若冲という絵師をご存知だろうか。今年は生誕300年となる年で、「動植綵絵」などが有名なようだ。ただ私が気になるのは名前の由来である。それは老子の言葉に由来するのだそうだ。その言葉の翻訳はこのようなものである。

 

「完成したものは、どこか欠けたようにみえるが、それを用いても尽きることがない。満ち足りているものは、なかが空虚なように見えるが、その用途は無窮である。真直ぐでも大きいものは曲がって見えるように見える。非常に巧みなものは、拙いように見え、非常な雄弁なは訥弁のように聞える」

 

ここから「沖(冲)しきが若き」(空虚なように見える)を自分の名にしたようである。無条件に「真実である」と思えるとともに、目下探しているものに当たったような気がする。

ちなみに、私の分野である「包装」は、中身を入れたり、包んだりするためのもので、「なかが空虚」であることが用である。それゆえに「その用途は無窮である」ということだ。言いかえれば、空を内包するゆえに包装は完成されているといえる。

 

われわれが探している道は、すでに誰かが辿っていた道であり、なお至っていない無上の道であるようだ。ゴールを目指すことは大事なことだが、そのゴールに至ることよりも、その道を歩みつづけることが真に大事なことなのではなかろうか。
ならば、山あり谷あり風雨ありのこの道を、楽しみながら歩みつづけたいものだ。

 いよいよ新時代の人とモノとカネとが動き始めたと感じている人は、少なくないかもしれない。価値観の転換は、全てを刷新しながら2020年に向かう潮流としてモノとコトとを新たなカタチでつなぎ始めたといえる。それは、2020年をゴールとするものではなく、その先の新たな世界を創造し築きゆく助走である。

 2017年のスタートに、恒例の「包装の課題と展望」とともに「ビヨンド・パッケージ(BEYOND PACKAGE)」と掲げ、目指す2020年の向こう側に、パッケージを超えたパッケージのインパクトといったものを考えてみたいと思う。

 人気を集めた英国フードジャーナリストのマイケル・ブース氏の著書「Sushi and Beyond」を、「英国一家、日本を食べる」と翻訳したことに習うとすると、2020年の先のパッケージ・インパクトを「JAPANESE PACKAGES、世界を包む」と表することができるかもしれない。

 パッケージにとっては非常にワクワクとする、すばらしい時代の到来である。まさしく包装の時代(PACK AGE)といえまいか。

2016年10月4日~7日の「TOKYOPACK 2016」は無事に終了した。私は〆に追われた編集とかぶり、あくせくしながら開催から3日を通い詰めた。思えば2009年4月の創刊準備を始めたのが「TOKYOPACK 2008」からで、当時は会場でいただいた賛同と励ましに勇気をもらった。
いわば「TOKYOPACK」には恩がある。また確か、スウェーデン大使館が現地企業のためにブースを設けるようになったのも「TOKYOPACK 2008」からであったと思う。その2年前の2006年に、スウェーデンのベンチャー企業数十社の取材訪問を敢行したことも何かしらの起縁となったに違いない。
展示会ではよく見るテープカットの光景だが、よく見れば手前にスマホやカメラを向けた女性たちの手が林立している。いずれも今回スウェーデンから訪れたパッケージ関係者である。檀上の来賓の一人がスウェーデン大使のマグヌス・ローバック氏となれば、それも頷けなくはない。
では、「なぜスウェーデン大使が来賓に?」との疑問の湧く人もいるだろう。来賓唯一の外国人であり、また大使であれば当然である。ちなみに2008年」を含むか否か記憶は定かではないが、人は変りつつもスウェーデン大使の来賓参加は、ここ4回(2010、2012、2014、2016)はつづいているものと思う。
それも、あの学校給食で欠かさず新鮮な牛乳が飲めたのは、スウェーデンのテトラ・パック社の紙パックのお陰だと知れば「なるほどね!」と来賓のことも腑に落ちよう。だが、それはもう遠い記憶の彼方のこととなっていた。その消えそうな火に息を吹きかけ、この十年ほどせっせと両国間を行き来しながらビジネスと友好を結んできた人たちがいたからである。
そのことを知ってか知らずか、ローバック氏は開会式のあいさつで用意した原稿にはない話を2つした。その一つは次回開催の「TOKYOPACK 2018」が日本とスウェーデンとの外交関係樹立150周年の佳節にあたることである。私も知らなかった。
もう一つは開催直前に発表があった、東京工業大学栄誉教授の大隈良典氏の2016年の「ノーベル医学・生理学賞」受賞の決定に触れたものである。主催や他の(国内の)来賓のあいさつのなかでは、少しも触れられなかったのはなんとも残念である。
ローバック氏は、大隈氏の研究の要となる「オートファジー(自食作用)」の特長を捉え、パッケージが進める資源循環とユーモアをもって結びつけた。さすがである。ちなみにオートファジーとは、不要物などを分解してリサイクルもする細胞内の働きである。
パッケージのリサイクルは説明するまでもないが、敷延していえば森林から紙を生成し、パッケージとして利用したあとに再び紙に戻すことはまさしくリサイクルだが、さらに伐採した分を植栽してまた新たな紙の原料を育てるという自然循環である。
ただ一つ、ローバック氏のあいさつでも果たせなかった私の願いがある。それはまさしく将来に、この包装フィールドから「ノーベル賞」の受賞を出すということである。少なくとも、記憶では「TOKYOPACK 2008年」の開催からこれまた連続して日本人の「ノーベル賞」受賞がつづいている。
包装の社会的なポテンシャルもさることながら、この不可思議な受賞の連鎖をもって将来、「ノーベル賞」の受賞はないと誰が言いきれようか。