横浜の三溪園は、明治時代の実業家・原三溪氏が1906年に開園した古建築博物館です。
東京ドーム4個分の広大な敷地には京都や鎌倉などから移築された歴史的建築17棟が園内に配置されています。内10棟は重要文化財に指定されています。

緑と水に囲まれた気持ちよい環境で、散策されながら皆さん、古建築見学を楽しんでおられます。

 
これだけの文化財建築を移築できたのは、原三溪氏の財力と人脈によるもので、古美術商からの情報などから移築もあったようです。
戦後、原家から横浜市所有となり、現在は財団が運営。
 
重要文化財は順次補修されており、
半分は国費補助、あと半分は横浜市、神奈川県、そして財団で負担しているそうです。
明治村などと同様に行き場をなくした歴史的建築の受け皿の場であり、現代にこのように目にできる貴重な施設だと言えます。
 
■臨春閣(りんしゅんかく)(重要文化財)
1649年に、現在の和歌山県に建てられた紀州徳川家の別荘岩出御殿。築370年。
初代藩主の頼宣が紀州に建てた10数棟の御殿で唯一残るものです。
 
紀州から大阪に移築され、1917年(大正6年)に三溪園へ移築。
そのまま大阪に建っていれば、戦災により今はなく、建物の運命を感じます。

移築時に建物の配置を組み替えられたそうで、雁行型の建物。

二条城二の丸御殿や桂離宮を思わせるます。
池や庭園も建物配置に合わせてつくられています。

屋根は、こけら葺きと桧皮ぶきの二重構造が珍しく、とてもきれいです。

移築前の元建物は、屋根瓦だったものを三溪氏が葺き替えたもので、こだわりを感じます。
重要文化財は修復時に原型にしなければならないものを特例で認められているようです。

建具も美しいです。

狩野三楽の絵が、移築時に壁に埋め込まれており、外せないため別途の保存できず、劣化が進んでいるとのことです。

二階にも狩野三楽の絵が、あるそうで、

平成天皇が皇太子時代に来られたそうです。
 
■聴秋閣(重要文化財)
桃山建築の色を残す、屋根形状が変化に富んだ建物。
徳川家光が京都に赴いた1623年に、二条城に建てられ、のちに乳母の春日局に与えられた建物。築400年。
三溪園への移築は大正11年・1922年。

二条城の建物が移築されていることには驚きです。

 

■春草廬(重要文化財)

江戸時代初めごろの茶室で、月華殿とともに大正11年・1922年に京都宇治の三室戸寺金蔵院から移築。移築後100年。

左側は織田信長の弟・織田有楽の作とされ、三畳台目の小さな茶室。

右側は三溪による大正時代の増築。
 
このような建て方でも重要文化財になるのだ、と思いました。
 

■旧燈明寺三重塔(重要文化財)

室町時代の1457年に建てられた、三溪園の中で最も古い建物。
室町時代の三重塔であり、京都・木津川市の燈明寺から大正3年・1914年に移築。
三溪園では最初に建てられた建物で、シンボルであり園内のランドマークとなっています。

 

■旧矢箆原家住宅(重要文化財)
江戸時代後期で、1960年に白川郷から三溪園に移築。
飛騨白川郷の一部、現在の岐阜市荘川町にあった、江戸時代後期の合掌造りの民家建築です。 ダムの建設によって水没する地域にあったため、昭和35年・1960年に三溪園に移築されました。 

玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間を備えた建物で、現存する合掌造りでは最大級のもの。

 

■旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)
1591年に豊臣秀吉によって造られた建物で、内部には秀吉の母の大政所の生前墓である寿塔が置かれていたもの。築430年。
建物があった天瑞寺という寺は京都の大徳寺の中にありましたが、廃寺となり明治38年・1905年に移築。

 

■御門(横浜市指定有形文化財)
京都・平安神宮近くの西方寺にあった、1708年築の門で築320年。
大正時代に移築。

 

■重要文化財の修復工事中
月華殿(重要文化財)ともう一棟が工事で、建物維持するために、順次行われている様子でした。
 
※2020年訪問時の記事より