またまた、書籍購入ラッシュは続いています。
犯罪心理から殺◯事件の他に・・・
なぜ?
という問いに、自問自答し、
自分が入手できる限られた情報の中で
どうやって自分なりの解答を得られるのか?
と考えたとき
ふと
思いました。
BIG MIS TAKES(ビックミステイク)![]()
という株式投資に関する書籍を読んでいる時に
巻頭のはじめにこんな事が書いてあったことを。
賢くなるには三つの道がある。
第一が最も高貴な道である「反省」
第二が最も容易な道「模倣」
第三が最もつらい道「経験」だ
孔子
という、論語の孔子の一文に始まっているのです。
最初は、何気なくふーん
と云う程度だったのですが・・・読み進めて
時間を追う毎に頭の片隅の小さな記憶が、
どんどんと大きく占めてきているのがわかりました。
最初は、その三つの反省、模倣、経験というありきたりの単語が
どういう関係性があるのだろうか?
という疑問が純粋に理解できないだけだろうと思っていましたが
違う。
それは、様々なことに置き換えられるんだという事に気がついたのでした。
人間関係のトラブルの最終局面である感情のピークが、殺◯事件に至るのであって
それまでにいくつものターニングポイントは存在している事に
加害者も被害者も気づき、対処してこない連続の結果が
痛ましい事件になってしまうのだと
孔子の言葉は言っているように思えたのです。![]()
つまり、人間関係のトラブルが発生したとき、つまりすれ違い。
そうじゃないじゃない、いやいや、などという言葉は
すでに相手との意思疎通のすれ違いが発生している訳です。![]()
法定速度50Km/hの直線道路で50Km/hで走っていると
追い越しをかけられて、過ぎ去っていったり、
またはその後、急に前方でブレーキを踏まれて驚かされたりという![]()
あおり、逆煽り運転などで迷惑をこうことがあるかもしれませんが
大体、相手の言い訳は、「何をちんたら走っているのだ」という
持論になり、法定速度もあったもんじゃありません。
つまり、これはたまたま交通ルールという基準の上でトラブルになっただけであり
日常生活の上では、倫理感と道徳観の違いによって
日常的に様々なことが起こっているはずです。
例えば、奈良の鹿を足で蹴るという行為を日本人は可哀想と思うかもしれません。
しかし、外国人はそういう文化がないために、怖がって敬遠行為を行ってしまう場合もあり
明らかに、日本人にとってのマナー違反に見えますが、
外国人の道徳心ではブーンと蚊が近づいてきたから払った
という認識に近いのかもしれません。
また、私の2軒隣の住人が韓国人の方とご結婚をされ一人息子が生まれたのですが、
息子は日本の学校で教育をされているにも関わらず、
親戚などが韓国人ということもあってか、やはり精神教育は韓国文化で教育されており
子供が、平気で他人や私の家の畑を近道だからと云って、横断して歩いていくのです。
後で聞いた話ですが、中国人や韓国人は人の土地という感覚が無いそうなので
仕方ありませんが、
完全なる日本人ならアスファルトの道路を歩いて、
わざわざ野菜を植えている土の畑を斜めに歩くことなどしないでしょう。
ですから、養育者や教育者の洗脳によって人間は、
知らぬ間にトラブルを引き寄せてしまう体質を作らされてしまうのだと思いました。
巷でDQN(ドキュン)という文句を言ったり、
迷惑行為を行う人々が散見されるようになってきており
私は初め、知能指数が低い境界知能の人々なのかも?などと思いましたが
ネットで晒されている彼らの言動を聞くと、
持論があることに気が付かされます。
自分は間違っているとは思っていないようで、自分は正しいと認識しているのです。
つまり、ざっくり云うところの洗脳です。
正義とは何なのか?
道路において、警察が決めたルール道路交通法は、
人の死亡率がなるべく低くなるようにと制度設計されていると思います。
ですが、実際の交通の流れという社会生活状況の現場においては、
一定時間になるべく大量に車を運べるように運転者は気を使っており、
安全がおおよそ担保されるであろう見通しの良い直線道路では
時に70Km/hの方が、誰でもストレスなく走れるということもよくある話です。
ですから、その状況に合わせた速度が70Km/hで行けるのに
なぜ、渋滞を引き起こす速度、つまりは法定速度で走ることこそが迷惑行為じゃないか?
(北海道アルアル)
という論理になり、どちらの言い分も分からなくはありません。
道路交通法においては、法定速度という決まりがある故のトラブルの発生です。
それはつまり、安全を優先するのか?
それとも効率を重視するのか?
の視点の違いでもあり
交通法規を守る倫理観を優先するのか?
それとも、皆が気持ちよく暮らせる道徳観を優先するのか?
という倫理感優先か道徳観優先か違いでもあるような気がします。
奈良の鹿においても、千年近くもそこに暮らす
人間と共生する穏やかな鹿ということを知らない人にとっては、
ツキノワグマのような獣にしか見えず拒否反応によるトラブルは、
先程の道路に於けるトラブルに近いものがあるように思えます。
トラブルというのは、意志のすれ違いと認識のズレによるものが
ほとんどなのではないかと思えるようになってきました。
では、そのトラブルに至るまでの最初期の段階はどこか?
と云う部分を考えてみたとき、
最初に孔子の言葉にあった、「反省」という言葉に行き着きます。
その反省が出来ないままに放置しておくと、結局トラブルは大きくなり
最終局面の「経験」というのに至るのでしょう。
経験とは、つまり、事故や事件、そして罰則などです。
煽り運転をされて、腹が立って急ブレーキを踏んで相手の車と自分の車が衝突すれば
追突事故というお互いに損害が出て、それらの経験によって
損失を被りたくない、免許の点数を減らしたくない
という経験則からくる抑制的思考が養われるかもしれません、
しかし、そもそも、そういった事件や事故に遭う前に回避できる方法もあるだろうことが
反省です。
相手の言い分を理解できる「察する能力」があるか否かです。
大体、追い越したいという雰囲気の人は、中央線に極端に近づき、
フラフラしています。
そんな時は、左によって追い越しできるようにしてあげれば、
タイミングを見計らって、追い越しをして行くでしょうし、
そしてまた、感謝さえされるかもしれません。
つまり、相手がいる場合、相手の言い分をよく聞くという事に尽きるように思います。
つまり、自己主張ばかりではなく、相手の意志をしっかりと聞くということが
最もトラブルを回避することにつながるという訳ですが
それが出来ずに、トラブルに至る場合には、まず自分自身の行動を省みて
何か相手の主張したいことを聞き漏らしてはいないか?と振り返ってみるのです。
そうすれば、「あーーーそういうことか?」ということに気がつけるはずだと思うのです。
私は、このようにメンドクサイ人間なので、様々な人の気持ちを考えることがあり
つまりそれは、もしかして、こういう風に考えているのではないだろうか?
とか
こういう風に言いたかったのではないだろうか?
人によっては舌足らずで、素直に言いたいのに、言えない人というのもあります。
いやいや、妄想や詮索は失礼に当たるから、それ以上は考えまいとすら思ったりします。
私は旅好きです。
北海道の人はストレートに言うほど信頼できる人というイメージで
時折、私は東北人なのでもうちょっと言い方ってあるじゃない?
と傷つくこともあり、苦手でしたが、
かと云って東京の人はといえば、答え巧みにを回避され、
いつしか話題転換するという事が得意な人が多い印象でした。
それは、分かりきっていることじゃないとでも馬鹿にされているのか?
それとも、それを言ってしまったら気分を害するんじゃないのという優しさ故に
触れないようにされての事かもしれません。
東北人なら質問の答えはオブラートに包む傾向があり、
日本狭しといえども、住む場所によって
言い方が大きく違うことにバイクツーリングしていて気が付かされました。
そして、私は東北人だと気付かされるのでした。
そんな気付きもあって、今度は人の話を「聞く」という書籍を買うことにしました。
まず、聞くという力を養うことが、第一歩であり
それが分からなければ、書籍を読んだとしても
それを理解することは出来ないと思ったからです。
いわゆる、日本人なのになぜ国語を勉強するのか?という部分でもあります。
言語を知っているだけではダメで、その言い回しやニュアンス
レトリック(修飾用語)などを勉強することが人間を豊かにするかもしれない。
ということで、現代用語で云う所のスキルアップとして学習してみる気になりました。
来週から、書籍ラッシュが続き、今年いっぱいはこれらを読んでいこうと思っています。
完全に孔子の言葉にやられており
おそらく、次は孔子や論語の書籍を買って読むことになるんだろうな?とも思っています。
ということで、それらの書籍を読んだあとに、
また色々と語らせてもらうこともあると思います。
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それでは、今日のところはここまでとします。
本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。




