ノンキャリアのキャリア | ジェイのブログ

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学生時代、東京に父親のように慕っていた方がいた。年に何度か、同じ学生を集めた勉強会の講師に来てもらった。すでに70歳は超えていたかと思うが、いつも「僕は学生との約束を第一にしている」と、時間に遅れたことはなく、いつも颯爽と現われた。

 

その方が、よくわれわれ学生にいっていたのは「君たちの強みはノンキャリアのキャリアだ」である。簡単にいえば「経験のないことが強みだと思いなさい」ということであったろう。若いわれわれを愛し、よく意見も求められたことを思い出す。

 

戦後75年の節目に、また様々な未曾有の変化に接した判断や思考を求められながら思うことは、経験が邪魔をする、経験によって見えないものがあるということである。とくにCOVID-19は見えないウイルスで、未知なることの多い病原体である。

 

それぞれの専門性だけでは推し量れず、またそれぞれの豊富な経験が何かしらの型に嵌めてしまっている可能性はあろう。重症化の一因ではサイトカインストームも、いわば免疫の経験値による過剰反応ともいえよう。

 

もっと問題の対象と真摯に無意に向き合うべきなのではないだろうか。原発や異常気象、新型コロナウィルス、そのものと真摯に向き合えば見落としていた何かがみえてくるかもしれない。

 

かつて日中の尖閣諸島の帰属の問題を棚上げし、周総理は未来に解決を託したようだが、未来とは若い人たちのことであろう。広島平和記念式典に寄せた国連事務総長のメッセージでは、若い人の声に耳を傾ける場をつくることの重要性が触れられていた。

 

まさに今、「ノンキャリアのキャリア」が必要なのではないか。若い人たちの感性や知見、熱情が、未来に立ちはだかる様々な問題を解決するカギなのかもしれないと強く思う。

 

あえて切り出す必要もないのかもしれないが、彼らは宇宙船地球号の優秀なクルーであり、またわれわれ以上に世界市民としての自覚を持っているのではないかと思う。

 

父親と慕っていた方が語ってくれた、若き日の胸に止めた言葉がある。それは、われわれと同じ学生時代に出会った同じ世代のリーダーが「私はいち市民ではありますが、世界の問題に責任を持ちます」と言い放った言葉である。

 

それは、大ぶろしきを広げたような言葉には違いないが、少なくともその方の心を貫いたわけである。それが「ノンキャリアのキャリア」が意味するものであると思う。若き人の声に耳を傾けてみよう。新しき明日がそこにある。