アメリカの数学者、ヴァーナー・ヴィンジ氏によって1993年発行された著書
The Coming Technological Singularity によって
30年以内に技術的に人間を超える知能がつくられる と書いています。
またAI研究者のレイ・カーツワイル氏も
2029年にAIが人間並の知能を備えるようになり、2045年には技術的特異点が訪れる
と語っています。
そして、一般的に総称される問題として
2045年問題という表現でAIが人間を超えた世界を作り出し、
仕事がAIで代替可能な世界となり、ブルシット・ジョブから手始めに駆逐され
また最終的には記憶や意識をロボットに移植させることによって
生と死の概念が揺らぐとまでされています。
まず 2030年代には
コンピューターの計算能力が人類の生物学的な知能の総容量に等しい量に達する
とされ
次に2045年には
1000ドルのコンピューターの計算能力が、10ペタフロップスの人類の脳の100億倍になる
とムーアの法則( p=2n/1.5 )と 収束加速の法則(指数関数的向上) を基本に予想されています。
ヒューゴ・ガリス氏によれば、今世紀末には
1兆倍の1兆倍から 1兆倍の1兆倍の1兆倍
つまりは、我々人類の知能の
10×24乗 ~ 10×36乗
の能力を有すると予想されています。
ここで大きな分岐点があり、自我を持たないAIを弱いAIと呼び
人類と同等かそれ以上の自我を持つAIを強いAIと呼びますが
現在の生成AIは以前のAIと大きく違う所は、
以前のディープラーニングAIは学習した知識の中で、
人間が必要とする最適解を導こうとするシステムなのに対して
それとは別に、人間が指示したものをコンピューター自身が
自分で新たに創造して答えを導こうとする部分が
同じAIと云っても、大きく違う所でもあります。
ある意味で、人間の教育された思考プロセスとは違った形で想像する所に、
生成AIの面白さや奇異さがあり
今後人類は、このビットコンピューターの処理に合わせた
変貌の脅威を目の当たりにすることでしょう。
全く話は変わりますが、人間の栄養素は、口から入って喉を通り、胃袋に達して消化され、
糖が血液に乗って、脳関門に達して、脳細胞を養うという常識的と思われるテーゼプロセスが
生成AIの処理では、目から栄養を受け取るだとか、皮膚から吸収するなどの奇抜な発想なども
散見されるようになり、正しいプロセスやいくつかの間違いのないプロセスの判断を
知的水準の高い人間側が管理・修正する作業という必要が現れてくるかもしれません。
私にとってはこのシンギュラリティーという特異点は
人間の在り方を問う
大きな転換点のように思います。
きっと、悪乗りした人々は、間違った情報を自分に都合よく流すことでしょう。
まるで現在のXツイッターのように、どれが本当の情報で、どれが偏意的に流され
どれが現在で、どれが過去の情報かが分からないようになりつつ
あたかも今の事のようにして
情報に飲まれて、情報に侵されて人生を歩む人々が増産され、人生を振り回されることでしょう。
SNSの情報に流されずに、凛として人間の本当の系譜的歴史上の延長線を外れずに本質を生きる。
イスラム教は女性に勉強の機会を与えません。
男性は3人のアッラーの教えに従わなければなりません。
豚肉を食べると天国に行けないと言われて、豚肉を食べる人を非難し暴力に訴えてでも
豚肉を食べさせないようにしたりしますが・・・これを皆さんはどう思われるでしょうか?
無知が故に、歳を重ねても信仰心のみで生きてきたが故に、
テクノロジーの世界からどんどんと乖離していくのです。
イスラム教に見るように
今後、そうならないように公平公正・中立中庸な考え方とはどういったものなのか?
人類が平和で共存していく為にはどのような行動が適正なのかが求められるような気がしています。
そうしなければ、情報に流されて必ず紛争の火種があちこちで撒かれ、
世界は第3次世界大戦へと導かれていくように思うのです。
いずれにしても、アッラーを信仰する方が子々孫々の為になるのか?
それとも、テクノロジーの勉強や、時代や社会が必要とする事柄を必死に追いかけて生きる方が
子々孫々の為になるのか?
情報に流されずに、自分で考え抜いて判断できる地頭を鍛える必要があるように思います。
シンギュラリティーを追っていくうちに、結局は人間の倫理感と道徳感という判断に
回帰してしまいましたが、人が生きる意味というのは
生成AIのシンギュラリティーの技術進歩するであろう延長線上を創造してみると
やはり人間の知性が真であり、生成AIは偽であることが分かってきました。
ただ、字面の情報だけでは真偽が不明ですが、
人の顔を見ながら、そして人間の口から耳へとつながる情報は、故意の真偽は別として
リアルであることであり、それだけで真であると云えるという事が
生成AIの果てに・・・云われることではないだろうかと思い始めてきました。
はい!ここで何言っているんですか?という声が聞こえ始めてきました。
あまりに高み表現になってしまったので、今度は意識を低く下げてみようと思います。
つまり、アダルトビデオで例えると
裏方では監督・女優・男優がシナリオを決めて
感情を別として演技して一本の作品として仕上げるのに対して
素人ものと云われるものは、ありのままの部分表現が多分にあり、
マニアに好まれるのは、このリアルさであるように私は思います。
これと同様に比較してはどうかと思いますが、
人間同士が嘘をつくつかないは別として
リアルにその場所で相手と合って、話した事実は真実であり、作られた情報ではありません。
これが真の情報であり、
それを横から録画した情報はと云うと・・・、合ったことは真実だとしても、
公開された時間と日付は別物になります。
これは時間の偽りに当たります。
生成AIにおいては、全てが偽であり、出力された結果だけは真になります。
この現象は、今まで人類が経験したことのないアニメ体験であり
原爆体験者の証言や写真などを元に、視聴者が原爆とはこう云ったものだと想像して
残酷さに涙するようなものであり、真偽と真実と事実とそうでないものとを区別する
目を養わない限り、
見た目の情報に惑わされることが多くなることを意味しているように思うのです。
益々めんどくさい言い方になって申し訳ありません。
もはや言っていることがAV以降、完全に伝わらなくなっているかもしれませんが・・・。
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今日はシンギュラリティーというものを追って考えていくうちに、
フェイクを見抜く、ファクトチェックに風向きが変わってしまいました。
本日も実にめんどくさい話に最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。