30代の若きハウスメーカー社長さんとお話ししました。
大工の棟梁は、営業だけでなく、すべての現場を掛け持ちしながらやっているタイプです。
昨日は建て込みで身体がバンバンになっているんですよ。
それで、午後からは明日お客様に提案する土地の視察に行くんですよと意気揚々の面持ちでした。
先週は、仕事終わって消防団と一緒に寝ずに運転して、能登のボランティアで
特殊作業をやってきて、またもや急いで帰ってきてクタクタですよ・・・・って。
何とエネルギッシュで、時間を無駄にせず、
力いっぱい働いて、あとは寝るだけというシンプルな生き方をしているのかと
世間を遠目に見る、半ば世捨て人たる私には、
欲望を趣味や女遊びや酒飲みなどに費やさず
金儲けとボランティアに一転集中する朴訥な意識の傾け方に、
どこか自分とは違う・・なんと言ったらよいかわかりませんが、窮屈さと違和感を感じつつ
しかし、それが若さゆえの突っ走った、そして振り切った生き方なのかもしれない
と納得するのでした。
アラカンになったと思ったら、いつの間にか数年経っており
人生の意味などの虚学を考えてきた半世紀だったような気もしますが
今になって思うことは、「意味などないのだ」ということが分かってきたのでした。
意味を考えられるほど、
時間を持て余し、時間と遊び、時間を無駄にしてきたのかもしれません。
しかし、
そこでようやく分かったことは、
「人生や生きていることにマジ卍で意味などない」
と云うことが分かったのです。
つまりは、ご立派などになる必要はなく、
社会のルールの範囲内で、めいいっぱい楽しんだもの勝ちで
つまりプラス思考しか勝たんということです。
世界には、懸命に努力して、方程式や科学技術を進歩させている技術者もいます。
偉業が後世に残るようにと、
そこに生きている意味付けをしている生き方の方もいらっしゃるでしょう。
だからと云って、その人が長生きすれば、もっと進歩するかと云えば、
便利にこそはなりえますが・・進歩はそうでもないでしょう。
その時代に合わせた進歩が人類の進歩なのだから、
偉業を成し遂げた個人が長生きしたとしても、人類へはそれほどの影響はないのだろうと思います。
ならば、人はなぜ生きているのか?
それはただ単に、子孫繁栄に付随する模索をしている為に生きている
と云っても過言ではないかもしれないのです。
職業は、人間の宿主である。
その宿主を拠り所として、より快適に、盤石に繫栄するために生み出されるものが進歩である。
と思っていますが
幼虫は、宿主の葉をただひたすらに食みます。
満腹中枢はないのだろうか?と思うほどに、縦一列に、または横一列に葉を食みます。
いつしか、そうやって太って肥えていくうちに、DNA上の何らかのホルモンにスイッチが入り
サナギになる時間が迫ってきて食べることを辞めてしまうのです。
サナギから羽化し、今度は葉を食べるのではなく、花の蜜を吸うように変態してしまいます。
変態した身体は、大空を舞い、幼虫だった頃の狭い世界の活動範囲から
今度は空という広大な空間を手に入れ、格段に行動範囲を広げて・・・
しかしながら、卵を産む宿主のことは絶対に忘れてはいません。
人はどうだろうか?と考えてみると
同様に飛行機に乗って大陸を移動します。
そして、人間の宿主である仕事をその地で興すのです。
人間は人間の必要の求めによって仕事を起こすことができます。
逆に、人のいない場所で、人の必要に求めずに行うことを
挑戦とか開拓とか冒険などと呼ぶのでしょう。
そうやって、人の轍を踏まずに生きようとすることが出来るのが
環境に合わせたダーウィンの進化論ではなく、
環境の変化を受けないで、人間の力によって環境を支配しようとする
人間特有の傲慢な進化形態なのかもしれないと考えてしまうのです。
そう考えてみると、前者の環境のなすがままに、ただ生きて死んでいくという命の在り方は
ごく自然的であり、後者は、環境をコントロールしようとする人間のエゴが表在化して見えてきます。
地球を人間のものとして、表向きSDGsと云って、大事に扱っているように見せかけてはいますが
それは、人の意志であり、地球にとっては迷惑な話でもあるように思います。
このように動かずに傍観者的に、第三者的に考える所が老いであり、
先ほどの大工の棟梁は、行動力は広く営業をして、いつも目の前の足元の狭い視野で、
ミリ単位で木材を見ています。
若さとは、時間的な先を見ないで、目の前に広がる空間を広く捉えて、行動範囲を広げ
そして、与えられた仕事という宿主に一生懸命かじる行為
つまり、大工業として、目先に集中することを指すのだろうと
その30代の社長さんと接してみて感じたところです。
いつ死ぬか?年金がもらえるか?などの時間的ずっと先の心配ばかりせずに
今日一日のやらなければならないことの視野を大きく持ち、そして行動力を広げ活動し
一日、また一日と精一杯やらなければならないことを、先延ばしなどせずに
迅速にやっていくことが大事だと教わったような気がしています。
ジョギングしなくちゃなぁ~って希望的観測で思うのではなく、
思ったが吉日とばかりに外に出てやってしまうのです。
頭でっかちはダメだということ改めて思い知りました。
そんな今日一日となったことは、ちょっと新鮮で良い教訓を得たと
ほくそ笑んで酒を飲んでいます。
「今年は行動力こそが若さだ!!!!」と意気込んだところで・・・
本日の出来事でした。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。