今日は休みました。
元々休みは決まっていたんですが、
仕事が入れば仕事するというアバウトな労働体系を作っているのですが
久々に丸一日休みだと決めたまでは良かったのですが
行く当ても無く、仕方なく、港へとコノシロでも釣りに行こうかと思って
冷凍庫に保管してあるアミエビを取り出して
クーラーボックスには、昨日から降り続いた駐車場の雪を詰め込んで
国道を走らせました。
いつもはラジオとか音楽を聞かずに運転することが多いのですが・・・・
禁煙してからそういう風に無音運転するようになりました。
しかし、何だか今日は音楽を聞きたい気分になって
様々なアーティストの曲を聞きながら、雪が氷になって
トラックのチェーンでデコボコになった路面の振動を受けながら
日本海へとドライブします。
行く道すがらは風も無く感じていたのですが海辺へと到着してみると
暴風で誰一人として釣りなどしている人はいません。
昨日は、鳥取県で夫婦が波にさらわれて奥様が無くなったというニュースを聞き
誰も彼もが荒天に気を付けているのだと思いました。
数分外に出ただけで身震いするほど身体の芯が冷えて、
これじゃ、とてもじゃないが釣りなど出来ぬと思い
早速運転席へと戻ってきてしまいました。
何しに来たんだろうかと途方に暮れつつも、
また自宅へと100Km程運転して戻ることにしました。
相変わらずのデコボコ道と除雪車が沢山居て、渋滞が凄かったです。
ワンオクロックやキムテヨン2019ライブなどを聞きつつ運転していると
何故だか一人の人物が脳裏をよぎりました。
大企業の下請け建築業をやってきた方で
60歳で退職してから、地元で請負の仕事をこなしている
たまたま、山登りのツアーで知り合った方です。
その後も何度も山登りに一緒に行く方で、私の方が10歳以上も年下なのにも関わらず
同じ年だと勘違いされるほど、私が老いた思考をしているのか?
はたまた相手が若い考え方なのかは分かりませんが・・・
温厚な人で、信頼のおける人なのです。
しかし、ひと癖ある所が面白いのです。
それは、温厚という真綿に忍ばせた刃の一部が見え隠れするところです。
怒らせたら何するか分からないぞ!
といった鋭い性格の一部も持ち合わせている所が
人としてキラリと光る部分でもあり、防衛反応なのかもしれません。
いわゆる女性には、美しいバラには棘がある
と云われるような表現と同類のものかもしれません。
それは、時として仕事を一旦決めれば、
死ぬ覚悟で真正面突破して当たるかのような勢いをと男らしい気概さを感じるのです。
話は変わりますが
私は、刃物が大好きです。
特に刃物の形というよりは、素材の分野という意味で非常にこだわりがあります。
白紙1号と言って分かる人なら、私の言いたいことが分かる方でしょう。
青紙派閥はさようならです。
ステンレスやダマスカス鋼の人達は、論外と思っています。
何故に白紙の鋼にこだわるのか?
それは甘切れするからです。
甘切れは痛いんです。
しかし、最も切れるんです。
それは、研ぎにかかっています。
研ぎが甘ければ痛くて、切れません。
しかし、研ぎが上手ければ、鎌鼬のように切れる刃物になり得ます。
変貌する刃が白紙1号炭素鋼なのです。
祖父は、戦後、鉄の自転車の荷台に箱を重ねて魚の行商をやりました。
余った魚を捌き、料亭をやったりといつも魚を捌いていました。
その傍らで、必ず砥石に包丁を当てて研ぐ姿は日常でもありました。
刺身包丁から野菜包丁、出刃包丁まで何本もの包丁があって、
また砥石も同様にいくつもありました。
小さい頃は、自分もマネして研いでみたけれど、何が切れるのか?
全く分かりませんでしたが、祖父が爪に刃を当てて引っかかりを見ていました。
刃先、腹、胴部分と3か所は必ずひっかけていました。
私も次第に自分の親指の爪に包丁の刃をそっと垂直に立てて、
引っかかりで切れるか切れないかの判断が出来るようになったのは
大凡、中学生くらいの時だったように思います。
高校生の頃には、釣ってきた鯉や猟友会の叔父が仕留めたマガモなどを頂戴し
その後、見よう見真似で捌くようになっていて
いつしか、大物を大まな板にドンと載せると、皆が集まり、そして雁首を並べて覗き込み、
「おー」と言っては、散り散りに去っていくのです。
料理が出来上がった頃にまた顔を合わせると云ったような
私は、当時よりゲテモノ裁き担当になっていたような気がします。
そう云う経緯から、やはり、鳥の肉を切ったりするときには、
甘切れをする包丁が好みで、皮部分がとてもよく切れます。
刺身を作る時は胴から当てて、腹、刃先へとひと引きで切れるのが目標です。
肉などの場合は切断が目的なので、切っ先から手元にかけて押すように力を入れる事で
効率よく左右に切り分ける事が出来ます。
押して切る切り方と、引いて切る切り方があるのは
何となくその頃から分かっていました。
刺身などは、ひと引きで切らないと切り口の見た目が悪くなってしまうから
長い包丁でないとダメだと、つくづく感じました。
いずれにしても、白紙や青紙の包丁は高価であり
1本5万円程度はしてしまいます。
一般人が揃えるのは至難業です。
白紙は毎日、砥石で研がないと錆びてしまい使い物になりません。
凄く難しい材質です。
しかし、毎日手入れをしてさえいれば、裏切ることは無く、
期待を遥かに上回ってくれることもあるのです。
人間も同様に、なまくらからステンレス鋼
見た目だけのダマスカマス鋼、焼きの入っていない鉄同様の人格から
鍛え抜かれた鋼である青紙や白紙の人格まで様々です。
磨き上げればそれなりものから、素材に合わせた磨き方によって
それ以上に切れ味が鋭くなる刃へと変貌する人格へと変わるのも
人生という時間を使用し、目的という角度を決めて人間的鍛錬と人格的磨き上げで
切れるナイフのように変貌していくように思います。
まさに山友の各々は、高い金を払って参加するだけあって
気概と人生を目的と目標を持って生きてきた人たちだという事を知ることができ
それが、それぞれのひと癖、ふた癖となって現れるのでしょう。
私は、いつも切られる役担当です。
バカを言っては、だから○○さんは・・・と云われ
また~き・ら・れ・た~という感じで・・・
山の静寂を切り裂くようにみんなの大きな笑い声で熊への警鐘を怠りません。
山形弁というなまりを持った、我々集団は、全国の人々から何故だか注目され
山形の人ですよね?って聞かれます。
なまりが独特ですもんね?だって・・・www。
「そうですか?」などと標準語で返してみても・・・
「んだすか?」って聞こえて
やっぱなまってますよねって云われ、バレちゃった?
という話で、また山に笑いが絶えません。
切って切られて、まるで寸隙でもしながら歩いているかのような
我々集団は、山を歩いて疲れるよりも、
笑い疲れとビールの飲み疲れの方でいつも疲れます。
それぞれの方々が、人生において人格を磨いてきたからこその
切って切られて物語のようで、
いつしか自分も人格の鍛錬と修練を行って、
白紙のように切れる人格ナイフを持ちたいものだと思わせられるのです。
ついぞ、帰りの運転中に山友の真綿に隠された、時折キラリと光るヤイバの事を思い出し
ついこんなことを書いてしまいました。
こんなことを書いていたら、久々にマガモを捌いてスープを飲みたくなってきました。
誰か、俺に鴨くれないかな~
本日もたわ言にお付き合いいただきましてありがとうございました。