若冲という絵師をご存知だろうか。今年は生誕300年となる年で、「動植綵絵」などが有名なようだ。ただ私が気になるのは名前の由来である。それは老子の言葉に由来するのだそうだ。その言葉の翻訳はこのようなものである。
「完成したものは、どこか欠けたようにみえるが、それを用いても尽きることがない。満ち足りているものは、なかが空虚なように見えるが、その用途は無窮である。真直ぐでも大きいものは曲がって見えるように見える。非常に巧みなものは、拙いように見え、非常な雄弁なは訥弁のように聞える」
ここから「沖(冲)しきが若き」(空虚なように見える)を自分の名にしたようである。無条件に「真実である」と思えるとともに、目下探しているものに当たったような気がする。
ちなみに、私の分野である「包装」は、中身を入れたり、包んだりするためのもので、「なかが空虚」であることが用である。それゆえに「その用途は無窮である」ということだ。言いかえれば、空を内包するゆえに包装は完成されているといえる。
われわれが探している道は、すでに誰かが辿っていた道であり、なお至っていない無上の道であるようだ。ゴールを目指すことは大事なことだが、そのゴールに至ることよりも、その道を歩みつづけることが真に大事なことなのではなかろうか。
ならば、山あり谷あり風雨ありのこの道を、楽しみながら歩みつづけたいものだ。