ヤバいがヤバい | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

ゴロがいいのでタイトルにしてみました。てへぺろ

 

 

何がヤバいのかと言いますと・・・

 

 

それは語彙の少なさがヤバいのです。グラサン

 

 

それは多くの誰もが認識されている様子です。

 

 

 

先日も人生の大先輩方とお話ししている時に

 

江戸時代以前は、会話用語と文章に書く用語を分けていたこともありましたね。

 

それを不思議がった江戸時代の文筆家たちが、です。ます。である。した。

 

のように語尾を整えて書き記し、それが一般会話用語としても共通するようになっていき

 

昭和には、教育勅語は別として、その後常用単語として

 

最低限のひらがなや漢字が学習されるようになってきて

 

さらに以前よりも使用されていた「ゐ」「ゑ」「ヰ」などの旧仮名遣いを省略し

 

歴史的仮名使い限定で会話ができるようになったりして現在へと継がれているんですよね。

 

ピラミッドの旧社会構造で使用されていた、

 

上級階層語に見られる古事記・万葉集などから徒然草などの様な表し方から

 

底辺にみられるベラんんめぇ口調まであったものを

 

より統一化しようという試みに於いて、100年を経て錯語しながらも

 

語彙数が減り、ある意味で簡単になってきたとも云えるかもしれません。

 

日本は変遷する日本語として、長い歴史があって本当に面白いですよねって会話でした。

 

 

 

そんな中で、日本語は変貌し続け、今では

 

マジで、ヤバい、卍、キモイ、ウザい、推し、ピエン

 

アセアセ・・・・などの省略表現する単語が横行しています。

 

 

その言葉の内訳。

 

つまりは何故そう思ったのか?

 

などと云う心の働きを説明することを現代の人は嫌ってなのか?

 

それとも、めんどい性格を嫌って結果で表せば良いと思ってのことなのか?

 

何故だか最近、結論ありきで会話が成立してしまう若者言葉が横行しているように思います。

 

 

ある学者は言います。

 

昭和後期の頃をピークに、年々IQが6%ほどずつ下がっているせいではないだろうか?と。

 

また、若者が大人に知られないように言語を符号化した名残が続き

 

流行を経て一般使用用語になり得て認知されるようになったのでは?とも考えられます。

 

いずれにしても、この簡略単語、符号単語の一般使用と浸透は

 

なかなかに難しい問題になってきました。

 

例えるなら

 

一般企業に於いて、不動産の営業職で、これはメッチャいい物件ですよと云われても

 

何がどう良いのか?きちんと説明されなければ、比較検討する為の営業マンの役には立たず

 

そもそも営業マン失格となり得てしまう訳です。

 

 

司馬遼太郎さんのように、良いとか悪いなどとは軽々しく云わずに、

 

 

 

ありのままの姿と生い立ちを説明し、

 

読者・視聴者が勝手に美化し興味を持つように仕向けるあたりは

 

流石だと思いますし

 

 

 

それこそ昔で云う所の幸田文さんの文章のように、

 

一つを説明するのに、10も100も良いところや悪いところが想起されて書かれている辺りは

 

初めのうちは、うざったくて読み辛ささえ覚えてしまいますが

 

 

 

 

 

しかし、木を一本見るだけで「木」、風呂敷一つをとりあげて「包む」

 

などの小説一冊が書きあげられてしまう程の洞察力が

 

読み手にとっての気づきと、魅力に感じられ、

 

自分もそうでありたいとさえ思うきっかけを頂いたことを思い出します。

 

 

 

現代のヤバいという言葉は、まさにこの幸田さんの表現とは真反対に

 

日常の語彙の少なさを感じてしまうのです。

 

 

自分の心の働きの分析が出来なければ、問題が問題として浮き彫りにされず

 

いつまでも負の感情に苛まれてしまう事でしょう。

 

 

人生を豊かにすることは、感情の喜びでもあると・・・私は思います。

 

 

パチンコ、タバコ、アルコール、風俗、テニス、登山などの

 

外的な身体的刺激を求める事は

 

つまり、自分の欲求的不満をそれらの刺激的な出来事を通じて解消しているに過ぎず

 

しかし、それらが発生する源は自分自身の心であって、

 

心を騙し続けると、脳から発せられる神経伝達物質のシナプスの反応が鈍くなり

 

感覚麻痺の状態に陥ってしまい、肩凝りや鬱症状を覚えてしまうと思うのです。

 

 

それを解消するべく、半ば生理反応的に、タバコを吸い、アルコールを飲み

 

無駄に志村けんなどのお笑いを見て、無駄に笑い

 

自分の感覚ニューロンが正常であると確認するのでしょう。

 

 

つまり、ヤバいと口から発する人々は、自分の心の働きを言葉によって説明できない。

 

 

AVに出ている女優さんなどは、何故に身体を売るのか?と考えたことがあります。

 

きっと

 

それは金だけの問題ではなく、自分の心を取り戻すために刺激を求め

 

それを誰かが教えてくれると錯覚しているのではないだろうか?

 

とさえ思えるのです。

 

まぁ~人間社会は自由なのだから、色んな人が居ても良いとは思うのですが

 

やはり、発達途中の若い人たちには、なるべく多くの語彙を使用してもらい

 

説明できるようにしてもらえたら、人生が楽しくなって良いのではないのかなぁーっ

 

て思います。

 

 

先ほども知人と、このヤバいという単語の会話で話していたら

 

若い人が使う分にはいいと思うんですけど

 

50過ぎた会社の社長さんが、

 

「ちげぇーよ」「ウゼェー話よな」とかって使うんですよ。

 

自分からしたら、いい年して恥ずかしく思われる

 

とかって思わないのかなぁ~って気になったばかりなんですよ。

 

という答えが返ってきました。

 

 

 

 

 

もしかしたら・・・境界知能?

 

と云えば、この本が有名ですよね

 

ケーキの切れない非行少年たち、どうしても頑張れない人たち

 

 

 

この話は、まずさておいて・・・

 

 

今後、日本社会は平均的知能指数に於いても二極化し、

 

ヤバいを使う人達と

 

そうでない人達と

 

に分かれていくように思います。

 

 

ヤバいという人たちが、外国人労働者などを率いて現場を指揮することなど出来るでしょうか?

 

ヤバいという人たちが、市長や議員、国家公務員、学校教員になったらどうなるのでしょうか?

 

そんな事を思いつつ、

 

やはりヤバいという単語を使用する人々は、ヤバいのではないだろうか?

 

と思いました。

 

P丸様より引用させていただきました。

 

マジ卍でこんな風に社会は変わるのではと、私はとても危惧しています。

 

という自分も卍やら草やら多用しますので、笑い泣き

 

一番は自分を危惧しています。ポーン

 

www

 

自爆タヒ 昇天

 

 

最後までお付き合いいただきましてお願いありがとうございました、バイバイ