送り続けたそうです。前田家の思いを感じると共に、宇喜多家が八丈島で特別な存在である続けたひとつの要因のようにも思います。
そのような背景もあったのでしょう、碑は平成に建立されたそうです。
秀家の墓は島にあり、島民から大切にされてきたことが伺えます。
また、秀家は
岡山城をつくり城主だったことから、この時代になっても歴史やお祭りなどで八丈島と岡山をつなぐ、役を担っているようです。
岡山市のホームページにも紹介されています。