幸 福 論 ♡ | 独学の道Ⅲ

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自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

アタオカな私ですが

 

ずっと考えていました。うーん

 

そして、明治の文豪、幸田露伴が書いた努力論の中での

 

3つの福というものを盲目に信じてきました。

 

 

しかし、漠然としていて、何をどこから手を付けて良いものか分からずにいました。

 

 

私のブログによく出てくる

 

生きる意味

 

人生の価値

 

道徳観

 

倫理観

 

善と正義と対照的な怠惰と悪

 

最頻値的考えと言動

 

それらを考え続けているうちに、これは誰もが考えており

 

だからこそ、危険回避、安全マージン、生きやすくする行動

 

などをとっていることに気が付いたのです。

 

 

 

よく戦争後には人口が爆発的に増加して

 

豊かになるほど出生率が下がると聞きます。

 

 

まさに現代の豊かで株価も史上最高値を更新するほど、

 

自分以外の人間は豊かになっていることと思われます。

 

 

何故戦後に人口が増加するのか?

 

生活が困難になったり、物資が不足して、全体的に貧しい状況の中で

 

先日もブログに書いたニジェールの出生率7.0‰(パーミル)という驚異的数値で

 

日本も同様に戦後、爆発的人口増加をしたのは、

 

イスラム教信仰にある子供を産むほど敬虔であり、尊い存在と行いであると社会が認識し

 

その現状を良いことと思う風潮があるからに他なりませんが

 

日本の戦後も、人口が減少したことで、戦争で亡くなった人の分まで

 

人口や子孫を増やそうという内面の面持ちが誰しもにあったのかもしれません。

 

 

人は老いることを知っていたからこそ、後継ぎを作って家督を譲り

 

家を守るという使命感があったのかもしれません。

 

結果的に、その後、人口増加の影響を受け好景気になり、戦後僅かで

 

首都復興、高速道路建設、所得倍増計画、高速自動車道全国整備、新幹線日本列島縦断計画など

 

の国家的・国民的大イベントが興り、景気は順風満帆に軌道に載ることになります。

 

 

そんな中で、人々の幸せというのは、金だけではない事にも気が付かされます。

 

 

やはり、子供がいて、家庭があって、喜べる場所がある。

 

人間が生きている意味、稼ぐ意味、死ぬ意味も全部含めて

 

基本は同居する家族にあるような気がします。

 

 

家庭こそが、倫理観を知り得る場所だし、そして道徳観も体感する場所であり

 

それは人間として絶対にダメでしょ

 

と言われつつも、片親はまぁ~いいじゃないか、人が死ぬようなことでもあるまいし。

 

などと倫理が厳しい概念に律しられ、道徳概念の言葉に救われ、そして気が付くのです。

 

 

 

両親の倫理観と道徳観という、日頃はお目にかかれない心の奥にしまってあるの本当の気持ちを。

 

 

 

また、風紀概念というのも家庭によって育まれるものであり

 

だらしない恰好をしたまま、ゴミ出しに行ったり来たりするのか?

 

それとも、出勤する服装になり、合理的に家を出たタイミングで出しに行くのか?

 

などのものの考え方、行動までをも真似をして育つことでしょう。

 

 

子供を産み育てることは、本当にお金も時間も、自分の心の時間さえも消失して

 

ただただ、自分のすべてを投げ売って子供に捧げなければなりません。

 

しかし、それも僅か18年のことです。

 

 

煙草を吸って、パチンコをして、酒をあおり、テレビを見て馬鹿笑いしながら

 

会社との往復を18年している間に、

 

方や子供を作った世帯では一人の子供が育っていくのです。

 

それはレクサスなどよりも、一時の海外旅行などの喜びよりも

 

尊い機会と存在であり

 

何より一方通行ではなく、人として、様々なことを返してくれる双方向性の存在なのだと思います。

 

 

 

幸田露伴の幸福三原則には、植福、分福、積福という考えがあります。

手にした幸せを、一度に全部使わずに、

 

3分の1は誰かに分け与えて自分のものにはしない。

 

3分の1は、次の幸福が育つように自らが種を植える。

 

残りの3の1は、自分や家族の為に使い、幸せを積み重ねていく

 

という風に幸せを分配していくことで、幸福が続くとされる考え方です。

 

 

まさに、それは、子供を作り家庭を育む過程を指すのではないだろうかと

 

本日気が付いたのです。

 

 

 

今までは金のことばかりだと思っていました。

 

つまり現代流にいえば、投資が植福であり、分福とは資産形成の分散

 

そして積福とは銀行預金すれば良いのかと勘違いしていたのです。

 

 

確かにそれも良いでしょう。

 

金だけは増えますが、幸福はそれでは買えません。

 

 

幸福を増やすのは、やはり子供と家庭という事なのだと、気づかされたのです。

 

 

今の時代たからこそ、不幸だと思っている人がいるならば

 

それは金に目がくらみ、大事な家族、家庭、親子関係というものを無視して

 

幸せを追い求めているからそう思えてくるのではないでしょうか?

 

 

幸せになりたければ、まず子供を作ること・・・

 

その前に伴侶が必要ですけれども・・・。

 

ゲロー

 

そんな風に、幸福を掴む方法は「子供」であるという風に思うのでした。

 

 

子供・家庭だけが幸福の基礎というのは違うという意見もあると思います。

 

 

 

多様化の時代に、レズ・ゲイなどの家庭もありますが、

 

それでも養子を迎えて子育てをする家庭もあります。

 

それはつまり、幸福とは子供と家庭であることに気が付いている証なのでしょう。

 

 

 

そんな感じで、ようやく今になって「努力論」の一部が理解できたような気がしています。

 

 

そんな風に思い、今日の記事は終わりたいと思います。

 

 

最後までご覧いただきましてありがとうございました。