天台宗の三井寺。
山門派延暦寺と対をなしてきた寺門派の寺院。
時代をさかのぼり大津京時代から、戦国、江戸時代を経て現代までにつながる歴史深い寺院。
 
桃山時代の初期書院造り2棟(光浄院客殿、勧学院客殿)が、国宝として残されています。
住宅系建築の源流を今に見ることのできる希少なものです。
(以下写真は、三井寺HPより)
 
■①2つの客殿について
□光浄院客殿
1601年建築で、勧学院客殿の翌年に完成しています。築422年。
三井寺の迎賓館で、徳川将軍や大名を迎えた武士の対面所。
書院造りとして、各式高くつくられるとともに、桃山時代のスタンダードの大きさを今に知ることができます。

 

□勧学院客殿
光浄院客殿完成の前年1600年に豊臣秀頼が施主となり、豊臣政権五大老の一人・毛利輝元によって再建。築423年。
光浄院が武士への迎賓館に対して、僧侶への接客場。
つくりが少し違ってきます。
ニューヨークのメトロポリタン美術館に一之間が復元され、日本文化を伝える一助となっています。
生茶のCMでも採用されたことがあります。

 

■②一の間について
接客の対面所である一の間にも違いが見らます。
 
□光浄院客殿
殿様の席であり、狩野山楽が自然を描いた絵に囲まれて、庭につながっています。
二の間から一の間を見ると、
一の間に入ると、
正面横には、違いだなが一間分。
障壁画に囲まれた間のクッション的なスペースでもあります。

正面左には、上段の間。障壁画が庭へとつながっていきます。

 

正面右には。帳台構えがあり一枚のみ開く戸。
しかし、武者隠し的な意味合いは少なかったようです
 
□勧学院客殿
一の間には、狩野光信(永徳の長男)による障壁画。
飛び出すような、立体的な雰囲気があります。
 
光浄院と違い、
違いだな、帳台構え、上段の間はなく、部屋の大きさも小ぶりです。
上段の間はないことから、庭柄側からの光の差し込み方も光浄院とは違った雰囲気です。
 
■③広縁について
広縁が大きくとられて、庭園を抱き込むように一体となったところが両客殿の特徴。
初期書院造りで、寝殿造のカラーが残っています。
 
□勧学院客殿
ニ本の柱で軒を支えた開放的なつくり。
広縁と庭が一体となったつくり。

 

□光浄院客殿
勧学院客殿をコピーしたようなつくり。
大きな違いは、一本の柱だけで軒を支えた開放的なつくり。
勧学院客殿から1年後に完成していることから、勧学院を見て、真ん中の柱立てないでより開放的にしたい、という誰かの思いから改善されてされたものと思われます。

 

※ 光浄院客殿について