突然ですが
物質的豊かさの時代から、精神的豊かさの時代に移り変わろうとしているように思います。
このブログを出す前に、同級生と会話していた時に
「先日の災害やら、知り合いや先輩の自殺した奴らやら、
命って戻らないものだから
この年になってくると、いつお別れしても良いように、会っておきたいよな!
・・・だから、
今年は同級会を3つ企画して、今年前半はみんなと顔を合わせておきたいし
人間関係も大切にしていきたいと思うようになったんだ」と語っていました。
おーそんなことお前に考える心の余裕があったのか~と感心して聞いていました。
こいつも、物質的な豊かさを追い求めることよりも、
精神的豊かさを追い求める振る舞いを実践しているんだと思い、
何だか私たち年代は、直感的にそう感じとっているのかもしれないと
一種の「共時性」らしさを感じてしまいました。
日本の人口減少率がますます進み、加速度的に人口が減り続け
そして、その対策として日本国は、中国、韓国、ベトナム、イスラム圏などからの
労働移民を迎え入れ、その数は増え続けて、
その後に居心地がいいと思う人らが日本に住み着き、
多国籍民族日本国が出来上がっていくことだと思います。
歴史を紐解けば
数千年の昔より、縄文人、北方オホーツク人、弥生人、大和人などの流入
混血を繰り返しながら、日本は今に至っています。
これからは、昭和以前、もしくは鎖国以前の昔のように、
諸外国人の血を受け入れ、混血しながら、
新しい日本という国が誕生し存続していくのだと思います。
そんな中で、平等化、そして多様化を進めようとしている昨今ではありますが
給与、社会的位置、人権、休日などは、誰しもが底上げされており
それは、良いのか?悪いのか?私にはわかりませんが
近所の市役所勤めのパパさんたちがアルファードを乗っていたり
新型車を乗っているところを見ると、私以外は景気が宜しいのだと察してしまいます。
次は、さらに上級クラスの自動車を狙い、そして新築住宅を建てるのかもしれませんが
私にとっては、全く興味がありませんので
どうぞ・どうぞ・というばかりでございます。
私はローンが嫌いなので、一括払いでないと気が済まない性分なので、
5年払いとか、70歳までの住宅ローンなんて、まるで信じられません。
そんなことよりも、仕事を最小限に楽しく生きることや
好きなことだけやっている毎日というのが
私の人生のスタンスです。
確かに老後の心配もありますが、そもそも・・・そこまで生きられればの話であって
事故で、この世から・・・あっという間に居なくなる可能性だってあります。
人生の中で、正攻法的にローンに追われて仕事をして収入にしがみつくことが
今までの人生の在り方だったような気がしますが
これからは、心の豊かさを持って生きることが求められていくのではないかと
個人的には思うんですよね。
今の人は仕事がテキパキ出来ます。
出来ないと逆に責められる時代です。
同級生も介護福祉施設でデイケアの仕事をしているのですが、
資格は社会福祉系をたくさん持っており、知的な職場で長らくやってきましたが、
精神的に疲れてしまって、
時間から時間までの拘束で終わるデイサービスを希望して、そこに移動したそうなのですが
その場所では、見守りというよりも積極的関わりを求められる風潮であり、
アレして・・・コレして・・・と忙しく体を動かしていることこそが正義の職場であって
利用者の自立を見守るというスタンスは悪の所業に思われて、
「いつもボーっとしていないで動いてください」と
10歳以上も年下の女性に怒られるのだそうです。
女性は確かに忙しく動く人は動きますが、私は現場を見ていないからわかりませんが
想像ではありますが
恐らく秒単位で作業を終わらせて、次のタスクに移ってレクリエーションを行って・・・
入浴介助を行って・・・おやつを食べさせて・・・帰宅の準備をさせて
車に順番に介助しながら載せて・・・自宅玄関まで怪我の内容に介助して帰らせる・・・。
みたいにタスクフォースのようにこなしていくのだと思いますが、
これは、誰の為のデイサービスなのか?
家族の手を休めるためのデイサービスなのか?
それとも本人の為なのか?
今の私には、全くわからない立場ですが。
彼の言葉を聞く限り
職員がギスギスして、嫌々ながら勤務している職場に思います。
そんな職場ってどうなんでしょうか?
私の知っている同級生の介護職の人ってほとんどがスレてますよね。
忙しいが故に、そう見えてしまうのかもしれませんが、
大体にして、そういうすれっからしな人格に私は魅力を見出せません。
しかしながら、介護現場はそのように戦争状態になっているのかもしれません。
理想論を云わせてもらえるなら
笑い合えるような雰囲気で始まって、賑やかな職場で仕事をして
前向きな思考になって、休日は活動的になるというのが理想的なのでしょうけれども
見渡してみれば、地方の土日は、静まり返っています。
恐らくですが・・・
誰もがみんな家で休みたい、じっとしていたいと願うという事は
職場で気を使い、精神が疲弊しているからに他ならないと思うのです。
そして
みんながうつ病に向かっているように私の眼には映るのです。
山登りのメンバーを揃えて、朝3時には集合し、6時には山登りスタートして12時には下山して
風呂に入って4時には自宅に戻れるような休日。
写真を撮る仲間と待ち合わせて、現場に向かい、4時間ほど被写体を追いかけてベストショットを撮影し
すぐに帰って現像処理して、共有サイトに一枚をアップロードする
月に一度は、反省会と称して酒を飲み笑い合う休日。
悩みはそんな時に晒して盛り上がり、すっきり忘れて仕事に戻る。
そんな時間の流れが作れるようにしていくことが、今後求められるんじゃないだろうか?って
思うんですよね。
結構、皆さんをそのように誘っているんですが、仕事でいっぱいのご様子です。
そういう精神的喜びの中には、物質的豊かさは必要ない気がします。
むしろ精神的豊かさこそが、多人数での協調性を維持するという事に関しては必要で
乱す存在は邪魔でしかなく、孤立してしまうように思います。
孤立が孤独を生み、社会的居場所を失い、存在価値や自尊心を傷つけてしまう方向へと
進んでしまう危険性を孕んでしまうように思います。
つまり、物質的豊かさを追い求めていく場合には、
今までは俺が・俺が・と主張したもの勝ち!のようなところがありましたが
今後の精神的豊かさを求める場合には、俺がという言葉を一旦横に置いて
あなたの方がもっと素晴らしいというように、
相手を立てる言い方をしていく考え方にならなければ
多人数での協調性が担保できないように思うのです。
これからの時代は、まさに人と心。
自分ではなく、より多くの他人を巻き込んだ関わりの中で
その摩擦熱によって心を温めて育んでいくような時代になっていくのかもしれません。
(希望的観測と要望)
またそういう豊かな精神性を持った親に育てられた子供もまた同様に
他人を協調し、仲間を増やして正善の連鎖を知るのかもしれません。
なんて言っていたら、宗教家にでもなったらどうですか?という答えが返ってきそうですが・・・
www
そんな風に、思って
今日の記事は終わりにしたいと思います。
本日も、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。