昨日の休みで脳がリフレッシュしたのか?
それとも、友人にでも両肩を押さえつけられて、おいおいお前大丈夫か?
とでも、身体を揺すられて目が覚めるように
軽トラックでの刺激的な新潟までも道のりで頭も体も揺すられまくって
一時的に人間に復活したのか?
分かりませんが
急にインスピレーションが沸き起こってきました。
ウクライナロシア戦争や
イスラエスユダヤ教とガザ地区イスラム教の聖地侵略戦争
などを見ていると、日本は異常だと思います。
もしかして戦争する方が異常かもしれません。
どちらが正常で異常なのかは、現在のエライ指導者でも判断が付かないでしょう。
が故に軍事力を維持して他国からの侵略予防に努めるのは
人間は必ず戦争という手段を手放さないことを知っているからに他ならないでしょう。
単に、今現在の日本が平和ボケしているだけなのでしょう。
が故に分かったことがあります。
それは命の尊さです。
いやはや、世界の倫理基準や道徳基準はどうなっているのでしょうか?
倫理すら国際標準ISO規格の基準でも作らなければならないほど、
バカばっかな世界になってしまうのでしょうか?
そんな中で、
日本人の命の尊さの計りの一つに寿命があり、
生きてきた内容そのものよりも、寿命が長生きした方がエライ
と云わんばかりの価値観が台頭してきているように思います。
それが介護や延命治療、癌の克服治療などのある意味での延命への医療技術と
介護保険における手法が確立し、
それは世界に誇れるまでになっています。
しかし、医療が無かった我がおしん県の山形県では
江戸時代や明治時代頃はと振り返ってみると、
生活の補助になり得ずに、足手まといになり得る長生きする年寄りを姥捨て山に置いてきて
口減らしをしてきたのもまた事実であり、
貧しい暮らしにとっては長生きは本来悪いことと思われていた部分という
日本の共通概念もありました。
ゆえに、現在のように長生きさせられる人々は、その当時の視点から見れば
豊かな社会であるという証明なのかもしれません。
しかし、残念ながら、いくら医療によって、意識不明の延命を行ってみても
自活できない老人を介護施設に預けて薬づけで延命したとしても
当事者の本人たちは嬉しいと思うのでしょうか?
嬉しいよりも、心の中身は実は悲しい、辛い、苦しい、寂しいなどの感情を押し殺して
息をしているのが精いっぱいであり、
むしろ考えないことにしているといった方が正しいのかもしれません。
それでも長寿こそが幸せとばかりに生かされ続ける社会は、
ある意味で狂っているようにしか私の眼には見えません。
介護当事者たちも、自分の利益のための職業として、
社会福祉、社会貢献という刷り込みによって
弱者救済に気分を良くしているだけに過ぎないと思うのです。
私は残念ながら、そんな高尚な気持ちと財力を持ち合わせてはいませんので
未だ3分の1程度なら社会貢献や社会福祉に協力していますが、全力にはなり得ることはできません。
まずは自分の人生と生命を輝かせる事に精力を注ぎたいと思います。
皆さんが云われる、ピンピンコロリという合言葉は
つまり、自立、自尊を意味します。
自立できなくなり、他人によって価値を決められる介護生活は、
自分自身からの自立と自尊心を削ぎ落していきます。
それでも、在宅介護のような形であれば、自立を援助できますが、
いよいよ以て全介助の為に施設に入る場合
介護施設に入った頃は、誰しもが我がままであり、俺は金持ちで家政婦が居ただの
セフレと旅行に行って居ただの、あのイオンの土地は俺様のもので賃貸収入が4000万あるだとか
有名人とは大の仲良しだとか、会社を6つも作ってきただの・・・・
言いながら、飯がまずいだの、疲れるだの、ここの奴らは人間が出来ていないだのと
介護の流れの言いなりにはなろうとしません。
結局は、眠れない、痛い、と言えば薬を増やされ、薬漬けで益々自尊心や個性を削られていくのです。
人間の形をした、ただの人形へと作り変えられ、三度の飯を口にスプーンで入れられ
おむつ交換をして、体温を計って、適時投薬させられ延命し100歳を迎える介護事情に
感謝という言葉と概念すら忘れてしまい、100歳になって嬉しいでしょ!
と、ばかりに、奴隷階級である寝たきりの利用者と給料搾取階級の介護従事者と
税収入を目論む支配階級の厚生労働省によって、
もしも今日本で戦争があったなら、老人はどうなるのでしょうか?
自立した生き方を知らない人から順に野垂れ死にするんでしょうね。
果たしてこのような未来のない無責任な命の尊さを人為的に作り上げておいて、
誰しもが罪作りに加担していていることに未だ気が付かないのでしょうか?
命を燃やせと子供の頃に習字やスローガンで書いたことがあると思います。
言い方は少しおかしいかもしれませんが、
延命が命を燃やすことになるのでしょうか?
といってみても、これが日本国の作り上げられた理想郷という洗脳現実。
政治家自身が汚職を平気で行って居られる時代であり、何のお咎めもなく
太陽光パネルを設置して、政治家の懐だけを潤して
市民は再エネ賦課金という名目で、電気代を上乗せして搾取され
全部、条例・条約の行きつく所は政治家の懐になっています。
まーそれは置いておいて、経産省はなでしこ銘柄投資と東京エレクトロン、
厚生労働省は製薬会社、財務省はJTたばこ産業、
防衛省はIHIや三菱重工や川崎重工など・・・
は有名な話ですが、このズブズブな上場投資関係において
命というよりも、儲かる方が人間の命への設備・投薬・医療技術提供投資だったという
話で、老人が増えると、厚生省は巡り巡って儲かるように出来ているのです。
www
財務省は煙草はダメと言っていながらも、毎年2兆円の租税収入があり、
更には上場投資分の5%の配当金収入まであります。
だから・・・たばこ商売が美味すぎて辞められません。
塩分取るなと言っている厚生省ですが、
塩を買ってもらわないと地方交付税が都道府県に入らないので
是が非でも塩税や酒税、ガソリン税の一部が売れないと困るのです。
しかしながら、これからは人口減少モデルでのやり方に切り替えていかないと、
いつまでも増税手法だけでは成り立たなくなっていくことでしょう。
サービスの削減、つまり社会保障費の削減です。
と同時に年金の削減です。
支給年齢の引き上げ、支給額の引き下げは元より、医療費の削減も考えなくてはなりません。
その代表が高齢者医療です。
怪我や緊急手術による延命治療はやむ得ません。
しかし、病院のベットを長期間占拠する老人に起因する病気は
最低限の施策にならざる負えなくなることは予想が付きます。
つまり、今後10年20年で高齢者医療は中抜き化、もしくは諦めざるおえません。
単に長生きしているのであれば、介護保険で何とかなるでしょう。
その時になって、初めて命の尊さを改めて考えさせられ、無常を感じされられると思うのです。
故に、「今を生きる」生き方に考え方を改めて、
延命に頼らない、自立した生き方、命の輝かせ方を模索していく必要があるように思うのです。
それが命の尊さを気づかせてくれるように思います。
また同時に、今やっていることが、単なる押しつけ行為であるという
罪深い行為であったことも気づかせてもらうような気がします。
というように、昨日の軽トラックの揺れで
頭を揺すられ、若干のムチ打ち症によって炎症が起こってしまい
身体と頭が火照っているのかもしれませんが・・・
今日はそんな風に思ったのでした。
本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
サギのリフレクション (意味深)